僕達の物語

秋色

僕達の物語

――もしかして……――


――え?――



 拓斗が振り向くと、サラサラの肩までの髪をなびかせる女性がいた。まだ少女の面影を残している女性。



――たっ君? 私、森永小夜。ほら、サーヤ。ここに入院してた……――


――え? 嘘? サーヤか。久しぶり。ここに今日、来たら誰か知った顔に会えるかと思ってたけどまさかな――



 いや、来る事に賭けていた、本当は。拓斗は鞄の中の包みを握りしめた。小さなティファニーのオープンハートのネックレス。子どもの時におませなサーヤが欲しがっていた唯一の物。



 明日はクリスマス・イブという日の午後六時過ぎ。ここは古い病院の小児病棟に続く渡り廊下。現在まで入院してきた子ども達の絵や折り紙が展示されている。明日の午前まででこの病院は閉鎖され、来年からは近くに新しく建てられた新病院に移転する事になっていた。

 量販店で売ってあるようなクリスマスツリーが一つ、最後の聖夜を迎えるために置かれている。明日の聖夜にはここにはもう撤去される予定の。




――たっ君も? 私もテレビのニュースでここの事、知って、最後に来ようと思ったの――


――懐かしいよな。よくここに入院してた――


――昔はここが家じゃないかって位、何度も入院してたよねぇ。長い時は何ヶ月も――


――にしてもあの頃はちっちゃくてひ弱だったサーヤが無事成長して、こんな大人になったとか信じられん。時の流れってすげ――


――ひ弱だったのはお互い様。たっ君だってヒョロ長くて青白くて、私、初めて会った時、思わすいちゃったよね。『どうしてそんなにも蒼いの?』って。――


――うん、懐かしい。無礼だったよな――


――もぉ! あ!これ、私達小児病棟のみんなで共同制作した、タイルの向日葵ひまわり畑だね。まだあったんだ! これ、作った時の事、よく覚えてるの――


――そう。これ、定期受診で来るたび、ここに来て、見よった――


――これ、新病院にも運ばれるのかな――


――さぁーなー。たぶん無理だろうな。新しい所は外国の最新式を導入した病棟になるそうだし。そんで最後に見に来たようなもんだし――


――そうなの? さびしいな。私は定期受診の時もここまで見に来なかったから久しぶりなんだよ――


――見に来なかったんだ。ここ、別館で離れてるしな――


――ん。それもあるけど、ここに入院してた時の辛かった事、思い出したくなかったんだ――


――そっか。サーヤはオレなんかよりよっぽど苦労したもんな。つらそうな治療もあったし。今日、よく来たよな――


――うん。今はね、振り返れるようになったんだよ、余裕で。それに今、人生の節目迎えて、ここを見ておきたかったというのもあるし――


――そっか。お互い、成人式だもんな――


――ん。まあね――



――昔はさ、よくピーピー泣いとったのに、大人になったもんだよな、サーヤも――


――何? それ、上から目線だねー。同い年じゃん。まぁ確かに泣き虫だったよね、昔の私。特にたっ君が退院していく時は、いつも悲しくて大騒ぎしてたよね――


――そうそう、だから退院していく時も忍びなかったよ。退院ったって、一つの治療が終わって一時退院みたいなもんだったんだけどな――


――それでも、いつも私の治療の方が長いから、私は見送るばかりだったよ。たっ君、毎回、申し訳なさそうにこっちを何度もチラチラ振り返りながら退院していったよね。ごめんね、あの頃は。素直に祝ってあげられなくて。

今もここにいる子達は同じような思いなんだろうね――


――うん。昔、ヒョロ長くて蒼白かった少年でもこんなにたくましく成長するんだから大丈夫って教えてやりたい――


――フフ。そうだね。でもこのブルーライトのクリスマスツリーはオシャレで、昔とは違うね――


――ああ。オレ達の頃はまだLEDはそこまで普及してなかったから、豆電球みたいなんがピカピカ光るクリスマスツリーだったよ――


――うん、そうだね。ね、覚えてる? いつかのクリスマス、私の顔が真っ赤で、熱があるんじゃないかってママが心配して……――


――クリスマスツリーの赤い電球が反射してるだけだったのにな――


――ママ、ホントにドジなんだから――



 その時、五才くらいの小さな男の子が柱の影からそっとこちらをじっと見つめているのに気が付いた。



――君、どうしたの?――

サーヤが男の子に声をかけた。


――もしかして迷子か? ナースステーションまで送ってやろうか?――

と拓斗。


――迷子じゃないけど。借りた絵本を返しに行くとこなんだ。ほら、そこのホールに。そしたらお兄ちゃんとお姉ちゃんがいたから……。誰かのお客さん?――


――そうじゃないけど、私達、君らの先輩なの。ここがなくなるって聞いて来たんだ――


――先輩?――


――そう。小児病棟に昔、入院してたんだよ――


――その時も絵本とか読んだ?――


――兄ちゃんは漫画の本、よく読んでたな。でも先生の聞かせてくれるお話はすっごく面白くて好きだった――


――僕もお話きくの、大好きだよ。じゃー遅くなると怒られちゃうからもう行くね。ばいばい――


――ばいばい――



 二人が手を振ると、男の子は、大きな絵本を抱えて、オレンジ色の明かりが漏れているホールの方へちょこちょこと歩き去って行った。



――確か、病院が移転する時は、重い病気の入院患者だけ残して、後はいったん退院させるって聞いた。あの子、ああ見えても大変な病気なんだな――


――そうなのね。何か昔を思い出すね――


――うん。あの子くらいの時、ヒサンだった。毎晩の先生のお話し会がマジで楽しみだったな。他にあんま楽しみないし、おやつも制限あったし――


――若い先生がよく病室に来て、毎日少しずつお話を聞かせてくれてたのよね。――


――ほら、あの背の高い先生がよく話してくれた、サーヤが好きだったやつ――


――高丘先生でしょ。眠れる森の美女の話、大好きだった。まるで自分の事と思ってた。美女じゃないけど――


――分かってんじゃん(笑)――


――もお! あれさ、だいぶ大きくなって、もう入院とかしなくても良くなった時、有名な外国のアニメ版で見てガッカリしたの。先生の話と全然違ってた――


――先生は話を結構、盛ってたんだよな。改編ってやつ――


――うん。本物の「眠れる森の美女」では、お城の人達が、みんな魔法で眠らされて、勇敢な王子の登場で魔法がとけるけど、私達の聞いた話では、下僕と一匹のネコだけが眠ってなくてお城の手入れをしてるんだよね――


――そうそ。それに王子のキスで目覚めたお姫様なのに、王子、フラレてしまうんだよな。それで下僕とネコと旅に出る。――


――そう。私、そこからが好きだったの。海へ行って大きな船に乗って、カモメまで仲間になって宝島を探したり……――


――エジプトでナイルの宝石を探したり……――


――中国で恋人たちが転生したという幻の蝶を探したり……――


――ナイアガラの滝で大きな虹を見たり……ってほとんど世界一周!――


――最後はいつも決まり文句で終わるんだよね! ――


――「明日はどんな景色を見るのだろうとみんなワクワクして夜を迎えた」だっけ?――


――外の世界ってきっとすっごくキレイなんだろうって、何かワクワクした――


――うん。オリジナルの話より良かった。ほんと話作るの、ヤバいくらいうまくてさ。何だろうね。オレ達、オーロラ姫みたいにただ眠ってて時間損してるみたいに見えても、いつかは外の世界を冒険するんだなぁって思えた――


――きっとお話し会にはそんな意味もあったのよね。私達を外の世界に向かわせる。ねえ、お話の中にはいつも世界のいろんな料理の話が出てきてたの、覚えてる? 私、いつかぜーんぶ食べようって心に決めてた――


――ぜーんぶ食べようって、すごいレアな食材もあったぞ。海ツバメの巣とか――


――だけど人生は長いんだよ。昔、思ってたよりきっとずーっと。食べれる可能性あるって――


――そっか。それもそうだな。ところでさ、サーヤ、これからどうする? どこかに食べにでも行かん?――


――あ、ごめん。私、これからカレシと会う約束なんだ。カレシって言うか、年が明けたら籍を入れるから、ほぼダンナかあ――


――え?……そうなんだ。二十歳で? まさか、そんな――


――驚くっしょ? あのオチビさんのサーヤがって。いや、驚きすぎだよ――


――そっか。驚きすぎだよな。あの、つまり、おめでとう。二十歳で結婚なんてはえーよ、ホント。あのサーヤが……――



 拓斗は慌てて持っていた小さな包みを手の中に握りしめるように隠した。



――ん。ありがと。私ね、子どもの頃は、大人になるまで生きられないんだって思い込んでたの。その頃は治療法も分からないって言われてる病気だったし。大人になってもきっと寝たきりで、結婚なんて出来ないんだろうなって諦めてた――


――そんな悩み、よく打ち明けあったりしたよな――


――あの時、たっ君が励ましてくれてうれしかったよ。そうだ! これから一緒に来ない? カレシにも話してるの、ここで過ごした時の事。きっとカレシも感激すると思うよ。その時大変だったけど、いい友達に恵まれたんだから運が強いねって言ってたから――


――へえ、いい人みたいだな、サーヤのカレシって――


――うん、とっても。どうしたの? まだどこか悪いの? もしかしてまだ後遺症があるんじゃ――


――後遺症なんてあるわけないじゃん。あ、思い出した!今からバイト入ってるんだった。もう、行かなきゃ。せっかく誘ってくれたのにわりぃな――


――こんな時間からバイト? 具合悪そうなのに――


――具合悪くなんかないからさ。そうだ。サーヤ、先に帰れよ。ほら、いつも後に残って見送るの、ヤだって言ってたろ?――


――え? そんな事言わずに一緒に出よう――


――いいから、いいから。たまには見送りたかったんだ――


――ね、連絡先を……――


――結婚しよーって時、男の連絡先なんか登録しない方が絶対いいぞ――


――そお? じゃ、行くよ。元気でね。ね、また絶対会えるよね?――


――ああ。きっと会えるから――



 

 いつの間にかさっきの男の子が絵本を返し終わって、渡り廊下に戻って来ていた。そして涙を眼に溜めた青年の姿を見て、心配そうに言った。



――どうしたの? お兄ちゃん。どこか痛いの?――


――全然。ただ顔しかめてただけだ―― 



 窓から見える街はイルミネーションに輝いていた。その中心に、大きな川が黒い道のように漂っていて、川面に滲んだ灯りを反射させていた。灯りは点滅を繰り返して、そのたびに川は明るくなったり暗くなったり。

 拓斗には川をじっと見つめ、想像していた。この川の流れる先を。ずっと先では海に続いているのだろう。そして海は、子どもの頃聞いた物語の中の、冒険の繰り広げられた海岸へと繋がっているかもしれない。冒険だけじゃない。真っ青な海岸線と木陰のハンモック。そう考えると凍てつくような窓辺で冬の風景を見ていても、南国の風が吹いてくる気がして何だか頬がくすぐったくなってくる。



――ダイジョブだよ、お兄ちゃん。先生が言ってたよ。病気はいつか治るって。みんなお外に出れて幸せになるって――


――ああ、知ってるよ――


――外の景色はさ、綺麗きれいなんだよ、とっても――


――それも知ってるよ。何つっても先輩だろ。だから世界にはとってもとーっても綺麗きれいな場所がいっぱいあるって事、知ってるんだ――


――良かった。お兄ちゃん、顔色悪くって、ボク心配になったんだよ。どこか痛いのかなぁって。どうしてそんなにも蒼いの?――

 

――痛いとこなんかないよ。これはクリスマスツリーのLEDってので青く見えてるだけだからさ!――



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僕達の物語 秋色 @autumn-hue

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