-その6-
勉強が一段落した後、ソファに並んで腰かけてふたりが雑談していた所で、コンコンと美里の部屋のドアがノックされる。
「失礼します。美里様、聡美様、お風呂の用意が出来ましたので、いつでも入って頂けるかと」
どうやらメイドのひとりである亜須美が入浴の準備が整ったことを告げせに来たようだ。
(うーん、“様”付きで呼ばれるのって、やっぱし慣れないなぁ)
などと呑気なことを考えていた聡美だが、美里に「姉様、返事してあげてください」と耳打ちされて、慌てて頭を巡らせる。
「あ……はい、わかりましたわ。知らせてくださってありがとう、亜須美さん」
精一杯「美里っぽい口ぶり」を装い、かつ「10歳の少女」であることを意識して、普段は出さないような可愛らしい声を出してみる。
一瞬声が裏返るかと心配したのだが、そんなこともなく、きちんと高く澄んだ綺麗な声が出せたようだ。
「はい、それでは失礼いたします」
ドアの前からメイドの気配が消えたことを確認して──妖怪の先祖返りなせいか、そういった感覚は鋭敏なのだ──ふたりは、ホッと安堵の息をついた。
「どう? さっきの美里ちゃんの真似、なかなか巧くいったと思わない?」
「そうですね。メイドにいちいちお礼を言うのは、少し丁寧過ぎる気もしますが……おおむね、問題はなかったかと。声の方も、かなり私と似ていた気がします」
美里の返答を聞いて、我が意を得たりとばかりに頷く聡美。
「そう思う? やっぱり首の部分の半分が美里ちゃんのものだからかもしれないね。それに、声って喉だけでなく肺やお腹の部分にも左右されるらしいし」
「そうなのですか?」
「うん、高校時代の友人で声楽やってる子に、そんな話、聞いたことがあるよ。
あ! だったら、美里ちゃんも、わたしっぽい声を出してみてよ」
いきなり聡美にフられて、美里はちょっと慌てる。
「え? は、はい、わかりました。えーと……う、ウンッ……こ、こんな感じかしら?」
アルトボイスとまではいかないが、落ち着いたメゾソプラノの声が、聡美の身体になった美里の口から流れ出す。
「おー、自分の声は正確にはわからないって言うからアレだけど、たぶん、今の美里ちゃん、わたしソックリの声してるよ」
感心したように言う聡美を見て、珍しく稚気が疼いた美里は、ズイッと美里の方に身を寄せ、上から覗き込むような体勢をとる。
「な、何かな、美里ちゃん?」
そうなると、身長150センチに満たない聡美の身体になっている美里としては、何となく圧迫感というか威厳のようなものを感じて、ちょっとたじろがざるを得ない。
「こら、ダメですよ。“美里”は貴方、私が“聡美”だって、先程決めたばかりじゃないですか」
聡美の声色のまま、芝居っけタップリにイイ笑顔で聡美の鼻をチョンと人差し指で突つく美里。
「あ……そうだったよね、ごめんね、聡美お姉ちゃん♪」
美里の意図を悟った聡美も、“美里”の声で「しおらしい妹分」の演技をする。
「ええ、わかってくれれば、いいのよ、美里」
したり顔で“聡美”がそう言った後──ふたりは顔を見合わせて、プッと噴き出した。
「あはは! やっぱりちょっと恥ずかしいね」
「ええ。でも、少なくとも声については、やはりこちらの方が外見相応かと思いますし、外に出た時のために、言葉遣いや呼称も、できるだけ意識しておいた方がいいでしょう」
「うん、確かに。まぁ、わたしのほうは、美里ちゃんのエンジェルボイスで話せるのは、ちょっと嬉しいからいいんだけど」
確かに「六路美里」の声は、超有名少女合唱団のソロを張っててもおかしくないほどの透き通った美声だ。この声で言われたら、どんな卑語や罵倒さえ、聞く人をウットリさせるかもしれない。
「ごめんねー、特徴のない平凡な声でしゃべらせることになって」
“美里な聡美”が謙遜するが、“聡美な美里”は首を横に振る。
「そんなコトありませんよ。私、落ち着いたこの声が大好きですし」
実際、美里のようにひと言発すればわかる美声というワケではないが、聡美の声も年齢相応の落ち着きと艶があって魅力的だ、と“聡美”は思う。
柔らかなその声音には、どこか聞く人を安心させるような響きがある──というのは、彼女に助けられたことによる贔屓が入り過ぎだろうか。
そして、歳より大人びた話し方をする美里と、明るく元気でフランクな聡美の口調には、現在のその声音の方が似合っていた。
その事を無自覚に気付いているのか、すでにふたりは、とくに意識していないのに胴体(からだ)に応じた声を出せるようになっていた。
「それじゃあ、申し訳ありませんけど、一応客人ということになっている私──“聡美”の方から、先にお風呂頂いてしまって構いませんか?」
「うん、それでいい……あ、待った!」
何やら「名案」を“美里”は思いついたようだ。
「せっかくだからさ、一緒に入ろうよ、“聡美お姉ちゃん”♪」
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