第32話 手向けられた草の花
朝方の寒さも空の日射しによって消え去り、程よく暖かくなってきた日中の頃。山奥にある村の空き地は混雑していた。
その場所が狭いせいもあったが、多くの人でごった返し雑然とした状況をつくり出している。誰かの奏でる笛の音に、誰かが踊って、誰かが笑う。誰かの差し出す酒を、誰かが受けて、誰かが唄う。それぞれの発する声や物音が混じり合って、辺りに広がる響めきとなっている。
空き地では、今まさに祝いの宴が開かれていたのだ。
「まったく元気なやつらじゃな」
グリンタフは疲れた顔で言った。
昨日の戦いが終わった後は、薄暮の中を村内を駆け回ってオークの残党を狩り、念の為にと夜を徹して交替で見張りをしていたのだ。さらに山中に残った仲間も回収してきた。
おかげですっかり疲れきっている。
ただし周囲から休めと言われて、意地を張って休まなかったのは本人なのだが。
その顔は晴れやかだ。村の危機は去って、家族は怪我こそしたが守り通せた。その怪我にしても――。
「むっ」
グリンタフが微かに鼻をひくつかせたのは薬品臭がしたからだ。
慌てた様子で視線を向けると、ローブのフードを目深に被ったアルケミストが、広場の端を通り過ぎていくところだった。気怠げな足取りであるのは、夜を徹して回復薬を作り続けていたからだ。その素晴らしい手腕は多くの村人を救っていた。
王都からの移動で最初に見た時は不審者にしか思わなかったが、今は全く違う。まさに村の救い神の一人と感謝している。
「おおっ! シュミット殿。お陰さまで、息子の嫁の足も具合良くなりましたぞ」
グリンタフが駆け寄ると、シュミットは小兎のように怯えた。
「えっ……あっはい。それは、良かったです」
「宜しければ、村の宴に参加しては如何ですかな?」
「いえ、その……少し、グライドさんのところに用事が」
「おおっ、それならば引き止めますまい」
もう一人の村の救い神の名を出され、グリンタフは呵々と笑って引き下がった。二人の関係は知らないが、シュミットが若い女性であるため野暮はすまいと思ったのだ。
笑顔で見送っていると、広場が沸いた。
あのパンタリウスが皆に囲まれ、肩を組まれたり持ち上げられたりしている。その騒ぎの中心にカールドンの姿を見つけ、グリンタフは困ったように笑った。カールドンは昔から酒が入ると陽気になるが、その性格は変わらないらしい。
「まあ、今はその方が良いわな」
手にしていた酒瓶をあおり呑むと、グリンタフも騒ぎに向かって歩きだした。息子の嫁と孫を守り通してくれた男を、ひとつ揉みくちゃにしてくれようと思ったのだ。
小道をいくつか抜けて、シュミットは村の外れに向かった。
この辺りのオークは一掃されたが、絶対に安全とは言い切れない状態だ。いつまた、はぐれオークが戻ってくるとも限らない。しかしシュミットに臆した様子はない。それはモンスター避けの忌避剤があるからでもあり、それとは別に安心出来る理由もあるからだ。
土の地面を踏み締め、晴れた日射しの眩しさに溢れている道の先に人影がある。
こちらに背を向けて立っているのは、背が高くがしっりした男と、銀色の長い髪が美しい少女だ。そのグライドとアイリスの姿に、シュミットは足を速めた。
「ここに埋めた」
振り返らないままグライドは言った。
目の前には赤土の付着した、見るからに掘り出したばかりと分かる、平たい石が二つ積まれている。大きさは人の頭ほど。
それはアカとアオの墓だった。
「ごめんなさい」
草の花を手向けたシュミットは、石の前に膝をつき、そっと手を合わせ祈った。
他のオークは全て村人が運んで、谷へと投げ落として処理してしまった。だがアカとアオについてはグライドが一部を回収し、ここへ埋めたのだ。
もちろん村人に対しては、グリンタフに対してすら、内緒のことである。
なぜそんな事をしたのか。
確かにアカとアオは人食い鬼のオークとして、多くの人を殺め苦しめた。しかし、人間とて他の命を奪い生きている。それは種族としての本能であり行動である。そこを考えればグライドは、襲われた村人とは違って完全に憎みきる事は出来なかった。
さらにシュミットとアイリスに頼まれては、女性と子供に弱いグライドが動かないはずがない。斯くして、村が祭りで騒いでいる隙に、こうして墓をつくってしまったのだ。
グライドは顔を上げた。
薄い青味を帯びた空が広がり、なお薄い雲が漂っている。風は微かで暖かかい。
「世界にある運命の流れ」
ふいにシュミットが呟いた。
「師匠から、そんな話を聞いたことを思い出しました。世界には綴られるべき物語が存在していて、それを崩すことは出来ないのだと。そこに登場すべき人物は、役割こそ違えど必ず関わってくるのだと」
「だから、アイリスが起こすはずだった事件が、アイリスの周囲で起きている?」
「詳しくは……きっと私も……物語に関わる人間だったのかも」
「アイリスは心配をしています。アイリスの身の回りで物事が動くのは、運命の流れがアイリスを引き戻そうとしているのではないかと。どうなのでしょう?」
「それは……分からない。でも、可能性はある」
「なるほど」
呟いたアイリスが寂しげに見えて、グライドは手を伸ばして肩に触れた。薄い紫をした瞳は縋るような色を帯びて見つめてくる。かつて語った、孤独に死ぬという運命を恐れて怯えているのだろう。
「ならば、これからも俺を雇っておくといい。少なくとも傍で見ていて、良くない方向に行かないか気を付けていられる」
「はい。どうぞ、よしなに」
「なに気にするな、これは雇用の確保だからな。はっはっは」
冗談めかして笑ったグライドであったが、不機嫌そうなアイリスに脛を蹴られて悶絶する事になった。そんな様子を見ていたシュミットは、くすっと笑っている。
「それなら、私も雇って貰おうかな……回復薬をつくるの得意だから」
凄腕アルケミストが申し出た言葉を心強く想っていると、向こうからパタパタと走ってくる足音が聞こえて来た。グライドは、それが自分の娘のものと直ぐ分かった。
日の当たる小道をフウカが走り、茶色の髪にある一房の白が元気に揺れている。目の前で両足を揃えて急停止すると、喜色に満ちた顔を輝かせ両手を大きく広げた。
「お父さん聞いて、凄いのよ。茸がいーっぱいなの!」
「ほう、そうなのか」
「村の人たちがね。オークの捜索ついでに、この辺りの茸を採ってきてくれたそうなの。それでね、それでね。これから茸料理をいーっぱい用意してくれるんだって! だから早く来ないと駄目よ。カールドンさんとか、思いっきり食べるって宣言してるんだから」
「分かった分かった、そう急かすな」
早口で言うフウカに手を引っ張られ、グライドは楽しげに歩きだす。後ろにはアイリスとシュミットも続いて、何故か毒茸の種類や効果の話で盛り上がっている。話題はさておき気心知れた様子だった。
優しい風が吹き寄せると、墓に手向けられた草の花を巻きあげ、空へと運んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます