グラジオラスの花弁

つるよしの

グラジオラスの花言葉――密会・忍び逢い・愛の祈り etc.

 どういうわけか、私は物心付くまえから、たくさんの生き物を「ころして」いたらしい。


 私にその気はないのである。まったくもって、誓っても良い。私にその気はないのである。

 だが、私が日直の日、教卓の花瓶の花は必ず枯れる。

 それまでどんなに美しく咲き誇っていた花であってもだ。またたく間に汚れた花弁になり、床に降り落ちる。


 さらに、学年が上がると、私のその力は深刻なものとなった。生き物係にうっかりなれば、水槽の金魚は白い腹を浮かべるし、ちいさな小屋の兎は、野犬に襲われ血まみれの姿で息絶えた。


 かといって、その禍々しい力に反して、私は美しい娘、だった……というわけでもない。私は容姿も才能も凡庸な娘だった。生き物を滅ぼす代わりに、その命を吸って自らを満たすタイプの、いわばヴァンパイアのような化け物でもなかった。

 ただ、ただ、滅ぼしてしまうのだ、関わった生き物のいのちを。私の意志とは何の関係なしに。


 そして、私の住んでいたような田舎では、あっという間にその噂が回る。

 よって、いつしか私は、学校の友達だけでなく、近隣の住民までにも近づきたくないと罵られ、遠ざけられ、小学校は辛うじてまともに行けたものの、中学は殆ど登校できず家で過ごした。その間も家の田畑の手伝いなどしてみたのだが、私が触れた菜花や瓜も、全くもって見事に成熟を待たずに腐りゆくのだ。


 家族にも忌避された私は、居場所をなくし、私は15の春、逃げるように都会に出ざるを得なかった。だが、そんな私にまともに稼ぐ力もあるはずもなく、私は、ほどなく身体を売って生き延びる術を覚えるに至ったのだ。


 だが、結局は同じであった。

 私と交わった男はみな、性交のあとにかなりの確率でいのちを落としてしまうのである。

 そのパターンは様々で、ホテルを出た途端に脳卒中を起こし死に至った男もいれば、私を抱いた帰り道で、交通事故に遭って死んだ男もいる。ホームから転がり落ちて轢死した男もいる。


 だけど私が自分を買った男の顛末を風の噂で知るのは、ほんの僅かな例に過ぎず、その行く末を知らずに別れたままの男もまた数多くいるから、私が知っている以上に私が「死に至らしめた」男は、もっと数多の数に上るのかも知れない。


 そんなある夏の夜。いつものように繁華街にてをしていた私は、激しいゲリラ豪雨に襲われた。

 私はその夜、ちょうど悪いことに傘も持ち合わせていなかった。私は雨を遮るのを半分諦めて、濡れ鼠になって夜の街を歩いていた。


 白いワンピースからはブラジャーのラインが透けてみえるだろうが、それも男の気を引くには良いことかも知れない、となどともぼんやり思いつつ夜の街を彷徨う。

 すると、私に声をかける人があった。


「お姉ちゃん、こっちくるといいよ」


 見ればネオン街の交差点の角に、ちいさな……4坪ほどだろうか……の花屋があり、そのなかのおばさんが手招きしてくれたのだった。私は躊躇いながらも髪から雫を落としながら、小走りでその空間に逃げ込んだ。


「いきなり降ってきちゃったねえ。あんたも災難だね、雨宿りしてお行き」


 おばさんは私に、そう言って笑った。

 色とりどりの薔薇やガーベラ、カーネーションといった花いきれに煙る狭い店の中には、同じく雨宿りしているサラリーマンらしき中年男性もいる。


「最近はこういった夕立多いね」


 男性は私にそう笑いかけると、手元のスマホの、豪雨レーダーに目を戻し、そして呟いた。


「ああ、あと15分くらいで止みそうだ」


 その言葉通り、それから、10分ほどのち、やがて雨は小降りになってきた。交差点を流れゆく傘の花も少なくなっていく。

 すると、男性は紅色のグラジオラスの花束を一束手に取り、千円札を1枚渡しながらおばさんに言った。


「これください」


 お店のおばさんが言う。


「あら、雨宿りのお礼ならいいんだよ」


 すると男性は照れくさそうに笑って言った。


「いや、そうじゃないんだ」


 そして男性は花束を、なんと、私に向けたのだ。


「はい、お姉さん、これ持って行きなさい」

「え?」

「なんか、あんたね、元気なさそうに見えたからね、これ持って帰ると良いよ」


 私は戸惑った。この男性はどういうつもりなのだろうか。これは、私を誘っているのだろうか。私と寝たいのだろうか。


「あの……」

「いや、お代は良いから、それじゃ」


 男性は口早にそう言うと、雨上がりの夜のネオン街を駅に向かって駆けていった。

 歩道の水たまりの上を、パシャパシャと音を立てて。


 グラジオラスを片手にアパートに帰宅した私は、そばにあった空のペットボトルに水を入れて、花を生けた。花瓶などは持っていなかったから。

 そして男性のことを想った。

 どこにでもいそうな、私より20か30かは年上かと思われる男性。今となっては顔立ちだって怪しい。それだけの存在。それに、この花だって、きっと私は、いつものように、あっという間に腐らせて枯らしてしまうのだろう。


 だが、彼がくれたグラジオラスだけには、私は長く咲いて欲しいと思った。

 なぜだろう。埒もない。可笑しかった。でも、この花を私は枯らしたくなかった。

 どうしてだか、愛おしかった。この花が。あの男性が。

 そして、その、産まれてはじめて、自分の心から燃えるように煙るこの感情のことを、恋と呼ぶのを、私は知ったのだ。


 ……喩え、通りがかりの、彼にとってはちょっと気が向いただけの通りすがりの女に、花を与えただけだけと分かっていても。

 殺風景な部屋の中に、すっと花開く、もうひとつのいのちと、それに見惚れる私。

 それは、あの行きずりの男性と、そして私の抑えきれない恋心の象徴のようで。


 私はその夜、曙色に空が染まるまで、グラジオラスを見つめて彼のことを想った。どんなことになっても、あの男性が欲しい。何時しか、その想いが、私のなかで大きく爆ぜた。


 ……さて、朝が来て、目が覚めてみれば、花瓶代わりのペットボトルの前で、私は着替えもしないまま寝込んでしまっていた。

 グラジオラスは、無残にも枯れていた。茎は皺がより、色褪せた花弁は、はらはらとテーブルの上に散っていた。私は「ああ、またか」と思った。このグラジオラスだけには、綺麗に咲いていて欲しかったのに。

 だが、それと同時に、知らず知らずのうちに、儚くも醜い光景を見ながら、こう呟いてもいたのだ。


「……これはこれで……綺麗だなあ……」



 その夜から、私は、いつものようにネオン街に立ちつつも、その中であの男性を無意識のうちに探すことを止められなくなった。花屋をそぉっ、と何遍も覗き、そこにいないか、交差点を渡る数多の人の群れの中にいないか、身体中の眼が、あの男性を探し、求めていた。

 その甲斐あって、私は、夏の終わり、その男性があの花屋から2区画ほど離れたスナックから出てくるところを見つけたのだ。


 男性はほろ酔いの様子で、ひとりで涼もうとでも考えたのか、路地の裏にある小さな公園へと向かっていた。彼はだいぶん酔っているようで、千鳥足で公園のベンチに倒れ込んで、火照った身体を冷やそうと試みているようだ。

 私は、そぉーっと、彼が寝ているベンチに近づき、その脂ぎった顔を覗き込むと、いきなりその唇を奪った。


「わっ!」


 彼は驚いたように声を上げたが、私はその口を塞ぐように舌を弄り入れて、彼の声を封じた。そしてぼんやりとしている彼の目を見つめ、耳元で囁いた。


「……あなたが好き。あなたが欲しい……」

「あ、君は……」

「私が誰だっていいじゃない。私はただ、あなたが欲しいのよ……」


 彼の唇に触れたことで、私の中から流れ出した激情と欲望はとどまることを知らなかった。私は、彼の上に跨がると、汗ばんだワイシャツのボタンと、ズボンのジッパーに手を伸ばした。そして、露わになった肌着の上から体中を舐め回す。すると彼も欲望に火が付いたようで、朦朧とした意識のままではあるが、私の胸に手を伸ばし、抱き寄せてきた。

 こうして、私は、その一夜、男性と肌を重ね、恋慕の本懐を遂げた。


 そして、夜が白んで、朝が訪れる頃。

 唐突に、男性が短く、うっ、と叫んで、心臓をかきむしった。

 ……数分ののち、気が付けば、男性は、ベンチの上で、冷たくなっていた。


「ああ、やっぱり……」


 私は彼の鼓動が途絶えていることを確かめつつ、乱れた衣服のまま呟いたが、動揺はなかった。

 ……こうなってしまうことは、予測が付いていたから。

 つまり、私は生まれて初めて意識して、生き物を「ころした」訳だ。

 それでも、私は、彼が欲しかったのだ。

 恋した人間の肌を、ただただ、感じたかったのだ。その衝動を、誰が責められようか。


 そう思いながら、私はいつかの干からびたグラジオラスの花弁をポケットから取り出した。そうして、彼を弔うように、はらはらとその半裸の身体の上に振りかけた。  

 醜く歪み、苦悶の表情のままの彼の顔を、からからになった色褪せた花が彩る。


「……これはこれで……綺麗だなあ……」


 私は、頬を伝う涙を拭うこともできず、朝の眩しいひかりのなかで、彼の亡骸を見ながら、ただ、そう呟くのみであった。

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グラジオラスの花弁 つるよしの @tsuru_yoshino

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