※※※



「出して」


 馬車に乗り込んでくるなり無愛想に言い放った弟子の姿に、男はローブのフードを深く被ったまま片眉を跳ね上げた。


「おいおい、いいのかよ? 10年振りの再会なんじゃねぇの?」

「出して」


 同じ言葉で答えた弟子は深く座席に腰掛けると印象的な紅の瞳を閉じてしまう。『これ以上の会話はお断り』という合図に軽く肩をすくめた男は、手にしていたマスケット銃の先で天井を叩いて御者に合図を出した。


 ガタンッと一度大きく揺れた馬車は、ガタゴトと音を鳴らしながら城に続く大通りを進み始める。傍から見たら夜会帰りの貴族の馬車に見えることだろう。少なくとも暗殺者の師弟が乗っているようには見えないはずだ。


 馬車の揺れに身を任せたまま、男は目の前に座す弟子の姿を盗み見る。いつの間にか瞼を上げていた弟子は、物憂げな瞳で流れゆく景色を追っていた。


 雪のように白い髪に、ルビーのような瞳。儚く溶けていきそうな繊細な美貌を備えた彼女には、今宵の月光を紡いで織り上げたかのような白いドレスがよく似合う。


 ──暗殺ギルド『レスティ』の『灰かぶり姫サンドリヨン


 馬車の滑落事故現場で成り行きから彼女を拾い、彼女の強い希望で弟子として仕込んだ男だが、その実彼女の素性はほとんど知らない。事故のショックで髪と瞳から色が抜けてしまったことや、元の出自が良い所だということくらいは知っていたが、今日の現場に出るまでなぜ彼女がラトウィッジ王国のカイト王子に執着し、事あるごとに裏から手を回して彼の暗殺を阻止し続けていたのか、その理由を知らなかった。


 ──まさか、王子の婚約者だった、とはねぇ……


 弟子のサポート役として現場に潜んでいた男は、ずっと弟子と王子のことを見守っていた。


 だから、知っている。


 普段氷のように凍てついた顔をしている弟子が、信じられないくらい柔らかく笑っていたことを。その笑みが心の底からのものだということを。彼女がまだ、彼を想っているのだということを。


「……俺なら、できるんだぜ」


 その笑顔を思い浮かべていたら、勝手に口が滑っていた。


「お前を向こうの世界に、元の名前で生き返らせてやることも」

「……なに? 良き魔法使いのおばあさんフェアリー・ゴッドマザーにでもなったつもり?」


 だというのに弟子は、そんな男を冷めた声とともに嘲笑わらった。


「『サンドリヨンの魔法は深夜12時で切れる。だからどんな夢を見ていても、みすぼらしいただの娘になってしまう前に引き上げなければならない』……私にそう教え込んだのはあんたじゃない」


 その言葉に男は瞳を細めた。


 ……そう、確かに教えた。その言葉を彼女に叩き込んだのは、確かに自分だ。


 彼女を死なせないために。……男の想像以上の才を持ち、男以上の技量を会得してしまった、死に場所を求めて彷徨う暗殺姫を、ただ意味もなく死なせてしまわないために。


「灰にまみれすぎた私は、もうアリスの隣には戻れない。だったら私は……アリスを守れる世界に居続ける」


 武器を握ることさえ満足にできなかったただの娘が、今や組織の代名詞になるほどの暗殺者だ。


 何が彼女をここまで成長させてしまったのか……何が彼女をここまで駆り立てるのか、男は今日、理由を知ってしまった。


「私は『灰かぶりの暗殺姫サンドリヨン』。アリスから逃げ続ける、血と灰に塗れた白ウサギ」


 弟子の指先が宙を彷徨い、そっと胸に触れた。その先に隠された『不思議の国のアリス』の意匠の懐中時計を求めての仕草だということを、男は知っている。


 そして彼女がその時計にすがる理由は、今日知った。


「薄汚れてしまった私には、この立ち位置が丁度いい」


 ──……さて、それはどうかな?


『止まった針を、今度は俺から動かしてみせるからなっ!! リディア……っ!!』


 男の耳には、いまだに王子の叫びがこびりついている。


 あの男は、きっとしつこい。『傀儡くぐつ』なんて言われているのはきっと今のうちだけだ。何せ無気力の原因は亡くしたと思っていた婚約者にあるときた。その婚約者が生きていたとなったら、さぞかしあれは化けることだろう。


 ──さて。俺はただ、ハッピーエンドを願いましょうかね。


 弟子の言葉に納得したフリをして、男は馬車の振動に身を任せる。


 深い霧が漂い始めた中を、物語の住人を乗せた馬車は切り裂くように進んでいった。




【END】


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アリスとサンドリヨン 安崎依代@『比翼は連理を望まない』発売! @Iyo_Anzaki

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