蝙蝠
尾八原ジュージ
蝙蝠
ばたばたと音を立てて、黒っぽいものが夏の夜空に飛び上がった。見ていなかったので定かではないが、たぶん蝙蝠だろう。
木立に囲まれ、背の高い雑草が生い茂るこの辺りは、かつて戦場だったという。ここで昔合戦があって、大勢の人間が無惨な死を遂げたのだそうだ。
そういう死に方をするというのは、果たしてどんなものだろうか。
などということを、ぼくはこの辺りを通るたびに思う。この地のみならず、古墳だの古戦場だの、そういった遺跡には「死」について考えさせる何がしかの力がある。
死ぬのは嫌だったろうなぁ、と思う。それが主義のためでも金のためでも愛のためでも、代替のきかない命を失うのは嫌だ。
武器を持って敵と対峙する緊張感。突撃の合図。槍の切っ先。折り重なる死体と死にそこねた者たちの呻き。
すべて強烈な死の予感を持っている。嫌なものだ。ああ死にたくないなぁと思いながら案の定死んで、あるいは生き残って去っていった人々の念は、この辺りにまだ漂っているだろうか。
またばたばたと何かが飛び上がった。ぼくは死者の魂を載せた人面の蝙蝠が、暗い空に飛翔するさまを想像した。
この辺りは、日が落ちると人通りが一気になくなる。物陰が多くて防犯上危ないし、夏は藪蚊が出るというのも原因だが、やはりおかしな噂が聞かれるのだ。悲鳴のような声を聞いただの、幽霊のような人影を見ただのという証言があるらしい。だからこそぼくは、こんな夜更けにここにやってきたわけだが……
時刻はまさに十二時。いつの間にか辺りは奇妙な気配に満ちている。悲劇の残滓が、死にゆく人々の無念さと生への執着が、そこらに散らばっているのが見えるような気がする。
「ねぇ」
女の声がした。
ぼくは振り返って辺りを見回した。
「ねぇちょっと、どこにいるの」
その焦ったような声を頼りに、ぼくはそちらに駆け寄った。
「ごめんごめん、ここだよ」
こないだSNSで出会ったばかりの女の子は、木立の影に心細げに立っていた。声には棘が含まれていたが、それでもこんな夜更けに、こんなところに来てくれるくらいの気持ちはあるらしい。
「よかったぁ、会えて」
ぼくの姿を見つけた女の子は、急に緩んだ口調になってぼくに抱きついてくる。
「うん」
ぼくは彼女を抱きしめ返す。
夜風にセイタカアワダチソウがそよぐ。数百年前の幽霊たちはぼくらを見ているのだろうか。皆死ぬのは嫌だったろうな。それとも、嬉々として死んでいったのだろうか。ぼくだったら絶対に嫌だが。
ぼくはますます強く女の子を抱きしめる。ただの抱擁と違う様子に気づいたのか、彼女が慌ててぼくを押し返そうとする。彼女の喉から、悲鳴になり損ねた空気が漏れる。
やがてぼくの腕の中で、若い女性のしなやかな背骨が折れる手応えがした。
雑草の中に倒れた彼女の首筋に噛みついて、ぼくはその血を啜った。
もう何百年もこうやって生きている。こうしなければ生きていけないのだ。誰が何と言おうと死ぬのは御免だ。
また何かが羽音をたてて夜空に飛翔する。鳥ではない。きっと蝙蝠だろう。
蝙蝠 尾八原ジュージ @zi-yon
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