-その8-

 「え、えーと……」


 “六道聡美”(と周囲に認識されている六路美里)は、出先のブティックで「何か言いたいのに何と言えばいいのかわからない」という、誠に複雑な心境に陥っていた。いつも(10歳とは思えぬほど)泰然としたその顔に、珍しく困惑の色がにじんでいる。


 彼女の視線の先をたどると……。


 「それでね、美里ちゃん。今度はこういうのどうかしら?」

 「わぁ、かわい~! うん、ママ、もちろんアリだよ。ちょっと着替えてみるね♪」


 「フリフリ」や「ヒラヒラ」という形容がいかにも似合いそうな、キュートでファンシーな女児服を多数両手に抱えた母──六路毬奈と、試着室でとっかえひっかえそれらに着替える“美里”(もちろん、本当は聡美)の姿があったからだ。しかも、ふたりとも目に見えてテンションが高い。


──シャッ!


 しばらくして、フィッティングスペースのカーテンが開き、コバルトブルーをベースカラーにした膝丈の半袖ワンピースに身を包んだ“美里”が顔を見せた。


 前身頃のあたりはギャザーを寄せた白いボディス風のデザインで、それ以外にも大きめの襟や袖口、前に2本入ったラインなどに薄く透けるようなレースの飾りが施されていて、フェミニンな雰囲気をより強調している。


 「えへへ~、どう、かな?」

 スカートの両脇を摘んで、“少女”が貴婦人風に軽くお辞儀をしてみせる。


 「可愛いッ! 可愛いわ、美里ちゃん! その姿、まさに天使!!」

 思わず、ギュッと“愛娘”を抱きしめる六路夫人。


 「きゃっ! それは褒めすぎだよ~。でも、ありがと、ママ♪」

 “美里”の方も、多少照れくさげではあるが、満更でもなさそうだった。


 * * *


 聡美と美里が一緒に入浴した日の翌日。


 「そうだ。美里ちゃんは、前は聖翔女学園に通ってたんだよね。もし良かったら、あそこの制服、着させてもらってもいいかな?」

 「? もうクリーニングは終わっていると思うので、別に構いませんが……」

 「ホント!? ありがとう~!」


 ピョコンと跳び上がって喜ぶ聡美。そんな仕草をすると、まるで本物の小学生みたいだった。


 「あたし、小学校の頃、聖女の制服に憧れてたんだよね~」


 美里が先日まで通っていた私立聖翔女学園は、そのリベラルな校風と、数多の人材を輩出していることで有名だ。

 女子は小中高12年(男子は初等部のみ)一貫教育で、高いレベルの教育が受けられるので、受験の倍率も高いが、それだけに、聡美の如く他校の生徒からは羨望の目で見られることも多い。


 「そうですか? 初等部の制服としてはごくごくオーソドックスだと思うのですが──トップが二重なので、夏服としてはあまり涼しくありませんし」


 確かに、白いリンネル地のミディ丈ワンピースに、丈の短い同素材のボレロという組み合わせは、私立小学校の制服としては、それほど奇抜なものではない。

 随所に黒い縁取りが入っているのは、制服としての側面を強調するためだろうか。


 「普段から着てる子には、そうかもね。でも、傍から見てると可愛らしくて、やっぱり羨ましかったなぁ」


 その幼き日の羨望を実現に移す機会を思いがけず得た聡美は、早速、美里の制服に袖を通す。

 首から下は同一人物なのであたりまえだが、聖翔女学園初等部夏服は、今の聡美の身体にピッタリだった。


 「わぁ~、いいなぁ。お嬢様っぽいなぁ」


 姿見に映る己の姿にうっとり見惚れる聡美。

 髪型まで、わざわざ小学生っぽいツインテール(というか、やや短めなのでピッグテールと呼ぶべきか)にしている。


 「世間で言われるほど、上流家庭の子女ばかりが通ってる通っているわけではないのですが……」

 微苦笑しつつも、美里はその様子を見守っている。


 「そうだ! せっかくだから、今日のお出かけは、この格好のまま行こうっ、と」

 「え!? 本気ですか、聡美姉様?」

 「うん、もちろん」


 ふたりで外出すること自体は昨晩のうちに話しあっていたのだが、結局、ふたりを心配した六路夫人も、メイド長の麗花(何気に護身術の心得もあるのだとか)を供に同行することとなった。


 その結果、避暑地とは言え実体は田舎町といった方が正確な猪狩沢で、唯一都内の高級ブティックの支店が出店しているこのショッピングモールに、彼女ら4人は足を運ぶことになったのだ。

 朱鷺田ではなく麗花が供に選ばれたのは目的地が此処だったかららしい。


 * * *


 「かわいい妹さんですね」

 やや呆れ気味にふたりを見ていた“聡美”は、傍らの女性店員(マヌカン)に声をかけられて恐縮する。


 「あ……済みません、お騒がせしてしまって」

 「いえいえ、構いません。この時間帯は比較的暇ですし、あれだけ可愛らしいお嬢様に着ていただけるなら、ここの服達も本望でしょうから」


 ニコニコと答える店員の様子には、口先だけのお世辞という気配は感じられない。

 確かに、美里(聡美)の姿は──互いに本来の貌が見えている聡美(美里)からしても、十二分に愛らしく、目の保養だと思わないでもなかった。


 「折角ですから、お客様も一着選ばれてはいかがでしょう?」

 「へ? あ、いえ、私は……」


 さほど着飾ることには興味のない美里だが、丁寧な物腰の割に押しの強いマヌカンの強い勧めに抗しきれず、2、3着試着することになる。


 「──どう、でしょう?」

 “聡美”が、マヌカンおすすめのコーディネートに着替えて、試着室のカーテンを開けると、ちゃっかり聞き耳を立てていたのか、店員ばかりでなく毬奈と“美里”も「ワクワク」という擬態語オノマトペを貼り付けたような顔で、待ち構えていた。


 「わぁ~、聡美お姉ちゃん、カッコいい!」

 先程のブルーのワンピース姿のまま(支払いを済ませてそのまま着て行くつもりらしい)、“美里”が、無邪気な感嘆の声をあげる。


 今、“聡美”が着ているのは、ライトグレーのツーピースだ。


 いわゆるキャリアスーツ仕様のカッチリしたシルエットのものだが、ジャケットは、みぞおちの少し上にボタンがひとつあるだけなので襟元のラインはやや緩めに開いている。

 さらに、ジャケットの下には店員の強い勧めで、ブラウスではなくオフホワイトのキャミソールなので、カジュアルな雰囲気が2割方増していた。


 ボトムは膝上5センチのタイトミニだが、バックスリットが大きめに設けられているので、多少窮屈ではあるが普通に歩くこともできる。

 足元には薄いベージュのストッキングを履き、靴はそのまま7センチヒールのエボニーカラーのパンプス。


 シンプルな装いながら着心地はよく、また生地も上質なので、本物の聡美が着てきた特価物のリクルートスーツの数倍の値段がするだろう。


 さらに言うなら、のほほんとした“本物”がスーツに「着られていた」感満載だったのと異なり、怜悧で知的な印象のあるこの“聡美”には、こういう格好がよく似合ってもいた。


 「ええ、凛々しくて、とてもいい感じですよ、聡美さん」

 「よくお似合いです、六道様」


 それ故、“美里”ばかりでなく、毬奈や侍女長の麗花までが、“聡美”を褒めそやす。


 「あ、ありがとう、ございます」

 自分でもこの着こなしが結構気に入っていたのだろう。僅かに頬を赤らめつつ、“聡美”も嬉しそうだ。


 結局、そのスーツについても六路夫人が「いろいろあったお礼」という形で代金を支払い、彼女もそのまま着て行くことになった。


 「あたし、次はアッチのファンシーショップがいいなぁ」

 「あまり急ぐと危ないですよ、美里」

 「平気だよ、聡美お姉ちゃん!」

 「あらあら、ふたりとも、本物の姉妹みたいに、すっかり仲良しさんね」


 楽しげに談笑しながら歩く3人の女性達の姿は、傍から見ればまるっきり「幸せそうな家族」だったろう。


 「……本来の立場とは一部の長幼が逆な気もしますが」


 その傍らに侍るメイドの言葉が、現状を的確に言い表してもいたが。

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