最終話:甘露に咲く花

 ◇ エピローグ ◇


 およそ一年が過ぎた、ある日。城の裏手へ作られた新しい広場に、水の都ワタンの住人が集まった。

 また雨季に入る時期だが、空へ雲一つ見えない。


 柵で隔てた向こうに、あの争いで亡くなった者の墓地がある。それらの土地を平坦にする際、数千人分の骨が出てきたのはまた別の話だ。


法皇ほうおう猊下げいか。サンドレアの民の総意を汲み、即位を祝福させていただきまする」


 墓地の入り口に建つ鎮魂の碑を前に、跪くのは八人種の司祭たち。声を発したのはコルピオ。最年長という以外に、人選の意図はないそうだ。

 彼らの顔が向く先には、戦棍を握ったロタが立つ。今、サンドレア帝国の歴史が閉じた。これからはサンドレア法国として、天空神の教えを第一とした国作りが行われる。


 代替わりした蜥蜴人の司祭によって、彼女の額に赤い宝石が贈られた。略冠と聞いたがあまりに大人しく、組紐で拵えたよくある額飾りにしか見えない。


「良くお似合いです」


 と、隣に膝を突くワンゴの意見には賛成だが。


「みんな、集まってくれてありがとう。来れなかった人にも、これから話すことを伝えてほしい」


 法皇となったロタの第一声は、今朝までの彼女と変わらない。澄んだ音色の鈴を鳴らしたようで、離れた者の耳にも優しく届く声。


「みんなの考えてくれた、法皇という椅子に座ることにしたわ。でもこれは、私が偉いという意味じゃない。みんなの祈りをサンドラに伝える役目なの。だからみんな、どんどん聖殿に来てね」


 構想段階では、これが彼女の言いたいことのほとんどだった。しかし俺は短すぎてありがたみがないと言い、ではと相談したコルピオも同じく答えた。


 老司祭の薦めに従い、延長した言葉が披露されていく。お世辞にもしどろもどろで、言わんとする「とにかく頑張る」のは伝わったはずとしか俺には言えない。


「ではな有名人。と、本当に知らぬ者が居なくなっては、皮肉にならんな」


 式典が終わり、三々五々。ロタの周囲にだけは多少の護衛が付いたものの、司祭も民も自由に散らばった。

 多くが掃除でもと墓地へ入る中、三眼人と魚人は早々に姿を消した。前者は港の町ポルトへ、後者は魚人島へ。一人たりと、水の都ワタンに住まない。


 直々に言葉を交わしたい者の列が、ロタの前にずらり。付き添いと半端な役目の俺は、護衛のふりで付近をうろつくのみ。

 そんな男に声をかける物好きは、コルピオくらいのものだろう。


「なんだ、もう帰るのか。それから皮肉とはな、当人にそうと言わんものだ」

執政官しっせいかんなどと、お前が面倒な仕事を押し付けるからよ。銭勘定はともかく役人の取り纏めもとは、忙しくて敵わん」

「考えたのは俺だが、コルピオにと決めたのはロタだ」

「だからとっとと帰るのよ」


 ずい。と六つの眼で迫り、老司祭は去って行った。どれが本物でどれが偽物で、どれが遠耳の玉なのか見分けはつかない。

 港の町ポルトを治めるのが忙しいのは、もちろんだろう。遷都こそ取り消しになったものの、移動させた経済的な施設はそのまま運用される。

 死ぬほど、と加えてもいいくらいだ。


「エッジ、猊下と呼ばなければ。言いつけますよ」


 今度は自分の番とばかり声をかけたワンゴは、少年の印象で変わらない。白くふわふわの尻尾が、ぶんぶんと揺れる。


「固いことを言うな。お前はゆっくり出来るのか?」

「そうもいきません。ボクが居ないと、主がサボってしまうので」


 着いてこいとも着いていけとも、誰も言わなかった。しかしコルピオが水の都ワタンを出立する日、ワンゴは小さな袋を背負って後を追った。

 まあ、あの足にかかれば二日の距離だ。それほど気負いはなかったのかもしれない。


「苦労するな。あまり抱え込むと禿げるぞ」

「ええ? きちんと給金を貰えれば、苦労なんかじゃないですよ」

「お前はそうかもしれんが、まあ無理をするな」

「あなたのお守りより、よほど楽です」


 耳に痛い言葉を残し、ワンゴも背を向けた。そろそろコルピオの姿が見えなくなる。一目散の尻に、千切れそうなほど尻尾が振られた。


 それからロタが自由になったのは、真昼に差し掛かった。彼女は鎮魂の碑に祈りを捧げ、墓地へ足を踏み入れる。

 どこへと問う必要もない。あれから毎日、欠かさぬ日課だ。


「今日で最後にするわ」

「気が済んだのか」

「いつまでやっても済まないと気付いたの。時々、気が向いたらにするわ」

「ああ。きみの手間を取るのは、奴の本意でなかろう」


 一眼人ばかりを並べた中に、チキの墓もある。ロタが刻ませた言葉は『愛すべき頑固者』と。

 掃除の邪魔をせぬよう、人の合間を縫って進む。すると目指す位置に、しゃがみこむ者が居た。


「ニクも来てくれたのね」


 ロタは笑顔としかめ面を往復し、結果真顔になった。迎えて立った男に苦笑させ、むしろ良かったかもだ。


「そりゃあロタさまの即位となれば。もう見られんでしょう」


 昨年の雨季の過ぎた後、ニクは釈放された。住む場所も持ち物も没収され、好きに生きよと放り出された。

 三眼人の放棄した家に潜り込んだらしいが、実際に見てはいない。久しく会った姿を見れば、衣服がくたびれたくらいで見苦しくはなかった。


「これから旅に出ます」

「どこへ行こうと言うの」

「遠くへ。いや、なるべく多くの街へ」

「戻ってくるの?」

「そのつもりですが、何年先になるか」


 言葉の通り、ニクの視線が遠く投げられる。それは南、大陸の広がる方向へ。


「なんのためか、聞いてもいいのかしら」

「雪を見に行こうと」

「ええ?」

「皇帝陛――ディランドは雪の降る様を知っているようでした。俺は知らない。国が豊かとか貧しいとか、水の都ワタンだけを見て分かったつもりでいた」


 地下牢でひと言も発せず、ぎらつく眼の死なぬ男の名をニクは口にした。

 参考とする相手はともかく、引き留めようのない言い分と思う。きっとロタも同じに感じたのだろう、「そう」と小さく頷く。


「出発の前に教えてください。あなたへの忠誠に殉じるのが、サンドレアの豊かさですか」


 チキの死をどう捉えているか、ロタの気持ちを聞いたことはない。

 俺が答えるなら、「そうではない」と。そもそも忠誠に殉じてなどいないと思うから。


「チキが守ったのは、忠誠心じゃないわ。彼はいつも、自分の役目はなにか。それを最大限に果たすのはどんな行いか、考えていた」

「死ぬのが役目と? そんな馬鹿な」

「ええ、馬鹿ね。あの時私の輔佐として正しい行動は、枷にならないこと。すると生きていたら務まらない、とでも考えたのよ。やりすぎだわ」


 さすが、疎まれていたチキを用いただけはある。ああ、いや。こんなことを言えば自画自賛になってしまう。


「自分に出来ることを精一杯に頑張る。そうすれば周りの人が不足を助けてくれる。チキには後半を伝えてあげられなかったけど、私の思う豊かな国はそういうもの」

「それなら領地を広げることだって――」


 反論をニクは最後まで言わなかった。見上げる姉から目を逸らし、チキの墓碑に険しく眉をひそめて見せる。


「……ややこしいことしやがって」


 言い捨て、俺たちが来たのとは別の方向へ歩き始める。その背にロタの手が伸びかけたものの、なにも言わず下ろされた。


「姉さん、安心してください。小さいうちに顔を見せなきゃ、叔父と呼んでもらえなくなる」


 振り向きもせず、ニクは墓地を出て行った。やはり南へ、なんの荷物も持たず。


「サンドラの光があの子から遠退いて、言うべきか迷ったの」

「皇帝の策略に乗ったころ、だろうな」

「たぶん、そう。でも自分に見えないものを指摘したって、かわいそうと思った。あの子なりに一所懸命なら、あの子のせいじゃないと思った」


 小さくなっていく背中を眺める視線は、苦しげに細められた。

 気持ちは分かる。向かないものをやらせて「なぜ出来ない」とは、指揮官が悪い。


「ニクなりに懸命だったのは間違いない。従う相手を誤っただけだ」

「そうね。今度はじっくり選んでほしい」


 見えなくなるまで、彼女は動かなかった。目の前でおあずけを食らったチキに、少し同情してしまう。

 まあまあ奴のことだ、「ロタさまの良いように」と文句も言うまいが。


「チキ。ゆっくり休みなさい」


 墓碑を見つめ、ロタが言ったのはそれだけだった。弟を見送った半分も向き合わず、城へ足を向ける。

 ニクにはああいったものの、きっと気持ちが折り合わないのだろう。

 彼女が自分を責めても詮ないが、ありがとうと割り切れるものでもない。これと対策も打てず、時間に任せるのみだ。


「あら、雨乞いの花が」


 墓地の端に、泉がある。元からあったのでなく、整地の最中に湧いたらしい。

 鯉を放しても、五匹ほどで手狭になろう。その真ん中へ一本、泥の底から花が伸びていた。


 縁のところが少し紫に染まった、白い花。別名を水芙蓉と言う、蓮の花にそっくりだ。冷たい水に凜と咲く姿まで、芙蓉子に似ていると思う。


「俺の祖国とまた違う国の言葉で、この花をロータスと言う」

「私の名前と似てるわ」

「ああ、初めて名を聞いてすぐに思った。大輪を一つ、潔く咲かす様も似ている」

「な、なにそれ」


 頬を赤くし、泉の縁までロタは逃げた。少女のような振る舞いも、また彼女らしい。


「ねえエッジ、蛙よ。この時期、珍しいわ」

「ほう? この土地にも蛙が居るのだな」

「雨季が終わればたくさん出てくるけど、去年はね」


 指さし、はしゃぐ素振りでごまかす。そんな彼女を楽しませてやりたくなる。うっかり昨年を連想させた詫びとしても。


「捕まえてみるか?」

「いいえ。まだ小さいもの、食べるには早いわ」

「食うのか」

「そうよ。サンドレアの蛙料理は、けっこう有名なの」


 驚いた俺に、きょとんと。首をひねったロタは、「どうしたの?」と微笑む。


「そうか、食うのか。ははっ、わははは!」

「ねえ、なあに? なにが面白いの」


 ひたすらに笑った。すると彼女も「わけが分からないわ」と笑った。


「法皇猊下と皇配おうはい殿下が笑ってらっしゃる」


 近くに居た民も、笑い始めた。最初は怪訝にしていたが、羨ましくなったに違いない。

 ニクに言えば、そんな馬鹿なと言われるだろうが。笑え笑えと俺は願った。

 白い砂ばかりの景色に、これほどの笑声はきっと久しい。だから、笑うがいいのだ。


「猊下。殿下。そろそろ戻って結婚式の計画を――」


 護衛の二人が痺れを切らそうとも、今は。



―我が生涯を愛する妻に捧げよう 完結―

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我が生涯を愛する妻に捧げよう 須能 雪羽 @yuki_t

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