終章: 春来る
終章: 春来る
日差しが徐々に明るくなり、晴れの日が続いた。凍っていた滝が融け、水の流れるかろやかな音が〈マオールブルク〉城をつつんだ。
ティアナの花園ではユキワリソウ(プリムラ)が紅色の可憐な花をさかせ、クロッカスが紫の花弁をのばし、スイセンは陽光をあつめて金色に輝いた。白樺の月(一月)が過ぎ、ナナカマドの月(二月)が近づくと、家畜小屋のなかで動物たちの出産がはじまった。
城内はにわかに忙しくなった。毎日毎日、羊が、豚が、馬と犬たちが、次々に子どもを産む。厩舎係の男たちだけでなく、下男と侍女たちも、ティアナとクレアも世話にかりだされた。陣痛にくるしむ牝羊の腹をさすり、乾いたきもちのよい
そして、イ・ムボルグ(早春の祭り、浄化祭)の日がやってきた。
死の
〈マオールブルク〉には家長の男性はいないので、例年ウォードかライアンが灯心草を刈っていた。今年も、祭りのためにグレイヴ伯爵がクルトを連れて来てくれた。
干し林檎と蜂蜜を入れて温めた葡萄酒が配られ、
翌朝は
食料の乏しくなるこの時期は、領民に新しいパンを配り、子ども達の健康を確かめる日でもある。ささやかな祝祭が終われば農作業が始まるのだ。
祭りが終わると、クレアとクルトはライアンを誘い、ティアナ女大公の居間に集まった。ゲルデが香草茶を淹れ、チーズのトルテ(タルト)を持って来てくれた。『チビ』は閉め出され、ライアンの愛犬・ネルトとブランに遊んでもらっている。
クルトはかるく咳払いをして、ティアナ叔母に向き直った。
「叔母上……いえ、母上。結婚していただけませんか?」
「え?」
ティアナはお茶のカップを手に、瞬きをくりかえした。ライアンが慌てて言う。
「待て、クルト。ティアナ様は実の叔母君だぞ」
「違いますよ」
クルトは笑って首を振った。クレアと目くばせをして続ける。
「ぼくではありません。叔母上に、グレイヴ卿と、結婚していただきたいのです」
「なっ……」
今度はライアンが絶句する番だった。ぽかんと口を開け、ティアナを振り返り、再びクルトを観て、ぱくぱく口を開閉する。一方、ティアナは真顔になって子ども達を見返した。
クルトとクレアは顔を見合わせ、クレアが話をひきとった。
「わたし達、セルマかあさまが仰ったことについて話し合ったの。わたし達もエウィンおばあさまと同じ孤児だけど、なにが幸せかを知っているわ。それは、おばさまとライアンおじさまがいて下さったからよ」
「お二人が、ぼく達の両親です」
「わたし達、幸せに育てていただいたから、おじさまとおばさまにも幸せになって欲しいの。お二人が結婚して、本当の両親になって下さったら……それで
「二人の気持ちは分かったが、その……ええと、」
わたふたと言いかけるライアンを遮り、ティアナは単刀直入に訊いた。
「いいの?」
ライアンが目をむき、ティアナを
「いいの? あなた達。クルトが大公を
「それは勿論、ひきつづきご指導いただきたいですが――」
クルトは微笑をかみころした。
「結婚したらそれが出来なくなるわけではないでしょう、叔母上。ぼく達は家族になりたいのです。家族になって、より近い距離にいていただきたいのです」
ティアナは手元のカップを見下ろして考えこんだ。
ティアナ叔母は幼くして〈
しかし、ライアンがずっとティアナを想い、彼女と自分達を支えてきてくれたことを、子ども達は知っていた。このままティアナが独身を貫けば、伯爵は別の女性を妻に迎えなければならないが――それは、想像するだにクレアの胸を締めつけた。
それに――クルトは思う。ライアンはセルマを守れなかったことを悔み、「アルトリクスに会わせる顔がない」 と言っていた。アルトリクスは彼に子ども達の将来を託し、セルマは 「ティアナをよろしく」 と告げていった。あれは、両親の思い遣りだろう。
ティアナは小声でひとりごちた。
「いいのかしら。私が決めてしまっても……」
「おばさまの幸せは、おばさまにしか決められないわ」
クレアが微笑む。ティアナは少女のごとく頬を染めてうつむいた。
「でも、私はもう、三十歳よ」
「まだ二十九歳です、お嬢様!」
ゲルデがぴしゃりと言った。口調は厳しいが、気丈な侍女頭の目に涙が浮かんでいることを、クレアは見逃さなかった。
「そんなこと、グレイヴ卿は
ゲルデはティアナの耳に口を寄せ、早口に囁いた。
「年齢をお気になさるのなら、これ以上お待たせするべきではありませんよ」
「そうよ! おじさまがいいって仰っているんだから、気にすることないわ」
「愛しておられるのでしょう?」
クレアとクルトに畳みかけられたティアナは、さらに真っ赤になって黙りこんだ。
いたたまれなくなったライアンが、げほごほとわざとらしく咳をして口を
「そのう、クレア。クルト、ゲルデ殿も……すこし黙って下さらぬか。私が話すことがなくなってしまう」
三人はぴたりと口を閉じ、期待をこめてライアンを見上げた。
ライアンは
「花束のひとつも用意しておらず、申し訳ないのですが……。ティアナ様――我が君」
すうと息を吸って止め、鮮やかな新緑色の瞳で、ひたとティアナを見詰めた。
「私と結婚して下さいませんか。一緒に幸せになりましょう」
「……はい。宜しくお願いいたします」
ティアナが消え入りそうな声でこたえると、ライアンは目を閉じて両手の拳をかため、それを小さく振って嬉しさをかみしめた。クレアは歓声をあげて彼に抱きつき、クルトはほっと息を吐いた。ゲルデは手の甲でしきりに涙をぬぐっている。
その時、
「なに? 結婚じゃと?」
人間たちの足下からしわがれた声があがり、ライアンは跳びあがった。クレアが瞳を輝かせる。
「ジョッソ、グウィン! いらっしゃい!」
「お久しぶりです、ジョッソ殿。お元気そうで何よりです、グウィン殿」
「おはよう、クレア。クルト、お久しぶり」
ティアナの顔から緊張が消え、頬がゆるんだ。
「グウィン、ジョッソ。貴女たち、まだ外に出るのは早くない?」
「おはよう、ティアナ。気になったから早めに来たのよ」
グウィンはふわりと冬毛をふくらませ、白い髭を揺らして笑った。ジョッソはひくひく鼻を動かして、ライアンに詰め寄る。
「聞き捨てならぬ言葉をきいたぞ、
「こんにちは、ジョッソ殿。いや、これは、その――」
ティアナが涼やかな声で宥める。
「私が決めたのです、ジョッソ。どうか認めて下さい。私は、グレイヴ卿とともに生きて参ります」
「……ぐぬぬぬ、ぬおぉ~」
ジョッソはふかもこの体に似合わぬ声で
「この
「それは……非常に困ります、ジョッソ殿」
「父さんったら。いい加減にしてよ、もう」
ライアンがたじたじとなって両手を挙げ、グウィンが呆れ、ティアナとクルトとクレアが笑っていると、窓から陽気な声が入ってきた。
「結婚ですか? やあ、それは嬉しいな。ご馳走が食べられる」
「…………!」
その場にいた全員が、一斉に振り向いた。
開いた窓から風にのって来た
クルトは、ライアンも、思わず立ち上がった。
「レイヴン卿!!」
「はーい。わたしです、クルト坊。クレア嬢もティアナ様も、グレイヴ卿もゲルデ殿も、ごきげん麗しく。〈山の民〉のお二人、お久しぶりですね」
気取った身振りで挨拶をする魔術師を、ライアンは呆れて眺めた。
「貴公、〈
「行きましたよ。ちゃんと、ウリンの人々とアーエン姫をお送りしました。アルトリクス様とセルマ様、ついでに〈影の王〉も、あちらにおられます」
クレアが小走りに駆け寄り、黙ってレイヴンに抱きついた。彼の肩に顔をうずめ、しゃくりあげる。レイヴンは紫の眸を軽くみひらいてから、少女の背を撫でた。
ライアンが続けて問う。
「アーエン王女をアリル公の許へ連れて行けば、貴公の呪いは解けるのではなかったのか?」
「それがですねえ――」
レイヴンは、片手でクレアの肩を抱きながら、もう一方の手をひらひらさせた。
「アリル公とアーエン姫をお逢わせしたら、二人ともすっごく喜んでくださって、ご褒美に現世で暮らす寿命を授けてくださったのです。『これまで迷惑をかけた年月の分、好きに暮らせ』 と。さらに 『アイホルム家を守護する専属の魔術師となって、子孫を導いてくれ』 と、お二人から合計五百年の時間を頂きました」
「五百年?」
クレアは驚きのあまり泣くのをやめ、クルトとライアンは顔を見合わせた。ジョッソとグウィンも、ティアナとゲルデも言葉を失っている。
やがて、ティアナが気をとりなおして微笑んだ。
「……では。また私たちと一緒に暮らせるのですね、レイヴン卿。おかえりなさい」
「宜しくお願いします、
とってつけたような祝辞に、ティアナは声をあげて笑い、ライアンは苦笑した。クレアは再び彼をぎゅっと抱きしめ、うれし泣きしながら笑った。
窓の外でロン(クロウタドリ)が鳴いている。ライアンは 「こんな奴が専属の魔術師になって大丈夫か?」 と目で問うていたが、クルトは幸せな気持ちで春を告げる小鳥の歌を聞いていた。
『塔の上のレイヴン』第一部:「魔犬と少年」
~了~
ここまでお読み下さり、ありがとうございました。
第二部へ続きます。
塔の上のレイヴン 石燈 梓 @Azurite-mysticvalley
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