夏休みの宇宙人と観察対象のわたし

くれは

「君を観察対象にしたいって思ったんだ」

 わたしが宇宙人と出会ったのは、夏休みが始まって二回目の当番の日だった。

 園芸部の活動で、花壇のお世話をしなくてはいけない。園芸部の部員は四人。うち一人は三年生で受験があるからと当番から外されかけて、でも本人の強い希望によって週一回は当番に入ってもらうことになった。残りの三人で週二回ずつ。

 わたしの当番は月曜と木曜。毎日活動している運動部に比べたらずいぶんと気楽なものではあったけど、夏休みの間、わたしは制服を着て登校することになっていた。

 宇宙人との出会いのその日は、容赦のない陽射しと蝉の声と青い空、いつも通りの夏休み三点セット。現実感が薄く感じられるほどに暑く、学校までの道のりですでに汗まみれになっていた。いちいち拭くのも面倒で、流れる汗をそのままにして、花壇の中を動き回っていた。

 園芸部は夏の間、朝顔だとかヘチマだとかゴーヤだとかを育てている。ヘチマの支柱を作るのは先輩から教えてもらって、来年は後輩に教えないといけない。弱小部だって、それなりにやることはある。

 水遣りの合間に、花壇の様子をスマホで写真に撮ったりもしていた。ヘチマの黄色い花や、ゴーヤのごつごつとした実、朝顔の青い蕾。スマホをまたスカートのポケットに入れて、またジョウロを持ち上げて、土の様子を見ながら水遣りを再開する。一人なのでのんびり好き勝手に動けて、それは気が楽だ。

 しゃがんで指先で土の湿り具合を確認したとき、不意にシャッター音が聞こえて振り返った。そこにカメラを構えて立っていたのが、宇宙人だった。






 同じ学校の制服姿。背格好にも顔立ちにも特徴がなくて、なんだか全体的にどこかぼんやりした印象だった。見覚えがあるような、ないような。あまり社交的でないわたしは、そもそも他のクラスや別の学年の生徒をあまり覚えていない。

「勝手に撮らないでよ」

 カメラを手にしたままの彼と目が合って、咄嗟に出てきたのはそんな言葉だった。わたしの言葉に、彼は何度か瞬きをして、それから近付いてきた。

「そうか、ごめん。思わず撮っちゃったけど、地球人にも肖像権があって当たり前だよね。嫌なら今の写真はデータを消すけど……あ、でも、その前にちょっと話を聞いて欲しいんだ」

 彼は申し訳なさそうな顔でそんなことを言って、伺うような視線をわたしに向けてきた。

 彼の言葉には気になることがいろいろとあったけど、でも何から言うべきか迷っているうちに、気付けば彼の話を聞くことになっていた。






 わたしが手を洗って汗を拭うと、彼は背負っていたリュックからペットボトルを二本取り出した。コンビニでよく見かけるジュース。オレンジとリンゴ、聞かれてリンゴを選ぶ。

 花壇の脇に積んであるレンガに並んで座って、そのペットボトルを受け取った。

 ペットボトルは、まるでたった今自動販売機から出てきたみたいに冷たかった。蝉の声に囲まれていると、表面の結露に指先が濡れることまで気持ち良い。リンゴの甘い香りとちょっとの酸っぱさが、喉を通っていった。

 わたしが最初の一口を飲み込んで、ほうっと息を吐き終えたとき、彼は話を切り出した。

「君を観察対象にしたいって思ったんだ」

「観察対象?」

 彼はとても真面目な顔で頷いた。

「そう。観察対象がなかなか決まらなくて、そしたら君を見かけて、良いなって思ったから」

 さっきから彼の言葉選びはなんだかちょっと独特な気がする。ふざけているのかと思ったけど、それにしてはやけに真剣な表情をしている。

「異星人の観察が宿題なんだ。それでいろいろ見てたんだけど、この星が良いなって思って、それで君を見付けた」

 わたしはもう、何を言えば良いのかわからない。口を閉じてしまったわたしに、彼はまっすぐな視線を向けてきた。

「それで、君を観察対象にしたいと思ったんだ。宿題として、君を記録しても良いかな」

「えっと」

 わたしは返答に困って、リンゴジュースを一口飲んだ。少しぬるくなってしまった甘さを飲み込んで、またそっと隣を見る。

「わからないことが多すぎるんだけど……とりあえず、異星人ってどういうこと?」






 宇宙人、という言葉を小さく呟く。

「そう。地球人的な言葉で言えば」

 その自称宇宙人は、やっぱり真面目な顔のまま頷いた。

「地球人の観察をすることが、宿題?」

「正確には違うけど、結果としては、そう」

「それで、わたしの観察をするの?」

 わたしの言葉に、彼は少し照れたように目を伏せた。

「君が良いって言ってくれたら、だけど」

「観察って写真に撮ること?」

「そうだね。君の活動の様子を近くで見て、それを写真で記録したい」

 わたしはちょっと考える。つまり、いろいろと言っているけど、わたしの写真を撮りたいということなのだと理解した。

 さっき彼が撮った写真を見せてもらう。地面に触れているわたしのうつむいた横顔。そこを流れ落ちる汗。自分がこんな顔をしているって、初めて知ったような気分になった。






 自称宇宙人のよくわからない申し出をどうして受け入れてしまったのか、自分でもわからない。とにかく彼は、わたしの当番の日に学校に現れるようになった。彼はわたしが花壇の手入れをする様子を眺めて、写真を撮る。

 彼はいつもペットボトルの飲み物を用意していて、わたしにくれた。観察対象になったお礼なんだろうと思って、わたしは冷たいそれを受け取る。

 彼が本当に宇宙人なのかはわからない。彼の言葉はいつも独特だけれど、でもそれだけだ。夏の陽射しに汗ばんだ額や首筋を拭ったり、校舎の影に並んで座って冷たいジュースを飲んで息を吐いたり、しぼんでしまった朝顔の花をつついたり、ヘチマの花に顔を近付けてじっと眺めたり、そんな姿をどれだけ見ても、宇宙人らしさはこれっぽっちも感じられなかった。

 ある日、蝉の鳴き声が響く中、わたしは宇宙人に聞いてみた。

「宇宙人はゴーヤって食べるの?」

 わたしの質問に、宇宙人はびっくりしたような顔をした。

「食べたことないからわからない」

「じゃあ食べてみたら。持って帰りなよ」

 ゴーヤは次々大きくなる。緑色の実を放っておくと熟して黄色くなる。そのままさらに放っておくと破裂してしまう。それに、実らせっぱなしにしておくと株が弱くなって枯れてしまうのだ。

 だから、当番の園芸部員はそれぞれに、実ったゴーヤを収穫して持って帰ることになっていた。

 わたしは熟しそうなゴーヤをいくつかもぐと、家から持ってきたビニール袋に入れて、宇宙人に渡した。

 宇宙人は受け取ったビニール袋を覗き込んで、それから顔を上げて笑った。

「ありがとう。食べてみる」

 こうやってると本当に、同い年くらいの普通の男子にしか見えない。

 宇宙人ってどういうことなんだろうか。地球人のわたしとは何が違うんだろう。それに、どうしてわたしだったんだろう。彼の目には特別な何かが見えているんだろうか。






 次の活動日に、宇宙人は焼き菓子の包みを持ってきた。ゴーヤのお礼だそうだ。

「ゴーヤチャンプルーっていう料理のレシピを調べて、作って食べてみた。正直、苦いなとしか思えなくて、美味しいかどうかはわからなかったんだけど。でも、初めて食べて面白かったよ、ありがとう」

 大真面目な顔でゴーヤの感想を言うのが面白くて、わたしは笑ってしまった。

 景色が全部白っぽく見えるくらいに暑くて、他の音が聞こえなくなるくらいに、蝉の声がうるさい。汗ばんだ宇宙人の顔は、やっぱり普通の男子にしか見えなかった。

 いつもの通りに花壇の世話をして、手を洗って、二人で並んで座って、持ってきてくれた焼き菓子の包みを開けた。夏の陽射しにきらきらと輝くジャムクッキーだった。

 赤いのはイチゴ、黄色いのはレモン、ココア生地にはオレンジ。

 宇宙人は今日も、冷たいペットボトルを選ばせてくれた。コーヒーと紅茶なのは、お菓子に合わせてのチョイスみたいだ。わたしは紅茶を選んだ。

 暑い夏にクッキーは向かない。口の中でほろりと崩れる生地が、水分を持っていってしまう。それでも、崩れた生地からジャムが落ちて、乾いた舌にその滑らかさが届く。ジャムの甘酸っぱさを感じると、唾液があふれて口の中が潤う。

 ほろほろと乾いた生地をジャムの甘酸っぱさでなだめながら飲み込んで、紅茶を一口。すっきりとした渋みが甘酸っぱさの余韻と混ざり合う。

「美味しい。けど、喉が乾くね」

 わたしの感想に、宇宙人はちょっとしょんぼりとした顔をした。

「形が花みたいで綺麗だなって思ってこれにしたんだけど」

「花みたい?」

「そう。だから君にぴったりだなって思って」

 むせそうになるのを堪えてから、わたしは落ち着かなさを誤魔化すために紅茶をもう一口飲んだ。花がぴったりというのはどういう意味だろうと考えていたのだけれど、ヘチマの花が目に入って、そうか園芸部だからかと納得した。

 紅茶を飲み込んで、呼吸を整えてから返事をする。

「お茶と一緒なら大丈夫だし、すごく美味しいよ。ありがとう」

 わたしの言葉に、宇宙人はほっとしたような顔で笑った。

 もう一枚、手にとって口に咥えたらカメラを構えられた。響いたシャッター音に、眉を寄せる。

「食べてる間はやめて」

「どうして?」

「だって、なんだか恥ずかしいから」

「飲食の様子は観察しちゃ駄目かな? 食べてるときの表情、記録したいんだけど」

 彼の視線と笑顔に負けて、わたしは「写真はやめて」としか言えなかった。それで宇宙人は写真を諦めてくれたけど、観察は諦めてくれなかった。わたしは、なんだか機嫌の良さそうな宇宙人にじっと見詰められながら、クッキーを食べることになった。






 夏休みの間、わたしが当番の日には欠かさず宇宙人も現れた。宇宙人はわたしが花壇の世話をするのを眺めて、写真を撮っていた。

 夏休みが終わったらどうするか、何も聞いてなかった。

 だから、きっともう会えないんだろうなって勝手に思っていた。宇宙人の宿題はもう終わりなんだろうなって。






 実際にはそんなことはなくて、夏休み明けの放課後、わたしは写真部の部室の前に佇む宇宙人を見付けてしまった。

 写真部の部室の前にはプリントアウトされた写真が何枚か飾られていた。宇宙人が見詰めているのは、夏休みに宇宙人が撮った写真、その中の一枚だった。

 写真の中で、制服姿のわたしが花壇の中で夏の空を見上げている。校舎に切り取られた空は青を通り越して白い。影は濃い青。蝉の声が聞こえてきそうだった。

 わたしは意を決して隣に立つと、宇宙人に声をかけた。

「宇宙人じゃなかったの?」

「宇宙人で、高校生で、写真部だよ」

 彼は、写真のわたしに顔を向けたまま、そう答えた。

「いつか宇宙に帰っちゃうの?」

「宿題が終わるまでは帰れないんだ。まだ観察を続けなくちゃ。また、記録して良い?」

 返事もできずに隣を見上げると、彼はようやくわたしの方を向いた。わたしの顔を見て首を傾ける。返事を待たれてしまったので、わたしは仕方なく口を開く。

「いつまで?」

 わたしの疑問に、宇宙人はいたって真面目な顔で、ためらう様子もなく答えてくれた。

「ずっと……死ぬまで、かな。全部、観察しないとだから」

 死ぬまで。

 この宇宙人は死ぬまでわたしと一緒にいるつもりってこと? それってこの先ずっと一緒に過ごすって意味じゃない? 全部ってどこからどこまで?

 わたしは頭を振って、混乱し始めた思考を追い出した。

「そんな先のことまで約束できない」

 彼は瞬きをしてわたしを見ると、重々しく頷いた。

「なるほど。そうか、地球人の寿命を地球人の主観で見ると、そういうことになるのか」

 何がなるほどなのかわからないけど、彼は納得したみたいだった。ふむ、とちょっと考え込んだ後に、また新しい提案が始まった。

「じゃあ、死ぬまでというのは保留で。とりあえず、今日また君を観察しても良いかな。君を記録したい」

「今日?」

「これから毎日、聞くことにする。観察するなら君が良い。だからまた、観察対象になって欲しい」

 今度はわたしが瞬きをして彼を見る。少しためらって、でも思い切って聞いてみた。

「どうしてわたしなの?」

 ちょっとぼんやりとした宇宙人から返ってきたのは、笑顔だった。

「あの時、可愛かったから。それに、ずっと観察してやっぱり好きだなって思って」

 宇宙人の言葉選びはいつも独特で、だからその言葉を額面通りに受け取って良いものか、わたしにはわからない。けれど、この先もきっと宇宙人の宿題に付き合うことになるんだろうなと、その笑顔を見て思ったのだった。

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