首替奇譚異聞 -幼女抄-

嵐山之鬼子(KCA)

-その1-

 ──ミーンミーンミーン……


 猪狩沢いかりさわは避暑地としてそれなりに有名であり、夏の気温もそう高くはないのだが、やはり7月の終わりにさしかかると、相応に蝉の声がうるさく感じられるようになる。

 そろそろ陽が西に傾くなか、家路を急ぐわたしは、ふとその鳴き声にある種の郷愁を感じて足を止めた。


 「──そうか。もう、そんな時期なんだ」


 信じられないような出来事と立て続けに遭遇することになった「あの時」も、こんなセミの声がうるさい、とある夏の日だった。

 あれから数年が経った今も、わたしはあの頃のことを未だ鮮明に思い出すことができた。


  * * *


 大学2回生の夏、六道聡美(りくどう・さとみ)は、親戚からの紹介で、夏休みのあいだ遠縁の小学生の子の専任家庭教師として、その子の家に住み込みで働くことになっていた。


 二流大学の教育学部に所属する身としては、秋口に予定している教育実習の予行練習のつもりでもあった。

 もっとも、教え子となる娘さんにちょっとした問題があるらしいと聞いて、最初は断わろうかと思っていたのだが、その子の親御さんたちが聡美のプロフィールを見て、ぜひにと懇願してきたのだ。


 下世話な話だが、先方はかなりの資産家らしく、お給料もすこぶるいい。

 同じく教育関連のアルバイトとしては、塾の講師なども考えられるが、十数人の生意気盛りの学童を一気に相手にするのと、多少気難しい子が相手でもマンツーマンで対峙できるのとでは、後者の方が幾分マシに感じられたのだ。

 また、先方の家が、避暑地として知る人ぞ知る猪狩沢であったことも、聡美の決意を後押したと言えるだろう。


 結局、諸々の条件を鑑みて、聡美はこのバイトを引き受けることに決めた。

 昨年のタイ旅行の際に購入したスーツケースに、着替えと化粧品、そして小学生向けの参考書類をめいっぱい詰め込んで、先方に指示された日時に猪狩沢の駅前広場で待っていると、目の前のロータリーに、スッとメタリックシルバーのクラウンが止まる。


 「──失礼ですが、六道様でしょうか?」

 「は、はいッ!」


 クラウンの助手席から降り立ったロマンスグレーの初老の男性に声をかけられた聡美は、声が裏返りそうになるのを懸命にこらえた。


 (うわぁ……外国映画に出て来る執事みたいな感じの人だなぁ)


 「わたくしは、六路(ろくろ)家の執事を務めております、朱鷺田と申します。

 以後、屋敷への滞在中のご不満点などございましたら、わたくしめにお申しつけください」

 どうやら、本物の執事だったらしい。


 朱鷺田に促されてクラウンの後部席に乗った聡美は、その乗り心地に驚くまでもなく、まるで映画にでも出てきそうな白亜の洋館へと連れて来られた。

 門から玄関まで大人の足でも1分近くかかり、庭には25メートル級のプールや四阿あずまやが設置されている豪邸だ。


 玄関の扉を開けると、お仕着せを着たメイド──それも、某電気街でビラを配っている紛い物などではない、屋敷を維持する使用人としての教育をキチンと受けた「本物」が、出迎え、荷物を運んでくれた。

 資産家であろうことは予測していたが、正直ここまでとは思っていなかった聡美は、この時点で、完全に飲まれていたと言えるだろう。


 幸い、雇い主である六路夫妻は気さくな人柄のようで、応接間に通されて談笑するうちに、あまり人付き合いが得意とは言えない聡美も、少しずつ打ち解けていったのだが……。


 「それで……あのぅ、わたしが教えることになる娘さんは?」

 聡美が何気なく口にしたひと言が、ガラリと場の雰囲気を変えることになる。


 「──六道さん。これからお話しすることは、ぜひとも内密にお願いしたいのですが……」

 30代半ばとおぼしき精悍な印象の男性──この屋敷の当主たる六路雅人氏から、先程までの明るい雰囲気が消え、至極真面目な目付きになっている。

 見れば、傍らの毬奈夫人の顔からも、先程までの優しい微笑が消え、心なしか哀しげな表情が浮かんでいた。


 「は、はい……」

 コレは地雷踏んだかな~と思いつつ、聡美としては頷くしかない。


 「──おっと、その前にひとつお尋ねしておきましょう。六道さん、貴女は、自らの「家系」のことについて、どれくらいご存知ですか?」

 「ッ!!」

 その言葉を聞いた瞬間、聡美は、普段は「トロくさい」とさえ言われている彼女とは思えぬ反応速度で立ち上がり、キツい視線で雅人を見つめる。


 「あなたはッ!」

 その反応が、暗に雅人への返答を物語っていた。

 素早く入口の方に目を向けるが、扉の前にはさりげなく執事の朱鷺田が陣取っており、簡単に通してくれるとは思えない。


 「落ち着いてください、六道さん。我々は、何も貴女を脅迫しようというわけではありません。それに……そもそも、そんな事は自殺行為です。お忘れかもしれませんが、我々は遠縁とは言え、同じ血を引いている親族同士なのですから」

 「あ……」

 確かにそうだ。自分の六道家と、此処を紹介してくれた親戚──六甲の人間は、ともにこの六路家から見ると分家筋に当たると、紹介者である従兄は言っていた。


 「もしかして、六路さんも……?」

 述語をボカした言い方だったが、意図は相手に伝わったようだ。


 「ええ。無論、一族の殆どの者同様、私も妻も、傷の治りなどが早く、多少霊感が鋭いことを除けば、殆ど普通の人間と変わりません。ですが、娘の美里は……」

 成程、わざわざツテをたどってまで、二流大学の平凡な女子大生である自分が、こんな豪邸に家庭教師に呼ばれた理由がわかった。

 多少なりとも納得した聡美は、警戒態勢を解いた。


 「すみません、六道さん、ウチの人が脅すような真似をして。朱鷺田さん、厨房にお茶を入れ直すように言ってもらえるかしら」

 絶妙なタイミングで毬奈夫人が仲裁に入り、聡美も不承不承再びソファに腰を下ろした。

 見計らったように運ばれてきたアールグレイの香りが、ささくれかけた心を落ち着かせてくれる。


 しばし、カップの中の液体に視線を落としていた聡美は、やがて顔を上げ、ゆっくりと語り出した。


 「──その様子では、たぶんおおよその事は知っておられるのでしょうから、ハッキリ言いましょう。お察しの通り、わたしは"先祖返り"です」


 六路家、並びにそこから派生した六道、六甲、六車の人間は、ある人外の存在──「妖怪」を祖先に持つ。これは、単なる言い伝えなどではなく事実であることを、聡美は己れの身をもって、十全に理解していた。

 すなわち──彼女達は、「ろくろ首」の子孫なのだ!


 ろくろ首は、別名「抜け首」とも呼ばれ、また中国の飛頭蛮などとの関連性も指摘される、比較的ポピュラーな妖怪だ。夏場の古典的怪談話や、テレビのお化け屋敷コントの定番とも言えるため、日本人ならたいていはその存在を知っているだろう。

 その特徴は、首が伸びる、あるいは首が胴体から抜けて飛び回ることであり、聡美たちの一族は後者の末裔らしい。


 もっとも、人間に血が混じったのが少なくとも江戸時代以前のことらしく、記録に残る文献を見る限りでは、江戸時代中期には、一族の大半がただの人間と大差のない存在になっていたらしい。


 ただ、その中でも、ごく僅かかな者だけが先祖返り的に、心身が不安定になる思春期に、妖怪としてのその能力に覚醒する。

 そして、その中のさらに一部が例外的に、その能力を保持したまま大人になるのだ。

 話の流れからわかる通り、聡美は、明治時代以来久しぶりに現れた、その希有な例であった。


 「では、娘さんも、ろくろ首としての能力が発動したんですね?」

 「はい……」


 確かに、これでは滅多な者を雇うわけにはいくまい。執事の朱鷺田は、同席を許されているからにはこの事を知っているのだろうが、こんなトンデモ話を安易に外部に知られたら、親族一同、身の破滅だ。


 そう考えると、聡美はまだ見ぬ、この六路夫妻の娘に、少しだけ同情と共感を抱いた。

 幸い、自分が「覚醒」した時は、当時存命中だった祖母が「経験者」(ただし、成人時に能力は喪失していた)で、色々教えてくれたおかげで、何とか心が折れずに済んだ。

 ならば、今度は自分が幼い「後輩」の力になってあげる番だろう。


 他人に言えない秘密を抱えているわりに、本質的にはお人好しな聡美は、そう考えたのだが……。

 実は、事態はそれほど簡単ではなかったのである。

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