第31話 日のくれた西の空に名残りの赤

 近づいて来る一際大きな相手がオークロードだと、アイリスには分かった。大きさだけでなく、他のオークよりも逞しく猛々しく眼には激しい力が宿っていた。

 そして後ろには何体かのオークが続いている。

「参ります」

 ひと声あげて、アイリスは放たれた矢のように飛び出した。軽やかな動きだ。突然向かってくる姿を見るとオークたちは騒いだが、オークロードは黄色がかった眼をぎろりと動かしただけだ。

 人に似た青黒い肌の身体は、筋肉が誇張されたように盛り上がっている。毛の一本もない頭には乳白をした角は幾つもあった。鋭い歯の並ぶ口を大きく開けながら吼え、手にしていた太刀を振り上げアイリスを迎え撃つ。

 だがアイリスの魔力によって加速された動きは、オークロードの予想を遙かに上回っていた。太刀が振り下ろされた時には、浅黒い肌は浅くではあったがハルバードに斬られていた。その一撃を受けた箇所に、少しだが霜が降り凍り付いていた。

 さらにアイリスは軽やかに動いて、後ろのオークを倒していた。直後、振り回されたハルバードが再びオークロードに襲いかかっている。しかしオークロードも巨体ながら身軽に動き、次なる攻撃を躱していた。

 他のオークも援護のため武器を手に殺到する。だが、そこに走り込んで来たフウカの援護による鉄串が飛来する。さらに小柄な身体は小剣を抜き放って突き進む。

「もうっ、無茶しないでよ!」

 フウカの剣捌きは鋭いもので、自分の身を安全な位置に置きながら、右に左にとオークに斬り付けていく。父親から念入りに指導されているだけに、並のファイターやナイトのジョブ持ちを凌駕している。普段は心配性の父親に、あまり剣を使うなと念入りに言われている事もあって、あまりこうした戦いはしないのだが。

 しかしフウカとアイリスは、結局追い込まれたのである。

 オークロードの持つ力と体力、そして何より無茶は二人の想像以上だった。二人を取り囲む仲間のオーク諸共に攻撃されては、もう攻撃するどころではない。

 二人は避けるだけで精一杯となって、次第に追い立てられていった。

 オークロードが左肩につけた太刀を右へと大きく薙ぎ払い、それをフウカは機敏な前転で回避し、その先で下から小剣を振るいオークの一体に斬り付けている。

 しかしアイリスは反応が遅れた。

「あっ!?」

 目の前に迫る太刀に、アイリスは咄嗟にハルバードの柄を盾にして防ぐ。がつんっと恐ろしい衝撃は手から腕までを痛いまでに痺れさせた。勢いに負け押しきられる寸前、自らも後ろに跳んで、勢いをいなす。だが弾き飛ばされた事に違いはなく、銀色の髪を靡かせ空中に投げ出されてしまった。

 両腕は痺れたままで、受け身も取れず地面に叩き付けられる――はずだったが、その身体は誰かに優しく受け止められた。

「全く、なんて悪い御嬢様だ」

 耳元で聞き慣れた声がした。


◆◆◆


 飛ぶように駆けていたグライドは、跳ね飛ばされるアイリスを目にした。

 瞬間的に彼我の位置と速度とを見て取り、右足を思いきり踏みつけ軌道を変更。その勢いのまま追いつくや、手を伸ばし捉まえる。

 腕の中へ掻き抱くようにして受け止め、広場の地面を滑りながら止まった。

「全く、なんて悪い御嬢様だ」

 まさに間一髪で、ついぼやいてしまう。

 だが護衛すべき相手がオークロードと戦ってピンチに陥っていれば、誰だってそう言うだろう。まして、これだけ危ない状況になっていれば、なお当然だ。

「グライド……」

「無茶をした。だが、よく頑張った」

「はい」

「後は任せておけ」

 グライドは言い、ぼうっと見つめてくるアイリスを優しく降ろして向こうに行かせ、腰に差してある剣を抜き放った。

 太刀を構えるオークロードは静かな佇まいで見つめてくる。既に倒したオークロードに比べ、さらに身体が大きく逞しい。黄色がかった眼は強く猛々しく、頭にある乳白色の角も数が多くある。何より感じる圧が強かった。

「アオか……」

 オークロードの顔に、ぴくりと反応があった。

 右手に握った剣を肩に預け、差し伸べた左手で差し招く。

「人の言葉が分かるなら伝えよう。アカを倒したのは、この俺だ。かかって来い」

 怒りとも慟哭ともとれる咆哮をあげ、オークロードのアオが襲い掛かって来た。薙ぎ払われた刃は、唸るような音を響かせグライドを両断しようとする。

 これを弾き返し、グライドは身を沈めて攻撃範囲から逃れた。上手くいなしたが、それでも手が痺れている。再び距離を置いて向かい合う。今の一撃でアオに対する認識を変えている。

 戦い慣れた剣捌きだった。

 荒削りだが技術というものが宿っている。単なるモンスターと思ってはいけない。剣士として相対せねばならない。グライドは目を細め、アオの次の動きを待った。

 青黒い肌に筋肉の盛り上がりが見えた。次の瞬間、下から凄まじい一撃が来た。

 これを足を引いて躱し、即座に踏み込み斬り付けた。ぶつかり合う金属が音をたて、激しく動き回っては位置を入れ替え、また金属がぶつけ合う。見る間に剣の刃が欠け痛んでいく。


 斬り合いながら広場を出て、村の道に出た。

 フウカとアイリスがつかず離れず後を追ってくる。そしてあらかたのオークは倒されているのだろう。恐ろしい激しさで響く音に、村にいた者たちが少しずつ集まり、この戦いを目を見張りながら見つめている。

 両者の戦いは長く続いた。

 気付けば日は沈む寸前で、グライドは息を乱し身体中が痛んでいる。しかし、それ以上にアオは弱っていた。斬り合う間に、幾度も攻撃に成功していたからだ。青黒い肌から青味を帯びた血を流し、それは汗のように垂れている。

 斬り付けてきたアオの太刀は鋭く、躱しきれずグライドは剣をかざして防いだ。激しい金属音がまた鳴り響いた。即座に太刀を動かし、豪腕を活かして胴を狙ってくる。グライドは後ろに跳んで躱した。

 そのとき、アオの体勢がぶれた。踏み込んだ足がふらついたのだ。そこに踏み込もうとしたグライドだったが、実際にはそうせず横に移動している。剣先を背後に向け構えたままだ。

 今の動きは誘いで、アオの攻撃は大きく空振りした。太刀の刃が土を噛む。

 アオは即座に太刀をふりあげ襲ってきた。その足取りは弱く遅く、よたよたとしている。斬り付けてきた太刀は鋭さを残しているが、もはや何の脅威もない。

 次の瞬間、グライドは渾身の力で前に出て跳び、大きく横薙ぎに剣を振った。

 日暮れ時の最後の赤い日射しを浴びた刃が鋭く煌めく。

 それは勢いよくアオの首筋へと叩き込まれ真横に両断した。驚愕に彩られたアオの頭が飛び、地面に落ちて数度跳ねる。一拍遅れ直立していた身体は膝を折り、捩れるように肩から倒れ地響きをたてた。

 爆発するような歓声が、辺りから一斉にわき起こる。

 グライドは剣を杖のようについて喘いだ。立っているのもやっとだった。二人の娘が駆けてくる様子を、ぼんやりと見ている。そして、悪い御嬢様たちは疲れきった男に飛びついた。

 日の暮れた西の空に名残りの赤が漂っている。

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