-その4-

 ベッドから慎重に起き上がった彼女は、軽く手足をラジオ体操のように動かして、身体に異常がないことを確認する──いや、実際には“異常”はあるのだが、それは今言及しても仕方が無いので考えないことにした。


 天蓋こそついていないもののお伽話のお姫様が使っていそうな豪奢なベッドの脇に置かれたサイドテーブルに、彼女のための着替えが用意されていた。


 すぐにはそれに手を伸ばさず、彼女は部屋の反対側の壁に設置された2メートルほどの高さの姿見を覗き込む。

 そこには、先程のベッドに横たわるのにふさわしい、パフスリーブの上品な浅葱色のネグリジェを着た、身長140センチ台半ばくらいの"少女"の姿が映っていた。


 身の丈からすると、小学5、6年生といったところだろうか。さすがにこの歳では、まだ女性的な曲線は望むべくもないが、それでも、すんなり伸びた手足や、僅かに膨らみ始めた胸や腰のラインが、“少女”に妖精のような危うい魅力を与えている。

 華奢ながら芸術的なラインを描く身体に比べると、顔立ちの方はそれほど際だって整っているわけではないが、それでも十分魅力的だし、何より控えめな優しさと性格の善良さが表情によく表れた、将来の良妻賢母候補生と言えた。


 しかし、“少女”は何が気に食わなかったのか、軽く溜め息をついて鏡から視線を逸らし、サイドテーブルの着替えを手にとった。


 胸元のボタンを外して、ネグリジェを肩口から滑り落とす。日焼けとはおよそ無縁のミルク色の滑らかな肌が、稚い肢体に奇妙な色気を与えていた。いわゆるロリコン趣味のない男性、いや女性でも、一瞬目を奪われるかもしれない。


 もっとも、当の本人は己が魅力に頓着することなく、フランス製のシルクのシュミーズをかぶっていた。肩紐の位置を整えた後、小学生にしてはやや布面積の少ない、サイドストリングのショーツの上から、白いレース編みのストッキングを着用する。


 次に、同じく白いレースのロングペティコートを履いてから、袖口や襟元、ボタン脇が、フリルで飾られたアイボリー色の長袖ブラウスに袖を通す。

 裾を整えながら、腰の部分がコルセット状になった臙脂色のベルベットのハイウェストスカートを履く。スカート丈自体はふくらはぎまであるのだが、前身ごろがふたつに分かれて、下に履いたペティコートが見えるデザインなのが、なかなかオシャレだ。


 最後に、鏡に向かって胸元にコバルトブルーの細めのリボンタイを結んでいるところで、コンコンとドアがノックされた。


 「どーぞー」


──ガチャリ


 「失礼します」

 寝室に入ってきたのは、“少女”より7、8歳年かさとおぼしき若い“女性”だった。


 身長は165センチ強で、同世代の女性の平均よりは幾分高めといったところか。

 紺色のジャケットとタイトスカートをピシリと着こなし、いかにも有能そうな雰囲気で、怜悧な美貌がさらにその印象を強めている。


 「姉様、お身体の具合はどう……あら、もう起きても大丈夫なのですか?」

 「うん、平気平気。別に身体自体は健康体なワケだし、ね」


 どうやら、“少女”の方はしばらく床に伏せっていたのだろうか……などと、わざとらしくとぼけるのは止めよう。

 言うまでもなく、“少女”が聡美、“若い女性”と表現した方が美里である。


 ──そう、遡ること2日前の夜、アクシデントですぐには元の胴体に戻れなくなった聡美の頼みで、美里は彼女の身体を文字通り“預かる”こととなった。


 “接合”自体はあっけないほどスムーズにできた。その事から考えると、やはり美里が元の身体と合体できなかった理由は、聡美の言う通り「霊力不足」が原因なのだろう。


 聡美の成熟した(いやらしい意味ではなく、単に成人年齢に達したという意味だ)胴体に、未だ幼さを残すものの美女の素質十分な美里の頭部が繋がり──つぎの瞬間、“彼女”はゆっくりとベッドの上で上半身を起こしていた。


 「おお……」

 「美里……」

 固唾を飲んでその様子を見守っていた美里の両親が、感嘆の声をあげた。


 「ふぅ……大丈夫だったみたいね」

 すぐそばの安楽椅子に身を預けた聡美も安堵の溜息を漏らす。


 「──私……動ける! キチンと身体があるんだ!!」


 その歳に似合わぬ聡明さと落ち着きを持つとは言え、やはり美里も未だ年若い──否、幼いと言っても差し支えのない少女だ。一週間ぶりのまともな"人"としての感覚は、たとえそれが他人の胴体からだによるものであっても、涙が出る程嬉しかったらしい。


 彼女が、涙ぐみながら掌をグーパーと開閉したり、ベッドから降りてトントンと軽くジャンプしたりする様子を、両親や聡美は暖かい目で見守っているのだった。


 「お、お恥ずかしいところをお見せしました、聡美姉様」


 ──もっとも僅か数分後には我に返り、頬を赤らめる美里の姿があったのだが。


 「ううん、気持ちは何となくわかるから平気だよ、美里ちゃん」

 未だ霊力不足でうまく動けない聡美は、それでもゆるやかに首を横に振って見せる。


 そんな“姉”の様子を見て、現在の聡美が抱える問題を思い出し、美里の顔に怜悧な表情が戻ってくる。


 「お礼と言うには到底足りませんが、姉様の体調が戻るまでは、私が誠心誠意お世話させていただきます」


 美里が十歳児のままなら、背伸び以外の何者でもない言葉だが、今の彼女の首から下は聡美の──20歳の健康な女性のものだ。反対に10歳の少女の身体になっている聡美の世話をすることは十分可能だろう。


 「あはは、そうだね。じゃあ、明日明後日くらいまでは、お言葉に甘えちゃおうかな」

 美里の両親も、娘の言葉に大きく頷いているようなので、聡美も強いて断わることはしなかった。

 実際問題として、この姿を無闇に他人にさらすわけにはいかないのだから、美里でなければ、あとはその母の毬奈にでも頼むしかないのだ。


 「ん? でも、よく考えると、わたしだけじゃなくて、美里ちゃんも、そのまま外に出るのはマズいよね」

 「あ……」


 数日前から雇われた家庭教師の背が突然縮んで十歳児並になっているのも、この屋敷のひとり娘がいきなり成人女性の体格になっているのも、どちらも不自然極まりない。


 「そうですな。せっかく動けるようになった美里には少々気の毒だが、聡美さんの力が戻るまで、この部屋にいなさい」

 「──そう、ですね。わかりました、お父様」


 至極残念そうではあったが、聞きわけのよい美里は、父親の言葉に渋々ながら頷いた。


 幸いと言うべきか、この部屋には簡単なものだがトイレやシャワールームも備わっているので、部屋の外に出なくとも一応生活に支障はない。


 「あら、そうだわ。朱鷺田さんにもこの事を伝えておかないと」


 聡美の母・毬奈の言う通り、屋敷の執事であり、六路家の事情も飲み込んだうえで、この家に仕えている朱鷺田には、教えておくべきだろう。


 しかし、部屋に設置された内線電話で呼び出された初老の執事がやって来た時、一同は新たな混乱に見舞われることになる。


 「! おお……美里お嬢様、無事、元に戻られたのですね!」

 朱鷺田の歓喜に満ちたその言葉を聞いた時、最初、4人は彼が嬉しさのあまり、美里の体格の違いに気付いていないのだと思った。


 しかし、よく見れば、彼の視線は紛れもなく、安楽椅子にすっぽりその華奢な体躯を沈めている聡美──正確には「美里の胴体に首を繋げた聡美」に向けられているではないか。


 朱鷺田は確かに今年で還暦を迎えるが、視聴覚も、そしてもちろん脳の働きも衰えてはいない。加えて言うなら、単に執事としての職務ばかりでなく、彼は美里のことを、下手すると実の孫以上に大切に思っているのだ。


 その彼が、顔立ちはもちろん、髪の長さや色も異なる聡美と美里を見間違えるなど、明らかに異常事態だった。


 「さ、聡美さん、これはいったい……」

 美里や毬奈に加えて、さすがの六路氏も狼狽したが、対して聡美は何かを思い出しているようだった。


 「──そっか。あれって、こういうコトだったんだ……」

 「何かお心当たりがあるのですか、聡美姉様?」

 「うん。あのね……」


 ろくろ首としての能力に目覚め、そしてそれが18歳の誕生日を迎えても消えなかった時、聡美は一生この能力と付き合う決心をし、そのうえで祖父母の家の物置にあった一族の古い書きつけに一通り目を通していた。

 その中には、この事例に該当する事実も記されていたのだ。


 「わたし、他人の身体に首を繋げることは一族の禁忌に触れるって言いましたよね。でも、それってなぜだかわかります?」

 「それは……他人の身体を奪うような真似は、“あやかし”ではなく“人”として生きることを選んだ、我ら一族としては許せなかったからではないですかな?」

 「それは確かにあります。でもそれだけじゃないんです──そう、単に身体を奪うだけでは」


 古文書いわく、他者の胴体に首を繋ぐことは、身体だけでなく、その“存在(ありかた)”を奪うことにほかならないのだと言う。


 「存在……ですか?」


 首を傾げる毬奈に対して、聡美が補足する。


 「わたしも、その時はよくわからなかったんですけど、たぶんその人の“立場”とか“立ち位置”とかそういうモノを指すんじゃないかと思います」


 「「「た、確かに!」」」

 それなら先程の朱鷺田の反応にも納得がいく──と、六路親子さんにんが異口同音の言葉を漏らす。


 「だから、本人であるわたしたちや、首を繋ぐ現場を見ていたおふたりはともかく、他の人──たとえば執事さんには、わたしが美里ちゃんに、美里ちゃんがわたしに見えているんじゃないですか?」


 聡美の質問に朱鷺田は「仰る通りです」と深々と頷いた。



 その後、他の人々に関しても試す必要があるということで、朱鷺田の末娘・麗花が部屋に呼ばれた。彼女はこの家にメイドとして奉職しており、秘密を打ち明けても朱鷺田同様に信頼がおけるという判断だ。


 その結果は予想通りで、麗花の目にも聡美が美里、美里が聡美に見えることが明らかになったのだ。


 「まさか、こんな事になるとは……」


 未だ驚いている六路氏とは対照的に、美里の表情は明るい。


 「聡美姉様、今の状況って、つまり他の人には、私と姉様が入れ替わって見えるわけですね」

 「うん、そうなるかな」

 「じゃあ、私が、この部屋の外に出ても問題ありませんね……「六道聡美」としてなら♪」


 そして、その言葉通り美里は、「六路家に雇われた家庭教師・六道聡美」のフリをして、しばらくぶりに部屋を出ることができたのだった。


 そうなると、聡美の方は「この屋敷のひとり娘の美里」として振る舞わざるを得ない。もっとも、自分で判断した通り、その日と翌日は霊力不足でほぼ寝たきりに近い状態だっため、それほど不都合は起きなかったのだが……。


 心身とも七割方回復した今日からは、聡美も普段に近い生活をすることになっていた──もっとも、その「普段」とは、ほかならぬ「六路美里の日常」にほかならないワケだが。


 「どう、美里ちゃん、何か不都合はなかった?」


 この二日間、美里の顔を見るたびに聞いた質問ではあるが、その答えは、いつもほぼ同じだった。


 「ええ、何も問題ありません。むしろ、いつもに比べて快適なくらいです」


 どうやら、普段より20センチ以上高い視点や、成人女性らしい丸みを帯びた身体つきは、美里に新鮮な感動を与えているようだ。


 「そっかー、わたしの方も新鮮って言えば新鮮なんだけど、うーーん……」


 視点の低さや体格自体が縮んだことで、周囲がいきなり大きく見えるようになった現状は、聡美に僅かながら圧迫感プレッシャーのようなものを感じさせていたのだ。


 「はぁ……でも、わたしたち、まだ同性同士でよかったかもね。記録によれば、たとえ異性であっても相性さえよければ首の接合は可能らしいけど、さすがに男の子になるのは遠慮したいなぁ」


 さもなければ、トイレや着替え、入浴などでとてつもなく恥ずかしい思いをするハメになっただろう。


 「あら、私はそれもめったに得難い経験だと思いますけど?」

 クスクスと笑う美里。


 元々の顔立ちや言動自体が年齢のわりに大人びていたせいか、今の彼女は、聡美の目から見てもそれほど奇異には感じられない。

 客観的には「やや童顔気味だが巨乳の女子高生」といった印象ところか。聡美がこの屋敷に来る際に来てきた一張羅のツーピースがよく似合っている。


 それに比べると、さすがに自分の方は無理があるだろう──と、如何にもな“お洒落な少女向けファッション”を見下ろす聡美。

 もっとも、美里や毬奈に言えば、「いえいえ、よくお似合いでけすよ!」と、全力で否定するだろうが。


 「それでは、そろそろ食堂に参りましょうか。聡美姉様、わかってらっしゃるとは思いますが……」

 「うん、この部屋を出たら、わたしが「六路美里」で、美里ちゃんが「六道聡美」なんだよね」


 朱鷺田と麗華はすでに事情を知っているとは言え、この家にはまだ何人もの使用人がいるのだから、元に戻るまでは他人からの"見かけ"に応じた態度を取らざるを得まい。


 「ええ、その通りです──じゃあ、行きましょう、“美里”♪」

 「はい、“聡美お姉ちゃん”♪」


 ふたりは笑い合い、手を繋いで歩き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る