エピローグ 二人の影も並んで動いて
謁見の間の壁を荘厳な絵画が飾り、柱は金や銀を用いて彩色され、窓には光沢のある布がかかる。真紅の絨毯に立つ家士たちは美しく着飾り、辺りは爽やかな香りで満たされている。
王都という地の華やかさが殊に際立つ空間に、澄んだ声が響く。
「山の地へと赴き、窮状にあった領民を救いましたこと報告します」
アイリスは淡く薄い紫色の瞳を正面に向けている。
この式典用に用意された装飾性の強い軽鎧を身に付け、そこに長い銀色の髪がかかって、神話に記された戦乙女か女神のように神々しく美しい。
その姿を前にグライドは感心していた。ただし美しさにではなく、オークに向けてハルバードをぶん回し一刀両断していた少女が、よくまあここまで変わるものだと、そうした意味で感心していたのだ。
父親の感想とは別に、娘のフウカは綺麗な衣装に感嘆するばかりだった。
何にせよ式典というものは暇だ。グライドは窓に視線を向けるが、ちらりと見える空は良く晴れていて、そちらから差し込む光は鮮やかだ。ただの護衛としては、早いところ家に帰って、不在中に溜まった汚れを掃除したいところであった。
「此度の戦いにおいて最も活躍したのが、アイリスの護衛であるグライドなのです」
その言葉は唐突で、グライドは片眉をあげた。
ここで発言された事実はトリトニア家の史書に記されるわけで、そんな事をされようとは少しも思っていなかったのだ。
「グライドは二体のオークロードと一体のオークナイトを、そして数えきれぬ程のオークを一人で討ち取り、今回の遠征の勝利に大きく寄与しました。どうかトリトニア公より、お誉めの言葉を」
その戦果が述べられる度に、響めきが起きていく。一番驚き興奮しているのが公爵であるモントブレアで、壇上を飛びだしこそしないが、そこで跳びはねている。
「儂、信じとった! よくやった! 素晴らしい!」
厳粛な式が台無しだ。手招きされても前に出たくはないグライドだったが、娘に押しだされる形でモントブレアの前に進み出るしかなかった。
トリトニア家の史書によれば、このとき公爵はグライドの手を取り盛んに称賛し、さらには腰に帯びていた剣を手ずから与えたという。
「出来のよい剣だな。バランスも良くて手持ちが良い」
グライドは抜き放った剣を軽く振って頷いた。
以前に使用していた剣はオークロードのアオとの激闘で刃こぼれが酷く、研いだところで身が細り使用に耐えるかどうか怪しいぐらいで、廃棄せざるを得なかった。それで仕方なく盗賊から回収した安物の剣を帯びていたのだ。
公爵より贈られた剣は鍛えも緻密で、鉄の色も明るく刃は冴え冴えとして、見るからに名剣であった。来歴が来歴であるし、希代の名工作である事は間違いない。
もう一度振って、流れるような仕草で鞘に収めた。
その鞘の中を滑り収まる時の感触も実に滑らかで、外装も含め素晴らしいことは間違いない。剣を使う者として嬉しそうな顔をするグライドだったが、それを引き締め不機嫌なものに変えた。そして、じろりとアイリスを睨む。
「いきなり、ああいうのは感心しないな」
睨まれたアイリスはしれっと小首をかしげ、銀色の髪を揺らした。
「何がですか」
「事前に何も言わず、ああいう場に呼び出したことだ。皆も迷惑する」
「アイリスはお父様に、グライドの戦果を述べる事は伝えていました。ですから、その剣も用意していたのです」
「こちらに話をしておくべきでは?」
「それは仕方がない事なのです。なぜならば、アイリスはグライドを驚かせたかったのですから」
アイリスは笑みをみせるが、それは子供が悪戯に成功した時の様子にそっくりだ。
以前はもっと思い詰めた様子で表情も硬く、笑顔も他人を拒絶するようなものだった。それが柔らかな表情になって、自然な笑顔となっている。こうなると女性と子供には弱いグライドは何も言えやしない。
「やれやれ」
せめてもの抵抗で、困った様子で息を吐くだけだ。
グライドはトリトニア公爵家の中庭を歩いていた。遠征も終わったものの、辺りではまた慌ただしい空気が漂っている。使用した様々な品を片付けたり、不足を確認して手配したりと、まだまだやる事はいっぱいあるのだろう。
山奥の村からの戻りの間にも、いろいろな事があったと考えつつ、グライドは芝を踏み締め噴水の周りを、ゆっくりと歩いている。
たとえば、パンタリウスはすっかり家士たちの間に溶け込み、上手くやれるようになった。たった一人でオークナイトに立ち向かった事で、皆の尊敬を勝ち取ったのである。カールドンが、それまでの態度を謝罪した事も大きいのだろう。
そしてシュミットは――。
「お父さん、ここに居たのね」
フウカが来たが、つい今しがた思いを巡らせていたシュミットの手を引いている。アイリスも一緒だが、遠征の戻りの間に三人揃ってすっかり仲良くなったのだ。
「シュミットさん、公爵家のお抱えアルケミストになったのよ」
「ほうほう、それは凄い事だな」
「うん! とっても名誉なことよね!」
フウカは、はしゃいでいる。グライドも嬉しくなったが、他の人の成功を素直に喜べる娘の姿にこそ嬉しくなった。
「アイリス様の口添えのお陰。それから……」
シュミットの声が、ふと途切れた。
「グライドさんのお陰」
「何も出来なかった」
「そんな事ない」
シュミットは首を振って、ふいにグライドに身を寄せてきた。そして囁くような声で、ありがとうと言った。薬品臭の中に少しだけ優しい香りがする。シュミットは瞬きもせずグライドを見つめている。
そこには感謝だけでなく、好意のようなものも漂っているような気がした。
しかし、それを確認するよりも先にシュミットは静かに離れると、赤らんだ顔を隠すようにフードを目深にかぶった。
揃って歩きだすと、向こうでグライドを呼ぶ声が聞こえた。
どうやらフリージアらしい。料理を用意したので是非に食べて欲しいと、そんな感じで言いながら走ってきている。
「当家のメイドが不作法で申し訳ないのです」
「いや別に」
グライドが言って歩きだすと、アイリスは隣に並んで歩調を合わせてきた。緑の芝を歩いて行くと、そこに二人の影も並んで動いていく。
「今月もお給金は半額カットにしておくので、どうぞよしなに」
「それは少し酷くないか」
「当然です。なぜならアイリスは、悪い御嬢様なのですから」
堂々と言うアイリスにグライドは苦笑した。
視線をあげ彼方を見やれば、遙か遠く雪をかぶった山脈が晴天に映えている。そこに山の民の姿を想えば、山の民もこちらを想っている気がするのであった。
剣聖と剣聖の娘と悪いお嬢様と 一江左かさね @2emon
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます