自死を選択する権利が認められた時代。生きづらさを抱え、主人公はある選択をするが……
という流れから始まるお話ですが、読んだ後しばらく考えさせられました。
功利主義と能力主義が跋扈し、人がモノ化され、YouTuberが人命軽視発言をし……人々の認識において命が軽くなりつつあるこの時代に、最も必要なのはその流れに対抗するカウンター的な作品です。
「生きるのがツライ」という人に差し出すべきは「死」ではなく、「生きるのが楽になるような力添え」である――
そんな人としての原点を思い出させ、ヒューマニズムの原点に立ち返らせるメッセージ性が、この作品にはあると思いました。
3000字弱の、短い作品です。
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『助けて』が言え「なかった」〜ではなく、『助けて』が言え「ない」〜となろうか、この物語の主眼たる、消えゆく救難信号を拾うことであるならば。
いつの世のショートショートもそうであったように、風刺とデカダンを帯びたシニカルな物語に終わらないのがこの物語だろう。なぜか。主人公たちへ「やっぱりか」そして「かわいそうに」と、同情しうるほどのやさしさがあれば、「ふたりがもっと早くに逢えていたら」というくだり、ここで容易に「このふたりだけじゃない」という希望へも目が向くと思える。
……ここで現代日本の自死の既遂者数を論ってもしんどくなるだけかもしれないが、それだけ悲しんで悲しんで悲しみぬいた行く末が、その年の自殺者数を1で割った数だけ、ある。本作「レッド・カード」で語られたのは(いつの年代かは分からないが)そのうちの2例。しかも「ヘルプ・ミー」を「もう助けなくていいよ」という意味でしか使えなかった2例。
本作がメンヘラホイホイでなく、意図を持った文学として据えるのは、メッセージ性の強さが全体を形作ってあるからだ。
あえていうまでもないがこの作品は救いたがっている。あの日の自分でも未来のあなたでも、今のあなたでも、あるいは今のわたしでも。それだけ強い意志のある作品に対して、風刺やブラックユーモア、ひねりがどうのとさげすむような、はやすような言葉をわたしは持てない。ただ、レッド・カードを出そうとしている兆しを拾いたい、そう共感した。
バカだから「助けて」っていって。強くいって。消えないで。ごめん。