太陽の魔物⑥

 魔物狩りハンターになれる人間はほんのひと握りしかいない。

 魔物を倒すためには並み外れた体力と能力を必要とする。それこそ戦地に赴けるほどの兵士や軍人のように。

 加えて、魔物を確実に仕留めるために使う”武器”はそんじょそこらの武器屋では手に入らない。現役の魔物狩りハンターに弟子入りし、免許皆伝、一人前の魔物狩りハンターとして認められたら、ようやく師から受け取ることを許される。ここまでに有する時間は5年から10年ほど。ほとんどの魔物狩りハンター見習いはその間に脱落するか、魔物にやられてしまうか、のどちらかだ。

 魔物狩りハンター——それは人智を超えた力を持つ、人の形をした別の生き物。


◇  ◇  ◇


「ウッ……」

 腕で鼻を覆う。部屋の中はより一層焦げた臭いがたちこめており、こじ開けられたドアから差し込んだ光が、細い煙の糸を照らしている。

 なにこれ……。

 一歩踏み出すのも躊躇ってしまうほどの異様さ。何もかもを布で覆っている部屋が、その闇とは別の黒で染められている。メルの足元には放射線状に広がったスミの跡があり、それは何かが爆発したことを示していた。

 じゃり……じゃり……。

「……ね、ねえ。そこにいるの?」

 できるだけ声を抑えて呼びかける。しかし反応は返ってこない。

 じゃり……じゃり……。

 このままでは埒があかない。メルは汗ばむ手でマッチを取り出した。

「あ、アタシだよ、メル。アンタを助けに来たんだ……ねえ……」

 それは頼りない火柱に照らされた。

 うつ伏せに倒れている、人。人の影。人であった影。メルは目を大きく開けた。

「なに……これ……」

 青年は、全身を燃やされていた。服や髪などはすべて焼け落ち、顔の中はドロドロと爛れている。子供が作った粘土の人形の方がよっぽどマシだと思えるほどに。

 目と鼻の穴は溶けた皮膚に覆われており、元々口だったのであろう穴からは、ピュー……ピュー……と間抜けな呼吸音が漏れている。

 じゃり……じゃり……。

 その状態になっても青年は、棒切れのような腕を動かして胸元に金貨を集めていた。

 じゃり……じゃり……。

 暖炉にくべた薪のごとく真っ黒になってしまった腕は、動かす度に削れ、床に黒い線を残す。

「ダメ!!!」

 気がつくとメルは叫んでいた。腹の底から湧き上がる嫌悪感を振り払うように。短い時間の中で『仲間』だった青年を「気持ち悪い」と一蹴してしまわないように。

 腕を掴む。助けなきゃ——!

 しかし、その思いはボロボロと崩れていった……彼の腕のように。

「あああああああああ!!!!!!!!」

 勢いのまま尻餅をつく。青年の腕はもはや炭と化しており、強く引き上げたせいで形状を保てず、そのまま崩壊してしまったのだ。メルは己の手のひらを見つめる。青年の腕塊が2かけら、握られている。

「ッ……う、ぐ……おえええ」

 メルは胃の中のものを吐き出した。呼吸をすればするほど、臭いが鼻を焼く。この館に漂う不気味な臭いの正体。

 メルは悟ってしまった。その臭いから感じ取れるかすかな——肉の焼ける臭い。

「っぷ……げえ……」

 キッチンに立って肉を焼いていた日々。その中で散々嗅いだ臭い。

 人間は——牛や豚と同じ臭いがする。

「はあ、はあ……うう、あああああ」

 吐瀉物の水たまりに涙が降り注ぐ。

 どうして、どうして、こうなってしまったの。

「メル! 逃げろ!!!」

 突如、その声は下階から聞こえた。

 はっと我に帰る。後ろ。生暖かい気配の息遣い。メルは鼻水を垂らしながら、ひきつった顔を背後に向けた。

 おばさん、がいる。

 逃げねば、逃げなければやられてしまう。そう頭では理解していても、身体は言うことを聞かない。すっかり力の抜けてしまった下半身からは、生あたたかい液体が流れ出た。

 はは、終わりだ。

 巨大なナメクジの抱擁を受けながら、メルは絶望の笑みを浮かべた。

 押し当てられた丸い腹がオレンジ色に発光し、熱を帯びる。その熱は一気に上昇し、オーブンの中よりも熱い光がメルの背中をじわじわと焼く。

 服が焦げる臭いを感じながら、メルは諦めたように目をつぶった——その時。

 じゃりん、じゃりん。

 その音は暗闇の奥から聞こえた。

 じゃりん、じゃりん。

 メルは目を見開く。金貨の音。刹那、ずるりとナメクジの身体が離れていく。

 どちゃり。ナメクジの分泌液に塗れた身体を見下ろしながら、メルは放心していた。一体何が——。

「間に合った」

 手に金貨を持って、息を切らしている少女。

「アンタ……ッ」

 ボサボサ頭はメルの口を分厚い手袋で塞ぎ、右手の人差し指を口元に当てた。

 その顔には余裕の表情が浮かんでいた。少しだけ目元を緩めると、メルの足元に転がっていたマッチの箱を取り上げ、すばやく火を付ける。そしてとばりの闇にそのマッチを放り投げた。

 ごおおおおおお

 火は瞬く間に広がっていく。青年が焼けた分、空気が乾燥しているのだ。

 燃え広がる橙色の波に、ナメクジは困惑するように首を振った。

「ガアああ嗚呼ああああ」

 ナメクジが咆哮を上げると、ボサボサ頭は自身を覆っていた黒マントを引き剥がした。そこから覗く華奢な身体。丈の短いズボンと半袖の下は、目を覆いたくなるほどの古傷がびっしりと張り付いている。

「よっと」

 軽々とナメクジの背に乗る。それに気づいたナメクジは振り払うようにいやいやと巨体を揺らすが、小さい身体はへばりついたまま動かない。

「助かるね。表面がベタベタしててくっ付きやすい」

 そう言うと、ボサボサ頭は右腕を天高く突き上げる。ごうごうと燃え盛る炎の中、伸ばされた腕には”もう一本の腕”がついていた。

「なに……あれ……」

 メルは口に手を当て、それに釘付けになった。

 ボサボサ頭の右腕の内側には”別の腕”がくくりつけられており、手のひら同士が向かい合うようにしてベルトで留められている。

 まるで『花』、もしくは『獣の口』の形を成した2本の腕。

 それはまさに、救済を求めて両腕を天に差し出した祈り手プレイング・ハンズのよう——。

 ボサボサ頭は、その腕をナメクジの背に当てる。

「ああアアああああ嗚呼嗚呼!!!!!!」

 ナメクジは嫌がるように首を振った。しかし、ボサボサ頭は離れない。しっかりとしがみつきながら、右腕(と誰かの左腕)を当て続ける。

「そうか……貴女は……」

 その言葉ははっきりとメルの元に届いた。憐れむような、それでいて寂しげな……。

 ナメクジはひときわ大きな声で鳴くと、思い切り身体を捻り、ボサボサ頭を振り落とした。

「アンタ!!!!」

 メルが大声で叫ぶ。今や、この部屋だけでなく2階すべてを覆い尽くさんばかりの炎の勢い。その中にボサボサ頭が突っ込んだ。ナメクジは燃え盛る炎の音に混乱し、首を出したり引っ込めたりしている。

 どうすればいい——?

 熱さで呼吸が荒くなったメルは、絶望の淵に立っていた。唯一の希望が倒されてしまった今、どうすることもできない。このままこの館と火の海に沈むしかないのか……?

「助けて」

 熱気に晒された頬にぬるい涙が流れる。

「たすけて……」

 そのまま首を垂れる。これは罰だ、黙っていたことへの。メルは両手で顔を覆った。

 私が、この街が隠した、秘密。それは——。

「あっついな! まったく!」

 その声で顔を上げる。

「もう少しなんだから、手加減しておくれよ……」

 服や髪の毛を焦がしながら、ボサボサ頭が言った。

「アンタ! 無事なの!?」

「無事ではないけどな! メル! とりあえず部屋の外に出ろ!」

「でもアンタが……!」

「私は大丈夫。なんたって——」

 また勢いをつけ、ひょいとナメクジの背に乗る。あの小さな身体のどこにそんな力があるのだろう。

「さあ、行くよ! !」

 ボサボサ頭が叫び声を上げ、右腕をナメクジの皮膚に押し付ける。

あなたは私のもの、私はあなたの名を呼ぶカーラーティ ヴェ・シムハー リー・アーッター——『クインナー・マジェリッタ』!」

 部屋に閃光が走る。雷撃のような一撃はナメクジを打ち、その巨体の動きを止めた。ナメクジは瞬く間に身体が膨らみ、ポン菓子ポップコーンのように内側から弾けた。

 その爆風でメルは吹き飛ばされ、廊下の手すりに背中を打ち付ける。

「ウッ……」

 火の手が回った廊下はメルを引き連れ、そのまま崩れ落ちる。私、死ぬんだ——薄れゆく意識の中、メルが見たもの。それは記憶の中の少女だった。

『メルちゃん』

 表情が分からない少女。差し伸べられた小さな手のひらを掴もうとする。

『バイバイ』

 彼女は——笑った。

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