-その2-

 初めてその少女と対面した際の驚きを、聡美は今でもハッキリ覚えている。


 「貴女が新しく来てくださった先生ですか? 初めまして、六路美里(ろくろ・みさと)です」


 ひとつには、少女がとても美しかったからだ。10歳──小学5年生だと聞いていたが、その端整な美貌と言葉の端々から滲み出る凛とした雰囲気のせいか、優に2、3歳は年かさに見える。中学生だと言われても違和感はないだろう。

 この春20歳の誕生日を迎えたというのに、いまだ補導員に声をかけられることもある童顔気味な聡美としては、「世の中にはこんな美少女が実在しているんだなぁ」と嘆息するしかなかった。


 そしてもうひとつは──少女の首から下が"無かった"からだ。

 より正確に言うなら、たった今、聡美と言葉を交わした少女は、生首状態でベッド脇のサイドテーブルにしつらえられた籐の籠にクッションを敷いて45度くらいの角度をつけて安置されている。

 そしてその横のベッドの掛け布団がいくぶん人型に盛り上がっているところから見て、おそらく少女の胴体くびからしたはそこに横たえられているのだろう。


 「えーっと、はじめまして、美里ちゃん。六道聡美です。今日から美里ちゃんの家庭教師としてお世話になります。こちらこそよろしく」

 とは言え、そこはさすがに"経験者"だけあって、立ち直るのも早い。

 聡美も慌てて、精一杯よそゆきぶった言葉遣いで挨拶したつもりだったのだが……。


 「美里ちゃん……ですか」

 少女がその眉を寄せる。


 「あ、ごめんなさい。なれなれしかった?」

 「いえ、そういうワケでは。ですが、いまだ未熟とは言え、これでも淑女レディを目指している身ですので」

 他の女の子が言えば、冗談か夢見がちな妄想にしか思えないそんな言葉も、目の前の美少女はあくまで真剣であり、かつそれが実現する可能性は決して低くないと感じさせた。


 「──もっとも、今はこの有様ですから、どんな風に呼ばれても仕方ないのですが」

 やや自嘲気味にベッドに視線を向ける。


 この涼やかな美少女にそんな表情をさせたことが申し訳なくなって、聡美は思わずバスケットから少女(の生首)を抱き上げ、そっと己が豊かな胸に抱きしめた。


 「ダメだよ、美里ちゃん、そんな風に自分を悪く言わないで」

 「!」

 それは、本来的に言えば、紛れもなく相手をまさに「子供扱い」した行為であり、少女からすれば反発を生む行動にほかならなかっただろう。


 しかし、「今の状態」になって以来、外部の人間はおろかごく一部の例外を除いて使用人とすら会えず、また両親でさえどこか腫れ物に触るような空気で接するようになり、密かに傷ついていた少女にとっては、久しぶりに「人の暖かさ」を肌で実感させられる行為だった。


 「──ふふっ、そうですね。無闇な自己卑下は品格を落としますから、以後慎みます」

 目頭に熱いものがにじんでくるのを懸命に堪えつつ、少女は虚勢を張ってみせる。


 「うんうん。だいじょうぶ! わたしも"同じ"だから、きっと美里ちゃんの力になれると思うの」

 少女の想いに気付いているのかいないのか、聡美は、胸から解放した生首をそっと自らの顔と同じ高さに掲げて視線を合わせ、微笑みかける。

 たったそれだけの事で、少女は(今はないはずの)胸の奥に暖かい灯がともるような気がした。


 (嗚呼、この人は本当に自分のことを考えてくれている……)


 「はい、ありがとうございます──あの、それで、六道さんのこと、「先生」じゃなくて「姉様」と呼んでもよろしいでしょうか?」

 「ええ、もちろん! わたし、ひとりっ子だから、美里ちゃんみたいな妹ができるとうれしいな」

 「いえ、その……できれば私(わたくし)のことも、「ちゃん」付けではなく、呼び捨てか、せめて「さん」付けで……」

 「え~、可愛いのにぃ」


 出会ってほんの数分と経たず、まるで数年来の友人の如く打ち解けたふたりを見て、少し離れた場所からそっと様子をうかがっていた両親と執事の朱鷺田は、ホッと胸を撫で下ろすのだった。


  * * * 


 こうして、六路美里と六道聡美は出会った。

 聡美が六路家に「家庭教師」として雇われたのは、決して国算理社といった学校の勉強を教えるためでなく(そもそも美里は、現時点で中学生並の学力を有している)、「ろくろ首」としての知識や実体験を伝授するためだったのだ。


 "能力"が目覚めた六路の血族の中には、時としてそれを制御しきれない者も出て来る。

 「不随意に首が外れてしまう」くらいならまだいいが、逆に「外した首が元に戻らない」となると、事態は深刻だ。そして、まさに美里の"症状"がコレだった。


 怪談話などでは、「ろくろ首は朝日が昇る前に胴体に戻らないと死ぬ」ということになっているが、さすがにひと晩くらいなら問題はない。

 とは言え、ずっと頭と胴体が離れたままだと、単に不便や不気味という以上に、やはり色々問題は出て来る。


 まず、第一に、栄養補給の問題だ。"頭"側は(どういう仕掛けなのか)、食べ物を普通に食べれば、とくに問題なく活動できるのだが、口がついていない"胴体"は、そのままだと日に日に衰弱していく。

 現代では点滴や栄養注射などである程度補えるものの、それでも身体が弱ることは避けられない。


 次に、幽体の問題がある。"妖怪"が実在するのだから、"霊魂"も実在すると考えてほしいのだが、人間……というか生物は、物質的な「肉体」のほかに、自我の本質たる「霊体」(いわゆる魂)と、そのふたつを仲立ちする「幽体」から成り立っている。


 美里の現状では、魂(霊体)は頭部に宿り、一方、幽体の方は頭と胴体で二分されている。幽体は霊体からの力(いわゆる霊力)がないと徐々に弱り、拡散してしまう。そうなると残された肉体も、生きていけなくなるのだ。

 幸い肉体という"鞘"に守られた状態なら、剥き出しのいわゆる幽霊状態よりは長持ちするが、それでも少しずつ衰弱していくし、その限界は肉体的なリミットより早いだろう。


 美里がこの状態になってから聡美と出会うまでに、すでに4日間が経過している。聡美が昔祖母に聞いた話からすると、最短で7日、多少余裕を見ても10日で、胴体側の幽体が危険な状態になると予測された。


 もともと聡明な子であった美里は、聡美が教える"ろくろ首"としての心得や能力を、乾いた砂が水を吸うように、つぎつぎに吸収していく。

 3日経った今では、宙に浮かんで自由に飛び回ることも、頭部を霊体化して壁抜けや不可視化することも、髪の毛を触手のようにして手の代わりに物を動かすことも、聡美に劣らずできるようになっていた。


 そうした"師弟関係"を続ける中、当然の如くふたりの親密さも増し、親しい友人を通り越して、まるで実の姉妹のような関係を築くようになっていた。


 ──けれど。

 唯ひとつ、「頭部と胴体を接合して元の姿に戻る」ことだけは、未だ為し得ていなかった。


 「お気になさらないで、聡美姉様」

 美里が能力に覚醒めてから、今日で七日目。

 折りしも満月の白銀の光に照らされながら、少女は"姉"と慕う女性に笑ってみせた。


 「以前、教えてくださったでしょう。我々の一族は、いざとなればこうやって、首だけでも生きていけるのだ、と。それに、万が一、私の身体が──使えなくなっても、父の伝手なら、まるで本物そっくりの擬体(つくりもののからだ)が手に入ると思いますから」

 「美里ちゃん……」


 まだ希望はある。七日というのは前例で言う最悪のケースだ。逆に十日間、胴体から離れていても、平然と元に戻ったという記録も存在する。


 (──でも、もし、その"最悪のケース"が起こったら?)


 そう考えると、聡美はいてもたってもいられなくなる。美里が聡美を"姉"と呼ぶように、聡美にとっても、もはや美里は妹同然の存在になっていたのだ。


 あるいは、現在の六路家およびその分家筋で"先祖返り"した同性が、聡美の知る限りでは、現在は彼女たちふたりしかいない、という事も関係しているかもしれない。

 ──実は、同じく六路家の末裔で、少し前に"先祖返り"した兄妹がいたことが後年確認されるのだが、この時はまだ六路家の情報網には引っかかっていなかった。


 世界にたったふたりの"同類"。

 それを喪いたくない、護りたいと感じるのも無理はないだろう。

 そして、聡美はついに"禁"を破る覚悟を決めた。


 「雅人さん、毬奈さん、ひとつだけ、わたしに、美里ちゃんの胴体からだを救うアイデアがあります」


 それは──聡美自身の首を美里の胴体に繋ぐこと。

 そうすることで、美里の胴体の幽体に聡美の霊体から霊力が補給され、タイムリミットがもう少し延ばせるはずだ。

 そのまま食事したり軽い運動をすれば、肉体的なリハビリにもなるだろう。


 「聡美姉様、それは!!」

 ただし、これは一族では禁忌とされた行いだ。そのことを口にしようとする美里の唇を、聡美は指でツンと突ついて止める。


 「初めて会った時、言ったでしょ。美里ちゃんの力になるって。

 だいじょ~ぶ、コレでもろくろ首歴足かけ10年のそこそこベテランなんだから」


 ふたりのやりとりから、おおよその事情を察したのだろう──それが禁じられた行為で、聡美の身に少なからず危険が及ぶということを。

 六路夫妻は黙って聡美に頭を下げた。


 「すみません、娘のために危ない橋を……」

 「気にしないでください。わたし、美里ちゃんのことを本当の妹みたく思ってるんですから。妹のために姉が身体をはるなんて、当然のコトでしょ♪」

 初めて会った時の「冴えない女子大生」という印象と裏腹に、六路夫妻には、透き通った笑顔を浮かべる今の聡美の姿が菩薩か聖女の如く神々しくさえ感じられた。


 「──お願いします、聡美さん」

 「どうか、美里を助けてやってください」

 重ねて頭を下げる六路夫妻を制し、聡美は寝間着に着替えると、子供用どころかクイーンサイズの美里のベッドで、妹分の胴体に添い寝する。

 そこまでは、これまでも何度かあったことだ。だが……。


 目を閉じた聡美の首がズルリと伸びた──ように見えたのは錯覚で、彼女の頭部もフワリと宙に浮き上がる。

 そして、六路親子が見守るなか、慎重に位置を確認すると、掛け布団からその頸部だけがのぞく美里の身体に、自らの首を押し付ける!


 彼女にとってはそれなりに慣れた、頭と胴体がくっつく際の独特の手応えを感じて、まずは安堵の息を吐きかけた聡美だったが……。

 次の瞬間、頭からサーッと血の気が失せるような感覚とともに、何故、美里が自分の胴体に戻れなかったのかを、聡美は理解した。


 (ああ、なんだ。初歩的なミスじゃない。わたしってば、ほんとバカ)

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