第41話:【晴男】なんか、まあ
まひるちゃんの実家のコタツは、何だか懐かしい。
風呂敷を被せたみたいな、古めかしい柄だからだろう。俺の母さんの実家に来たみたいな感覚がある。
しかし暢気に足を突っ込むわけにいかなかった。まひるちゃんと並んで正座し、対面には彼女のお父さんがあぐらをかく。
時計は午後一時半。お茶やお菓子の準備をしてくれたお母さんも、隣に腰を下ろした。
「段取りと言ったって、いつでも実行できるようにしただけだよ。実際にはまだ誰も動いてない。正式な見積もりだから、その費用だけはかかったけどね」
「じゃあ東京に残ってほしいと言われたら、残れるってことですね」
北海道行きを聞いた時は、どれだけ横暴で
現実は柔和で丸顔だ。いつも笑ってるお母さんと、似合いの夫婦と思う。
いかにも困ったなあと、苦笑で頷くお父さん。俺の視界の端で、表情を緩めたまひるちゃんが息を吐く。
「晴男くんだったよね。仕事してたら、具体的でないと困るだろ? 僕もそうだよ、お客さんに『いい感じの建物』とだけ言われたって設計のしようがない」
「そりゃあ、分かりますが」
「だろ? でも実際、そういうことを言う人は多いんだ。企業さんが相手でもね」
それは分かる。スーパーのお客さまにも、自分が何を買いたいか分からない人がたまに居る。
どこかで曖昧にレシピを見て「赤いパッケージのやつ」とか、その程度で商品を探せと言う。
つまりお父さんは立場変われど、そういうズボラな提案者になりたくないらしい。気まずげに斜めに娘を見る視線が、ちょっとかわいそうに思える。
「いや、でも。仕事で言うなら、進捗が提示されなかったら不安ですよ」
「そう言われると弱い。どうも根っから仕事人間みたいで、図面やら数字に起こしてからと考えてしまうんだね」
お母さんとさほど変わらない、小柄な肩を窄めるお父さん。落とした視線の先はコタツの上で、きっちりプレゼン資料のていをした二、三枚綴りのコピー用紙に向く。
「子どもたちがやめろって言うなら、もちろん諦める。ただまあ、これは僕の夢でね。母さんと新婚旅行に行った時からの」
「あら、そうなの」
たぶん三十年近くも前から温めた夢。しかし関係者らしいお母さんは、俺を見ていた目をお父さんに向ける。
「言ったじゃないか。雪のエバースタイン城で、真っ白になった広い畑を見ながら。いつかこういう土地に住みたいって」
「……そういえば」
――絶対、覚えてないな。
珍しく作った眉間の迷路で、お母さんはとうとう記憶に訪ね当たらなかったようだ。
おもむろに資料を取り、最初のページの大きな写真をしげしげ眺める。
「うん、こういう場所って言った気がする」
「もう。お母さんも、気がするって言っちゃってるじゃない」
部外者の俺ではできない突っ込みが、まひるちゃんから。でも似た者夫婦は照れ笑いするだけだ。
言った彼女の声も、さほど強いものでなかった。
「絶対にダメって言ってるんじゃないよ。でも突然だし、驚いたし。夕太と夕輝はまだ高校生だし」
「札幌と言っても郊外の中古物件でね、お前たちの部屋もあるよ。住みながら直しながらで、朝陽の分まではないけど」
長男まで居るなら客間がなくなるな、とか。明るいながらも、娘の責めに段々と声が萎んでいく。
まひるちゃんの言い分はもっともだ。けど、俺まで「そうだそうだ」とも言えない。親には親の人生がある。
「あのね。夕太と夕輝は、ゆうべ話したの」
どう着地すればいいか悩んでた。するとお母さんが、お父さんの背中をさすりながら言う。
「そしたらね、元々二人で決めてたみたい。一緒にアパート借りて住むんだって」
「じゃあ、賛成ってこと?」
「そうなるのかな。止めるつもりはないみたい」
閉じている双子の部屋を、まひるちゃんは眺めた。気配もなくて、居ないらしいが。
戻ってきた視線は、お父さん作成のプレゼン資料に移る。
彼女はしばらく、口を引き結んでた。しかしやがてボソボソ、声をひねり出す。
「だから私だって、絶対に反対とは……」
誰かの希望に、まひるちゃんが抵抗を示すなんて珍しい。いつもならお父さんが遠慮するのさえ、行きなよと言う気がする。
家族だから、本心が出やすいのはあるだろう。ではその本心とは何だ。
――いつまでも傍に居て、でもないだろうし。
それを言うなら、最初から実家を出てないはず。少なくとも、いつまた品下陵が来るか分からない自分のアパートに、一人で居ない。
と考えて、思い当たった。
「あのぅ。年末からのことは、ご存知なんですよね? それでも今っていうのは、どうしてですか」
何もなければ、きょうだい全員が同じ条件だ。だが、まひるちゃんには不安要因がある。なのに断行、となれば見放された心持ちだろう。
質問してお父さんが悩むようなら、事実ってことだ。けど、幸いに返事はすぐにあった。
「知ってるよ。そのおかげで、アルバイトを辞めるのもね。だから心置きなく、一緒に行く選択肢があると思った。というのが一つ」
最後にひと言が付け加わって良かった。でないと俺は、お父さんの評価を会う直前まで戻していた。
厳しい、はともかく。横暴と。
「もう一つ。僕は娘を、永遠に守ってはあげられない。でももうしばらくと言うなら、それもいい。東京に残っても、一緒に行くのもね。でもまひるは、どっちも選ばないんだよ」
「――どうして?」
お父さんは予想でなく、決定のように言った。その間じっと見つめられたまひるちゃんは、不思議そうに首を傾げる。
「小さいころからだよ。おもちゃなんかはすぐ譲るくせに、幼稚園の先生の手は離さない。だから真由美ちゃんとか、好きな人の居るここへ残る」
お母さんも聞きながら、何度も頷いた。突然の昔ばなしを、まひるちゃんは「何言い出すの」と慌てる。
ただ、これでは北海道行きの答えになっていない。
「ええとそれは、真由美ちゃんに任せるってことでしょうか」
丸投げとは言わなかった。だがここで終わりなら、お父さんの言い分はそうなる。
あの子なら「任せて」と言うかもだけど、それとこれとは話が違う。
「いやいや、まひるに任せるってことだね。人生を並んで歩く人は、自分で決めなきゃ。友だちとか何とか」
親に頼るなと言ってることに変わりない。けれども永遠に頼るのが無理なのも、その通り。
なら、お互いを守り合える相手を優先しなさいと、どうやらそういう話らしい。
「こんな話で、わざわざ連れてくるんだ。そういうことだろ?」
「え?」
お父さんが何を言い出したか、たぶん俺は正確に理解してる。まひるちゃんは全く想定外のようで、さっきとは逆に首をひねる。
「いや、だから。晴男くんと付き合うんだろ? それとも、もう結婚するの?」
「――え。ええっ! な、何で? 私そんな、空上さんとなんて」
照れ隠しなのは分かるが、俺も「えー」だ。意地悪をするつもりはないけど、声が漏れた。
「あっ、ええと。ごめんなさい、あの、それがね」
「いいよ、俺が言う」
「はい……」
しょんぼり頭を垂れる彼女を、ぽんぽんと撫でる。それはそれで可愛いんだが、今はデレッとしていられない。
腰を浮かせ、もう一度きちんと座り直す。
「ええと。仰る通り、お付き合いさせていただいてます。今すぐ申し込みは考えてませんでしたが、いずれそのつもりでいます」
「ああ、いいよ。まひるの眼を信じてるから」
あっさりだ。歳も職業も聞かれない。
まあそれは、お母さん経由で聞いてるんだろう。今はそれより、はっきりすべきことがある。
「お父さん、確認させてください。まひるちゃんのことは、本人に任せるってことですね」
「あれ、そう言わなかったっけ」
「いえ、仰いました。俺が聞きたかったんです」
お父さんは笑って、お母さんの用意した湯呑みを傾ける。もうぬるくなったのを、ごくごくと。
それからもう一度、俺の目を見て言ってくれた。
「まひると晴男くんたちの常識に任せるよ」
*
おやつをごちそうになって、およそ一時間後。俺とまひるちゃんは駅に向かった。
今日はこのまま退散するべきか、彼女との時間を作るべきか。様子を窺いながら。
「私の我がまま、よく分かりましたね」
「我がままじゃないよ。寂しいと思って当たり前」
並んで歩く彼女は返事をせず、腕に寄り添ってきた。と思うと俺の手を持ち上げ、自分のほっぺに押し当てる。
「いつでも空上さんが来てくれると思ったら、一人でも大丈夫です」
――ほんと強い子だ。
頑丈で、かえって不安になる。だから頬ずりするくらい、好きにさせてあげた。
「ええと、それなんだけどさ」
「どれですか?」
問い返すのに、まひるちゃんは手を放した。真面目な性格が時に恨めしい。
「その、一人でも大丈夫って」
「はい」
俺が何を言おうとしてるか、さっぱり予想もしてないらしい。歩きながらも、きょとんと見上げる。
まあ俺だって、お父さんとの話の最後に思い付いたんだが。
「あのー。その、アレだよ」
「はい?」
「一緒に住むのはどうかなって」
年上らしく格好良く言おうとしたのに、恥ずかしくて目を逸らした。彼女とは反対の空を見上げ、返事を待つ。
しかし五、六軒の家を通り過ぎても、返事どころか何の声もない。まるで俺の隣から居なくなったみたいに。
「あれ?」
顔を戻すと、本当に姿がない。振り向けば、さっきの位置で立ち止まってた。
「まひるちゃん、ごめん!」
離れていても、近付いても、彼女は俺の顔を見続けた。
良かった、失神したりはしてない。
「あの、一緒にって……」
「つ、付き合い始めたばかりで、どうかなとは思うんだけど。まひるちゃんが良かったら、一緒に住む家を見つけないかなって」
まひるちゃんは引っ越さなければいけない。
俺は彼女を守りたい。突拍子もないことばかりじゃなく、寂しさからも。
それなら同じ家に住むのが一番と思った。
「なんか、まあ。その、一緒に居ようよ。これからずっと」
まひるちゃんは呆然と、まん丸な目で俺を凝視し続ける。返事はもう少しだけ、待たないといけないらしい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます