副題を改題するなら

『助けて』が言え「なかった」〜ではなく、『助けて』が言え「ない」〜となろうか、この物語の主眼たる、消えゆく救難信号を拾うことであるならば。

いつの世のショートショートもそうであったように、風刺とデカダンを帯びたシニカルな物語に終わらないのがこの物語だろう。なぜか。主人公たちへ「やっぱりか」そして「かわいそうに」と、同情しうるほどのやさしさがあれば、「ふたりがもっと早くに逢えていたら」というくだり、ここで容易に「このふたりだけじゃない」という希望へも目が向くと思える。

……ここで現代日本の自死の既遂者数を論ってもしんどくなるだけかもしれないが、それだけ悲しんで悲しんで悲しみぬいた行く末が、その年の自殺者数を1で割った数だけ、ある。本作「レッド・カード」で語られたのは(いつの年代かは分からないが)そのうちの2例。しかも「ヘルプ・ミー」を「もう助けなくていいよ」という意味でしか使えなかった2例。

本作がメンヘラホイホイでなく、意図を持った文学として据えるのは、メッセージ性の強さが全体を形作ってあるからだ。
あえていうまでもないがこの作品は救いたがっている。あの日の自分でも未来のあなたでも、今のあなたでも、あるいは今のわたしでも。それだけ強い意志のある作品に対して、風刺やブラックユーモア、ひねりがどうのとさげすむような、はやすような言葉をわたしは持てない。ただ、レッド・カードを出そうとしている兆しを拾いたい、そう共感した。

バカだから「助けて」っていって。強くいって。消えないで。ごめん。

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