②南北朝の動乱~南北朝合一
延元2年(建武4年) ~3月6日(1337年) <金ヶ崎城の戦い>幕府方の高師泰・斯波高経に攻められ、南朝の拠点、金ヶ崎城陥落。
新田義貞は脱出するも、新田義顕、尊良親王が自害、恒良親王が捕縛される。
8月 南朝の北畠顕家が、足利尊氏を討つべく奥州を出発。
12月13日 <利根川の戦い>南朝の北畠顕家が、幕府方を破る。
延元3年・暦応元年5月20~29日(1338年) <青野原の戦い>南朝の北畠顕家が、幕府方に大勝。
5月22日 <石津の戦い>幕府方の高師直と戦い、南朝の北畠顕家、名和義高らが討ち死に。
閏7月2日 <藤島の戦い>幕府方の細川孝基に襲われ、新田義貞が討ち死に。
南朝方に大きな動揺が走る。
延元4年・暦応2年8月15日(1339年) 南朝の後村上天皇が即位。
南朝の北畠親房が常陸国で「神皇正統記」を執筆。
興国3年・康永元年5月(1342年) 懐良親王が薩摩(鹿児島県)に上陸。
正平2年・貞和3年1月(1347年) 南朝の楠木正行が細川顕氏・山名時氏を打ち破る。
正平3年・貞和4年1月5日(1348年) <四条畷の戦い>幕府方の高師直らが南朝の楠木正行らを壊滅させた。
楠木正行、楠木正時、楠木正家、和田賢秀らが戦死。
1月24日 南朝の拠点、吉野が陥落し、後村上天皇は
10月27日 北朝(幕府方)の崇光天皇が即位。
正平4年・貞和5年4月(1349年) 幕府方の足利直冬が、長門探題として備後国へいく。
閏6月3日 足利直義が足利尊氏に働きかけ、高師直を失脚させる。
8月13日 高師直が足利直義を討つべく兵を動かす。
幕府内の足利直義派、上杉重能・畠山直宗が捕らわれて殺され、足利直義は出家。
9月 足利尊氏は、長男・足利義詮を鎌倉から呼び寄せる。
そして次男・足利基氏を鎌倉公方に任じ、鎌倉へ派遣。
9月 高師直の配下が足利直義の養子、足利直冬を襲い、九州へ逃亡させる。
正平5年・観応元年10月16日(1350年)足利直義の養子、足利直冬が高師直を討つべく九州で挙兵。
10月26日 幕府方の足利直義は南朝と和を結び、高師直に対抗。
12月 幕府方の足利直義は南朝に帰順。
正平6年・観応2年1月1日(1351年) 足利直義派、桃井直常が北国より入京し、足利尊氏・高師直らを播磨国へ駆逐。
1月17日 高師直派の高師冬が甲斐国須沢城に攻められ、自害。
2月17日 足利直義らが摂津国打出浜で高師直派の軍勢に大勝。
2月21日 高師直らは出家し、命を助けられる。
2月26日 足利直義派の上杉能憲が高師直ら高一族を殺害。
8月1日 足利直義、京を出奔。
10月 足利尊氏が南朝へ降伏し、足利直義を追い詰める。
11月 正平一統。一時的に北朝の正当性が消滅。
正平7年・文和元年2月(1352年) 南朝の新田義興、新田義宗らが鎌倉を奪還。
2月 南朝の楠木正儀や北畠顕信、千種顕経らが京都を陥落させる。
5月 幕府方の足利義詮、京都を奪還する。
5月 幕府方の足利尊氏、鎌倉を奪還する。
5月10日 南朝の後村上天皇は八幡から賀名生に逃亡。四条隆資戦死。
8月17日 北朝(幕府方)の後光厳天皇即位。
正平13年・延文3年4月28日(1358年) 足利尊氏が病死。
10月10日 新田義興が多摩川の矢口渡で謀殺される。
12月 足利義詮、征夷大将軍となる。
正平14年・延文4年4月(1359年) 九州の少弐頼尚が、北朝方に降る。
7月19日 <筑後川の戦い>南朝の菊池武光らが、幕府方を九州から駆逐。
正平15年・延文5年5月(1360年) 幕府方の重臣、仁木義長が失脚し、南朝に寝返る。
正平16年・貞治元年6月(1361年) 斯波氏経が九州探題に就任。
7月19日 幕府方の執事・細川清氏が失脚し、南朝に寝返る。
11月 畠山国清が鎌倉公方の足利基氏と対立し、伊豆国へ逃亡。
正平17年・貞治元年7月(1362年) 南朝の細川清氏が讃岐国で戦死。
9月 畠山国清が伊豆で挙兵、叛乱を起こすが鎮圧される。
正平18年・貞治2年(1363年) 鎌倉公方の足利基氏が背いた宇都宮氏綱を討伐。
大内弘世や山名時氏が幕府方に帰服。
正平20年・貞治4年(1365年) 8月、渋川義行が九州探題に就任。
正平21年・貞治5年(1367年) 8月 管領斯波義将が失脚。
正平22年・貞治6年5月29日(1367年) 鎌倉公方に就任。
12月7日 足利義詮死去、細川頼之に足利義満のことを頼む。
正平23年・応安元年12月30日(1368年) 足利義満が征夷大将軍に就任。
6月 応安の半済令。
正平24年・応安2年1月(1369年) 中国の明が、九州の宮方、懐良親王に倭寇討伐を要請。
正平25年・応安3年7月(1370年) 今川貞世が九州探題に就任。
天授元年・永和元年8月26日(1375年) 今川貞世が少弐冬資を謀殺、島津氏久が南朝方に寝返る。
天授5年・康暦元年2月(1379年) 将軍、足利義満が土岐頼康の追討令を出す。
3月 関東管領・上杉憲春が、鎌倉公方の足利氏満を諫止して自害。
3月 幕府管領・細川頼之が罷免され、斯波義将が後任となる。
天授6年・康暦2年(1380年) 小山義政の乱が起きる。
元中4年・嘉慶2年9月(1388年) 将軍足利義満が富士山の遊覧を行う。
元中7年・明徳元年3月( 1390年) 足利義満が山名氏清らに命じ、但馬国で山名時熙・山名氏幸を討伐。
3月 <土岐康行の乱>土岐康行、尾張と伊勢の二ヶ国を取り上げられる。
9月 九州で幕府方、今川貞世が宮方の菊池武朝らを撃破。
元中8年・明徳2年4月(1391年) 細川頼元が管領に任命される。
12月 <明徳の乱>山名満幸、山名氏清らが挙兵するも敗れる。
元中9年・明徳3年1月(1392年) 明徳の乱の戦後処理。山名氏の守護国を分配。
2月 大内義弘らが、南朝との講和を工作。
10月 後亀山天皇が退位し、北朝が三種の神器を接収し、南北朝合一が成立。
みんなで補修【南北朝の動乱】 綾波 宗水 @Ayanami4869
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