太陽の魔物⑦

 冷たい空気。それが膨らんだ肺から暖かい二酸化炭素となって出ていく。吸う、吐く、吸う、吐く、吸う……。

「——ッ! カハッ!」

 メルは苦しさから逃れるように上半身を起こした。それに伴って背中と気管に別々の痛みが走る。ゲホゲホと咳き込み、そのままゆっくり身体を横たえる。

 木々の隙間から見える、青い空。生きてる——私は生きている。

「気がついたかい」

 その声でまた飛び起きそうになる。メルの左側、片足を立ち膝にしてゆったりと座りながら遠くを見つめる少女。

「……生きてたの」

「ふふ、随分と失礼な物言いじゃないか。命の恩人に対して」

「アンタが……?」

 ボサボサ頭がニヤリと笑う。

「キミを抱えたまま館を抜け出すのは大変だったよ。こっちも怪我人だってのに」

「館……あのナメクジは!?」

 そう言うと、ボサボサ頭は指を伸ばした。

「全部、焼けちまった」

 メルはゆるゆると身体を起こす。指差した先には、焼け落ちた建物の骨組みだけが残っていた。

「元々古い作りだったからな。火の手が全部に回ったら、あっという間に崩れちまった」

 その言葉で全身の力が抜ける。そのまま芝の上に上半身を落とし、深く息を吐いた。

「アンタ……一体何者なの……?」

 メルは横目で彼女を見つめながら聞いた。攻撃を受けてダメージを負った左半身は全体的に赤黒く腫れており、ところどころ血が吹き出ている。それでもボサボサ頭はあっけらかんと、焦げてほんの少し短くなった毛先を指で弄っていた。

「兵士? どこかの軍隊に所属していた軍人? それとも——」

「クインナー・マジェリッタ」

 その名を聞き、メルはハッとした。

「彼女は元々、あの館に住んでいた”魔女”だったんだろ?」

「……どうして知ってるの」

 その問いには答えず、ボサボサ頭は続ける。

「マジェリッタはこの街の天候を司っていた。厳密に言えば『太陽光の調節』だな。好きな時に好きなように日光を操れる」

「……」

「この街の住人は昔からマジェリッタにおんぶに抱っこだった。自由に日光が操れるもんだから、作物もうまい具合に育つ。他の街が日照りや冷害でてんやわんやでも、マジェリッタのいるこの街ではそんなこと起きない。マジェリッタが全部管理してくれてたからな」

「……」

「マジェリッタはいい奴だったよ。文句ひとつ言わずに毎日日光を調節していたんだから」

 メルは下唇を噛んだ。

「でも、マジェリッタは力を使うことをためらうこともあった……娘を気遣って」

「……そうよ」

 目元を腕で隠しながら、噛み締めるように言う。

「おばさんは、自分の娘のために日光を弱めたの。娘——マリィのために」

 メルの奥歯がギリ、と音を立てる。

「マリィは日光に当たると皮膚がボロボロになってしまう病気だった。外にいるだけであっという間に皮膚が爛れてしまうの。だから曇りの日でない限り、外に出ることを禁止されていた」

 手のひらが自然と拳になる。

「アタシたちが出会ったのも曇りの日だった。昔から親父と折り合いが悪かったからね、しょっちゅう店を抜け出してこの森に来てたんだ。その時に1人で遊んでたのがマリィだった」

 2人の間に爽やかな風が吹く。それと共に、子供の笑い声が聞こえた——ような気がした。

「多分、アタシから声を掛けたんだと思う。だってマリィは綺麗なドレスを汚しながら、木の下に穴を掘ってたんだもの」

 ふ、と口元がほんの少しだけ緩まる。

「あの子、見かけによらず虫が好きでね。穴を掘っていたのも、何かしらの幼虫を見つけるためだった。本当はあったかくないと出てこないんだけど、って顔を泥まみれにしながら不満げに言ってたわ」

 ざあ、と木々が揺れる。こんなに澄んだ空を見たのはいつぶりだろう。

「それから一気に仲良くなって、毎日遊ぶようになった。晴れの日は彼女の部屋で昆虫の標本を眺めて過ごしたわ。指差した虫の名前をすぐに言えるくらい、マリィは虫が大好きだった」

 頬を撫でる風が心地良い。メルは深く息を吸って、目を閉じる。

「彼女には夢があってね。ちょうどこんな晴れた日に、たくさん虫を捕まえるの。曇りや雨の時、虫は葉っぱの裏に隠れちゃうからって」

「でもそれを、母親であるマジェリッタは許さなかった」

「……そう。おばさんはとっても優しかったんだけど、優しい分、マリィがボロボロになっていく姿に耐えられなかったの。だから数時間だけ外に出られるくらい日光を弱めて、遊ばせてあげてたんだけど……それに街のヤツらが怒ったの」

「一応『仕事』として金をもらっていたからな」

 ボサボサ頭を薄目で見る。彼女は先ほどからずっと焦げ落ちた館を眺めている。

「ある夏、冷害が起こった。雨ばかり降ってなかなか晴れやしない。だから街のヤツらは少しの晴れ間を狙って、日光を強くするようマジェリッタに頼み込んだんだ。でもそれをしたらマリィが耐えられない。カーテンの隙間の光でも、皮膚が荒れてしまうくらい弱かったから」

「……」

「だからマジェリッタは部屋を分厚い黒のカーテンで覆って、ここから出ないようマリィに言ったんだ。『お母さんがいいって言うまで、ここを出ちゃダメよ』。マリィは言いつけを守った。守ったせいで——死んだんだ」

 喉が熱くなるのをメルは感じていた。塩辛い水が鼻の奥から垂れる。

「黒いものは日光を吸収する。強い日差しを受けて、カーテンの中は地獄になった。そこに閉じ込められたマリィは、暑さのあまり……」

「やめて!」

 メルは叫んだ。溢れる涙を懸命にこらえながら。

「そう、そうよ。暑さでマリィは茹で上がった。街のヤツらの身勝手のせいで、1人の女の子が死んでしまったの。アタシたちが殺した——アタシたち全員で殺したんだ!!!」

 嗚咽を繰り返すメルを静かに見下ろしながら、黒い少女は続ける。

「マジェリッタも憎んだ。街の住人を、魔女の力を、そして自分自身を——だから”魔物”になった」

 そう言うと、メルは大声で泣き出した。自分たちが侵した罪。利益のために、小さな家族の幸せを奪った罪。

 ボサボサ頭は長く息を吐いた。

「でも——キミのことは恨んでなかったみたいだよ。マジェリッタは」

「……え?」

「体質のせいであまり外に出れない娘と遊んでくれたキミは、マジェリッタにとって救いだった」

「……」

「マジェリッタが最期、私に伝えてきたんだ。『メルを助けて』って」

「……どうして分かるの」

 メルが身体を起こしてそう問うと、ボサボサ頭は静かに右腕を見せた。

 その腕には干からびた左腕がくくりつけられている。指の本数が6本——。

「魔物を倒す方法を知ってるかい?」

 木の根のような腕を優しく撫でながら彼女は続ける。

「魔物の記憶を”読む”んだ。この魔女の栄光の手グローリー・ウィッチズ・ハンドは魔女だった頃の記憶を読み取ることができる。その記憶から昔の名前を探し出し、その名を呼びながら今までの行いを”赦す”。それでようやく解放されるんだ。魔物という『哀れな生き物』から」

「アンタ……やっぱり……」

 ボサボサ頭をした少女が小さく微笑む。

「私の名はジュダ。なけなしの魔物狩りハンターさ」

 

◇  ◇  ◇


 天使、なんていない。

 この世界にいるのは、業を背負った哀れで悲しき生き物たち。

 人間、魔女、魔物、そして——魔物狩りハンター


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グローリー・ウィッチズ・ハンド 遠藤遺言 @yuigon

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