リアルライフテスト(XR短編シリーズ)

冬寂ましろ

リアルライフテスト

 夏。大雨。走る。濡れた体。稲妻。何もかもが冷たい。

 住宅街の真ん中なので、雨宿りできそうなところがほとんどない。走りながら避難できそうなところを探す。履いてたスニーカーが水を吸い、ぐちゅぐちゅとした不快な音をかきたてる。

 四つ角を過ぎた後、少し大きめの木が見えた。落雷をふと気にしたが、いまは体をたたきつけてくるこの雨粒を防ぎたかった。

 木の横には一軒の古そうな家があった。玄関ぽいところには、コーラの宣伝が入った赤い帯が入った看板が見えた。喫茶ブラジル。助かった。扉を開く。カチャリ。

 「すみません…」

 おずおずと店の中へ入る。

 テーブルにはステンドグラスのランプ。窓辺にはかわいいアンティークのお人形。鈍く光ったマホガニーのカウンターの奥には、長い髪を大きく束ねたやさしそうなお姉さんがいた。

 「いらっしゃ……、はわっ!!」

 私を見た瞬間、お姉さんは開いた口をそのままにあわててカウンターの奥の階段を駆け上がっていく。

 まあ、こんなんじゃ…。びしょびしょの服からは水滴がぽたりぽたりと落ちていく。とたんに申し訳なくなって声を出す。

 「すみません、雨が止んだらすぐ出ていきますから…」

 「ちょっと待っててー」

 そう言うと、すぐにたくさんのタオルを抱えてお姉さんが階段を下りてきた。その一枚を広げながら私に近づくと、私の頭にばさりと被せ、くしゃくしゃと拭きだした。

 「…あ、あの」

 「うーん、ぜんぜんダメね…」

 タオルで拭きながらお姉さんは思案している。寒さで少し震えている私を見ると、手を握ってくれた。温かい。

 「そうだ、お風呂入っていきなさいな。服は私の貸すから、ね」

 「い、いえ、そこまでしていただかなくても…」

 「女の子が体を冷やしちゃだめよ」

 「…そうですね」

 私は伏目がちに目をそらす。

 「ほら、こっち」

 お姉さんに手を引かれて二階へと上がってく。



 「はああ…」

 温かい湯舟に沈んでいくと、体の奥から何かが溶けだしていく。ふだん見慣れないシャンプーとか見てると、人の家のお風呂ってなんだか不思議な感じがする。ふと横を向くと曇りガラス越しにお姉さんが見えた。

 「着替え、ここに置いておくから」

 「…すみません」

 「困ったらお互い様よ」

 「…ごめんなさい」

 「ふふ。気にしちゃダメ」

 それからしばらく湯舟に浮かんだあと、お風呂から出る。出してもらったタオルで体を拭いていく。肩までかかった濡れた髪を手早くもうひとつのタオルでまとめあげる。

 服を広げる。少し厚手の長袖シャツ。着てみると胸のふくらみがちょっとわかる。綿でできた長めのスカート。細くて白い足がはみ出る。

 お姉さんがひょいと顔を出す。

 「あ、あがった? これ着てた服。ビニール袋に入れておいたから。ごめんね、うち乾燥機ないから乾かせなくて」

 「いえ、ほんとにすみません。何から何まで…」

 「まだ寒い?」

 「いえ、大丈夫です。すっかり温まりました」

 「良かった。ちょっと奥で座って待っててくれる? 下でコーヒー淹れてくるから」

 「あ、あの…」

 「いいのよ、遠慮しないで」

 お姉さんは少し笑いながらそう言うと、階段を下りて行った。



 その部屋の飾り棚には古い真鍮の置時計と一緒に、よくわからないどこかのおみやげ品が並んでいる。ゴフラン織のカーペットが敷かれたそこには少し古い布のソファが置かれ、そばにはレースのクロスが覆っている背の低いガラスのテーブルがあった。薄い磁器のコーヒーカップをそこにおくと、左斜めにあるスツールに座っているお姉さんが私に話しかけた。

 「コーヒーおいしい?」

 「はい、なんだかやさしい味がします」

 「良かった。おばあちゃんの直伝なの。ブレンドはちょっと変えたんだけどね」

 お姉さんが嬉しそうにコーヒーを一口飲む。

 「それにしても災難だったね。こんな大雨。今日は晴れだって言ってたのに」

 「この先の大きな商店街まで行こうとしたら、急に振り出して…」

 「仕方ないわね…。きっと世界が壊れちゃっているのよ」

 「そうかもしれませんね…」

 窓を打つ雨がパタパタという音になって聞こえてる。

 何か話さないといけないのだろうと少し焦る。でも、私はこのおだやかに感じる空気がなんだか好きになれた。

 「コーヒーおかわりいる?」

 「いえ、もう…」

 「ふふ、私、落ち着かなきゃだめね。こうやって話すの久しぶりだから」

 「はは…」

 「そうそう、奥の部屋空いているんだけど使わない?」

 「え?」

 「あ、これみんなに聞いているの。ちょっと部屋が余ってて」

 「それって…」

 「あっ、ごめんね、変なこと聞いちゃって」

 「…いえ」

 「なんだかさみしいのよね。ひとりだとこんな大きな家」

 お姉さんが困ったように窓を見る。

 「やっと雨あがったみたい」

 「…そろそろ帰ります。コーヒーありがとうございました」

 「お粗末様でした。おいしいと言ってくれてうれしかったわ」

 お姉さんに続いて階段を降りていく。

 扉の前であらためてお礼を言う。

 「また来てくれたらうれしいな」

 「はい! 必ず。ありがとうございました」

 私は喫茶店の扉を開けた。外に出る。もう雨は止んでいた。むあっとした夏の空気が襲ってくる。

 扉から手を放す。カチャリ。一歩前に出た。それから私はすうっと消えた。



 暗闇の中「193番の方、3番診察室においでください」という声が響いていた。私はゆっくりゴーグルを外す。目に入る光が黒から白になる。病院のありふれた処置室。消毒液の匂いが襲ってくる。

 起き上がって硬めのベットに腰かけると、首元につけられたトロードを慎重に外していく。それを手に取ったとき、看護師さんが入ってきた。

 「あ、兎賀さん、終わりました? いま先生来ますから待っててくださいね」

 私が返事する間もなく、看護師さんは外へと戻る。

 机にXRの機材を元あったように並べる。それからしばらくしたら白衣を着た南里先生がやってきた。

 「こんにちわ、兎賀さん」

 少し低めの声で元気よく言われる。長めの黒い髪が揺れる。少し高い身長と細いメガネが少しキツい印象を持たせている。患者には厳しいという評判を何度も聞いてて、私はちょっと身構えてしまう。

 「先生、よろしくお願いします」

 「はい、じゃ、ちょっとログを見ていくから、そこで座っててね」

 机にあったモニターを操作する。その画面越しにいままでの私の振る舞いが早回しで見られていく。

 「この発言はいいね。そんなに不便はなさそうかな?」

 「はい」

 「ああ、これは大変だったね。なんでも気象プログラムの不具合とかで、全世界で困ってたそうだよ」

 「そうですか…」

 「喫茶店の人、やさしくて良かったね」

 「助かりました」

 それからは先生は、私が何を話したのか、それを周囲がどう反応したのかをただ無言で見ていく。その沈黙が私を不安にする。先生に小さく聞いてみた。

 「…私は女の子になれますか?」

 「その質問はなかなかむずかしいな。性自認ははっきりしていて、不登校や第二次性徴期のエピソードはよく見られるものだし、君は未成年だけど20歳を過ぎれば手術できるだろう。ただ、それは元の性を薄めてるだけで、生物学的特徴はどうしても残る」

 「…はい」

 「今やってもらっているメタバースでのリアルライフテストは、君が望む性になった場合でも生きていけるか調べているんだ。実際の社会でいきなり試すよりは負担が少ないからね。なによりこうしてログを振り返りながら確認できる。身体フィードバックの解像度も高めだから、評価の信憑性も高い。医者としての私は、君が楽に生きていく方法をこれで考えているんだ。どの性で生きていくかは、それ次第なんだよ」

 「……はい」

 「まあ、もうちょっと自信があったほうがいいけども。ああ、そういう意味では喫茶店に部屋を借りてもいいかもね」

 唐突に先生がモニターの電源を落とす。

 「これからは2週間に1回の通院でいいから」

 その言い方に何か見放された気がした。

 先生が立ち上がって部屋を出ると、入れ替わりに看護師さんが入り、私に事務的に声をかける。

 「兎賀さん、レンタル申請通りましたから、受付でXRの機材をもらってください。マニュアルあるので、それ見ながら自宅でテストを続けてくださいね」



 自宅にまっすぐ帰るとそのままベットに倒れ込んだ。横たわったまま節々が少しゴツゴツとした手を天井にまっすぐ伸ばす。

 女の子に見られたい。だって女の子なんだから。体がそうじゃなくても。

 じゃあ女の子ってなんだろう? なんだかちっともわからない。

 私は何になればいいんだろう。どうしたらみんな許してもらえるんだろう。

 「このまま消えてしまわないかな…」

 しばらくそうしていたら、おなかが空いてきた。起き上がってもう暗くなった部屋の真ん中にぼんやりと立つ。

 「そっか。母さんはもう帰ってこないんだった」

 これはなりたい自分をねだってしまった罰なんだ。

 台所に行くと、冷蔵庫にあった少し端が干からびたスライスハムを口に押し込み、ペットボトルの水でそれを胃へと流し込む。口元から水が一筋垂れていく。

 「暖かいものが食べたいな…」



 喫茶ブラジルの2階にはごちそうがあふれていた。湯気が立つ鳥の丸焼きを中心に、お寿司に、ホールのケーキまで。

 「どうしたんですか、こんなにたくさん…」

 「形よ形。だってお祝いなんだから。まあ、本当のおなかが満たされるわけじゃないけどね」

 「…でも」

 「ほら座って」

 「…はい」

 「改めまして。私は羽鳥真帆。部屋を借りてくれてありがとう。これからよろしくね」

 「…あの、…その。よろしくお願いします。兎賀絆です」

 「よろしくね、絆ちゃん」

 「…それで、その…。契約書にあったんですが…、これで本当にお金いらないって…」

 「そう、それ。…言ってくれる?」

 「…お母さん」

 それを言うと羽鳥さんは、ひあっとうれしそうに笑う。

 「ありがとうね。私、娘が欲しかったの。リアルだと子供が作れなくて。でも、本当にいいの? 私のわがままだし、ちょっと気味が悪いと思われても…」

 「…いえ! そんなことぜんぜん…。私も…」

 と言いかけたとき、ひとりの幼女が目の前にひょいと現れた。

 「ほほお、これはなかなか。うまそうじゃの」

 「うわっ、誰!」

 「なんじゃい、そんな驚かんでも」

 ぷくーとほっぺたをふくらます。ぴょんぴょんとしたツインテールが揺れる。言葉と容姿がちっとも合ってない。

 羽鳥さんが幼女を抱えながら話し出す。

 「この子は、渚ちゃんと言って、私の知り合いの子なの。この子も今日から一緒に暮らすから仲良くね」

 「え、え…」

 「まあ、絆ちゃんの妹になるのかな」

 「妹…」

 うーん、まあ姿的にはそうだろうけど…。いきなりすぎて…。

 「ふむ、お前さん、このワシが妹になることが不安じゃとも? まあ、そう思われても仕方がない。じゃが、ワシが妹になったあかつきには、もう退屈とはおさらばじゃ。あっはっは」

 「…お母さん、妹がのじゃろりだよお!」

 「あらあら」

 2人のお母さんになった羽鳥さんは幸せそうに笑う。



 病院の診察室で、このあたりのやりとりを先生に見られるのは、微妙に恥ずかしかった。先生はログを何度も真剣に眺めながらつぶやく。

 「疑似家庭ですか。それはそれで良いですね」

 「はい…」

 「みんな何かが欠けていて、それをメタバースで埋め合わせる。その結果、リアルでもQoLが上がる。よいかと思いますよ」

 先生はそれだけ言うと、またログを見始める。

 欠けているもの? 私は? お母さんは? 渚は?



 「なんじゃい?なんか顔についているかの?」

 ソファーに座っている私のふとももの上には、妹になった渚の顔がある。神出鬼没で、気が付くといなくなっているけれど、姿を見せればすっかりここが定位置になっている。

 2か月も経つといろいろと慣れてきた。午後からメタバースに入り、お母さんとなっている羽鳥さんといっしょに喫茶店の手伝いをし始めた。コーヒーの淹れ方もだいぶ詳しくなったし、店に来ている常連さん達には「母娘でがんばってるねー」とよくしてもらっている。すっかり娘として暮らしている。そう思われている。そのことがだいぶ気持ちを楽にしてくれる。ただ妹だけは…。

 「ねえ、渚には何か欠けてるものはあるの?」

 「藪からスティックに何を聞くかと思えば…。そんなもんたくさんあるじゃろ」

 「そうなの?」

 「みんなそんなもんじゃ。変なこと聞くもんじゃないぞよ」

 「でもさ、お母さんには子供で、私には…」

 「ソーメンズ」

 「は?」

 「これ見てみぃ」

 広げていたウインドウをぽんと渡される。それから1時間。ひたすらお笑いコントの動画を見せられた。シュールなんだけどその微妙な空気が笑わせにくる。ふたりで息ができなくなるくらい笑った。

 「…絆ちゃん、どうしたの?」

 手伝いの時間になっても下に来ない私を心配したのか、お母さんが様子を見に来た。

 「お母さん、渚が…」

 そこまで言うと、ぼそっと渚が言う。

 「六甲おろし」

 「六甲おろさず」

 「…うーん、チェックメイト」

 それだけで渚とふたりでくすくす笑いだす。わけがわからず困った顔をして母さんが言う。

 「もう、羽鳥家集合!」

 これは我が家のルール。言われたら母さんの前に行く。そうしたら渚といっしょに母さんが抱きしめる。

 「ふたりともお母さんに隠し事はだめよ。むぎゅーの刑に処す!」

 母さんがふたりを抱きしめる。ちょっと苦しい。3人とも笑いだす。渚がケタケタ笑いながら言う。

 「ほら、欠けているものなんてすぐ埋まるじゃろ」



 「集合ですか…」

 先生がログから目を離さず言う。めちゃくちゃ恥ずかしくなる。自分ちの何気ない決まりごとをよその人に見られるのが、こんなに恥ずかしいなんて。

 「ここまで見ていると、メタバースの中では女性として無理なく振舞われていますね。とくに意識しているところはありますか?」

 「いえ、そのままでとくに…」

 「なるほど、素なのですね。周囲も女性として認識している。このまま女性として暮らせると思いますが、気持ちはつらくありませんか?」

 「それは…」

 「リアルでは容姿が問題にされることが多くあります。メタバースではそこはクリアしやすいのですが、そのリアルとの差に悩む時期が出てきます。そろそろ次を考えてみては?」

 「…お母さんと話してみます」

 「それはどっちの?」



 「お母さん、私ね、私の中身は…」

 そこまで言うと、向き合っていたお母さんは人差し指で私の口を塞ぐ。私が戸惑っていると、にこやかに笑いかける。

 喫茶ブラジルの2階には夏の日差しであふれていた。それが私とお母さんを照らしている。

 「ほら、後ろ向いて」

 振り向くと私の髪を触る。お母さんは、ブラシを手にすると、私の髪をゆっくり梳かしていく。ゆっくりゆっくり、たいせつに。

 「女の子って何でできてる? お砂糖、スパイス、素敵な何もかも。それでいいのよ。本当のことは誰にもわからないことなんだから」

 「でも…」

 髪を丁寧に編まれていく。お母さんの手が私の髪に触れ、やさしさで包んでいく。

 「できた。ほら、かわいい」

 手鏡を渡される。そこには私であり女である自分がいた。

 「大丈夫。何があっても、あなたは私の娘よ。いつでも見守っているから」

 そう言うとお母さんに軽く抱きしめられる。その温かさで私のつまらない部分が溶けていく。



 「それでそういう格好になったわけですね」

 初めてスカートを履いて診察室に来た。こんなことをしていいのか何度も自分を問い詰めた。それでも…。

 「リアルではいろいろな問題がそのままです。でも、なりたい自分を見守ってくれる人がいます。だから私はこれを…、このままでいい自分を…」

 「なるほど。テストは良い結果になりましたね」

 先生はふいに立ち上がる。

 「お疲れ様でした。テストは終わりです」

 次の診察予約はもう取れなかった。



 雨上がりの住宅街。少し涼しい風が吹く。あちこちに水滴。きらきらした世界。透き通っている感じ。

 それをきれいだなと思えるようになっていた。

 いつものように少し歩いて喫茶ブラジルに行く。ガチャ。ん? 扉に鍵がかかっていた。普段はもうお店が開いている時間なのに。

 渡されていた鍵を使う。合わない。

 どうして…。

 呆然としていたら、いつの間にか来ていた渚が私の袖を引っ張っていた。

 「丸ごと売り払ったそうじゃ」

 「どういうこと?」

 「もう会えないということじゃよ」

 「なにそれ…。そんなのって…」

 「幸せってなんじゃろうな? たしかにそこにあったのに、消えるのは本当にあっという間じゃ…」

 「だめだよ、渚。それはだめだよ」

 「ほお。なら、どうしたいんじゃ?」

 「お母さんを探す」

 「ふむ…。まあ手を貸してやれなくもないがのう」

 今度は私が家族を、幸せを与える番だ。



 渚から聞いたヒントをもとに、いろいろな人に聞いていろいろなことをした。発信者情報開示請求とかなんとか。

 そしていま扉の前にいる。インターホンのチャイムを鳴らす。カチャリ。扉が開く。

 「早かったですね。入りなさい」

 「あなたがお母さんだったんですね、南里先生」

 マンションの一室は本当にシンプルで生活している感じがなかった。そっけないテーブルに座ると、先生からコーヒーをもらう。その味や香りは喫茶ブラジルのと一緒だった。メタバースで唯一感じられなかった熱い液体が喉を過ぎてく感覚が、新しくて不思議に思えた。

 先生は白いカップを握りしめながら話し始めた。

 「あの喫茶店は祖母の持ち物でね。だいぶ昔にNFTによるメタバース内の資産流通が流行った頃に買ったそうだ。祖母が亡くなったあと、私が受け継いだけれど、どうにもさみしくてね。店は続けたものの、プライベートの場だから、事情を知らない知人を呼ぶのも気が引けた。そこに君がたまたまやってきた」

 私はコーヒーを見つめながら言う。

 「先生は…、私と同じなんですね」

 「…そうだよ。だからこそ自分と同じ病を抱える人たちを直そうと医者になった。それでも満たされない想いはあった。子供が産めなかったり、家族を持つことが難しかったり。世間の目はずっと厳しい。どんなに学んでも自分自身は救えないと痛感したよ」

 「…なら、どうして」

 「君を救っていたあの場で、私も救われていたんだ。渚も。でも、仕方がなかったんだ。君は患者であり、私は医師だ。このまま関係を続けられない」

 「でも! でも…。あの場で話してくれていた言葉は、嘘じゃなかったと思います」

 「それは…」

 「先生、私たちは家族として支え合っていたんです。みんな嘘でできた仮の物でも、言葉は本当だった。だからメタバースが無理なら…」

 「リアルでも家族を続けられないか、ちょっとは考えたさ。でも…」

 ふいに玄関の扉が空く。

 「真帆りん、ちぃーす。あ、絆ちゃん、やほー」

 「看護師さん!なんで!」

 「こほん。なんじゃい、そんな驚かんでも」

 「ああああああああああっ!のじゃろり!!渚!なんで!」

 「おめでとう。こいつに口止めされていたからズバリは言えなかったのに、よく探しあてたね」

 笑いながら私の頭をガシガシとなでられる。

 「ねえ、絆ちゃん聞いてよ、こいつ、勤務中のメタバース利用で謹慎くらってやんの。ふてくされて全部売っちゃうし。あはは」

 「わ、私のせい?」

 「毎日来てたからね。まあ、みんなあそこが居場所だったのさ。でも君がいたおかげで医療行為で押し通したから罰は軽減されてね」

 「そうなんですか…」

 「まったく。私みたくうまくやればいいのに」

 「渚!」

 「はいはい、羽鳥家集合!おまいら全員むぎゅーの刑!」

 看護師さんが私たちを抱きしめる。

 「テストは終わり。テスト結果は花丸です。これからもずっと!」

 3人で笑い合う。きっと大丈夫。私たちはきっと。





あ・と・が・き

雨上がりの夏を抱きしめるような話を書きたいなあ…と思ってたのでした。


う・ん・ち・く

リアルライフテストというのは性同一性障害の治療ガイドラインでは実生活経験(RLE)として実際にあるものになります。

身体的特徴が整わないまま望む性で実際に暮らしてみて大丈夫そうか医師が見るもので、自分がやったときは「いや意味はわかるけれど、これはちょっとつらいな…」と思ったものでした。

別に医師が異性に見えるようになるポイントを教えてくれるわけではないしね…。性別違和の元凶はそのままだし。いろんな人の支えが必要でした。心的にも。そんなことを反映させてみました。

身近にそういう人がいたら、どうか支えてあげてもらえたら。


参考文献

性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン 第4版

https://www.jspn.or.jp/modules/advocacy/index.php?content_id=23



推奨BGM

ねごと「雨」

リリィ、さよなら「シアワセな機械」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

リアルライフテスト(XR短編シリーズ) 冬寂ましろ @toujakumasiro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ