-その5-
それは、傍から見ればごく普通の(まぁ、ダイニングがやたら豪華で、メイドまでいる時点で現代日本の「普通」とは趣きが異なるかもしれないが)、微笑ましい晩餐の光景に見えた。
たくましく威厳がありつつ、話のわかる「父親」。
美人で優しく、暖かな空気をまとった「母親」。
落ち着いた雰囲気と優雅な物腰を兼ね備えた、ハイティーンくらいの「姉」。
そして、朗らかで愛くるしい印象の、ローティーンにさしかかった「妹」。
何も知らない人に第一印象を尋ねれば、まず、上のような答えを出すだろう。
実際には、4人のうちのひとりは家族ではなく、かなり遠縁の親戚であり、この家の娘の「家庭教師」として招かれた人物なのだが。
さらに言えば、一見「姉」に見える方ではなく、背格好その他からは、どう見ても11、2歳くらいの「妹」にしか見えない方の人物こそが、六路家の娘・美里の家庭教師、六道聡美だったりする──もっとも、見れば見る程信じ難いが。
これにはちょっとした……の一言で済ますには、いささか複雑な事情があり、20歳の女子大生である聡美と、10歳になって間もない美里は、彼女達の特異体質故に、現在、首から下が入れ替わっている状態なのだ。
普通に考えれば、三流ホラーかオカルトにしか思えない現象だが、しかし、現在この屋敷でこの異常事態に気付いているのは本人達を除くと4人、美里の両親と執事&メイド長しかいない。
これは、ふたりの特異体質からくる“副次的効果”のおかげで、他の人間には、美里の胴体を持った聡美が美里、聡美の身体に繋がった美里が聡美として認識されているからだ。
もっとも……。
「──御馳走様でした」
殆ど音もなく銀食器を置くと、優雅な仕草でナプキンで口元をぬぐう“聡美”。
「ご、ごちそうさまです」
こちらはやや拙い手つきでナイフ&フォークを操っていた“美里”も、どうやら食べ終えたようだ。
「冴子さん、食後のお茶を頂いてもよろしいですか?」
数日前からのこの館の客人となった「はず」の女子大生は、しかし、そのことを感じさせない、ごく自然な口ぶりで壁際に控えていたメイドに、そう告げる。
「は、はい、畏まりました。ダージリンのストレートでよろしいですか?」
「ええ」
「美里お嬢様は、如何いたしますか?」
「へ? あぁ……えっと、じゃあ、わたしはミルクティーをお願いします」
ピョコンと頭を下げる仕草は可愛らしいが、その様子は、数日前までの歳の割に大人びた少女とは、いささか様相が異なる──まぁ、本当に別人なのだから当然だが。
しかし、内心僅かに首を傾げながらも、メイドはその事実自体には露ほども気付かず、言いつけられた仕事をするべく、厨房へと消えて行く。
あとにはキョトンとした“少女”と、困ったような微笑ましいような複雑な視線を彼女に向ける“家庭教師”、そしてこちらは満面の笑みを浮かべた美里の両親の姿が残させていた。
* * *
「ふぅ~、何とか乗り切ったね、美里ちゃん」
「そう、ですね」
夕食のあと、“聡美”と“美里”──いや、美里と聡美は、連れ立って美里の部屋に戻り、緊張の糸を緩めていた。
率直に言えば、ふたりともお互いに成りきる演技は及第点にはほど遠いと言えるだろう。
美里のフリをする聡美はもとより、聡美としての美里も、本来のごく庶民的な環境で育った「六道聡美」としては優雅で気品がありすぎた。
「とは言え、“六道聡美”の方は、この家の者に詳しく素性を知られているわけではありませんから、それほど問題ないはずなのですが……」
「あー、そうだね。わたしも、一応できるだけ丁寧にしゃべったり行動したりしたつもりだけど、筋金入りの“おぜぅさま”な美里ちゃんの目から見たら、ダメダメだよね」
ガックリと肩を落とす聡美。自分の無作法で妹分の株を下げてしまったのではないかと危惧する。
「い、いえ、そんな大層なものでもありませんので。それに、聡美姉様の行動そのものにマナー違反な点などはなかったと思いますし」
慌てて美里が慰める。本当に小学生とは思えぬデキた子だった。
「それでも、やはり普段通りの言動と言うには、やはり無理があったのではないかと思われます」
「確かにね。でも、そのわりに、不審がられてなかった気もするけど」
これもまた、ろくろ首としての“能力”の恩恵なのだろうか、と首をひねるふたり。
このふたりの場合、捻り過ぎると物理的に「取れる」危険性がある……というのは、笑えないジョークだ。
──実は、給仕していたメイドの冴子も、多少違和感のようなものを感じてはいたが、いきなり雇い主の娘に「お嬢様、何か様子が変ですよ」と言う勇気がなかっただけの話なのだが。
「まぁ、いいや。本人呼んで聞くわけにもいかないし、とりあえず、このスタンスでスルーされてるってことは、バレてないって考えようよ」
「精神衛生上、その方がよさそうですね」
とりあえず、ふたりの少女は、問題を棚上げすることにしたようだ。
「さってと。それじゃあ、晩御飯の食休みもそろそろ済んだことだし、わたしの本業をさせてもらおうかな」
「? 何の話ですの、聡美姉様?」
小首を傾げる美里に、チッチッチと得意げに指を振ってみせる聡美。
「それはもちろん、“美里ちゃんの家庭教師”だよ♪」
「えっ!? それは、
楽しげな聡美と驚く美里。
「うん、本来はね。でも、今の状態だと、下手に霊力を消耗するのは危険だからソッチについて講義するのは難しいし、だったら普通に学校の勉強の方を教えてあげようかな、って」
「ああ、成程。でも、私、自分で言うのもどうかと思いますが、学校の座学に関してはかなり優秀ですよ」
「うん、それは聞いてる。だから……」
ゴソゴソと傍らに置いた包みから何かを取り出す聡美。
「じゃーん! 毬奈さんにお願いして、中学生のテキスト一式を揃えてもらいました」
真新しいそれらをうれしそうに取り出し、ようやく当初(此処に来る前)思い描いていたような「家庭教師の先生」の講義を聡美は始めた。
いや、始めるには始めたのだが……。
「うぅ~、美里ちゃん優秀過ぎ。どうして小学5年生なのに中学生の勉強がスラスラ解けるの」
国数英理社、主要5教科のいずれにも隙がなく、下手すると数学などは聡美より解くのが早いくらいだ。
「フフッ……昔から本ばかり読んでいたもので」
この数日間の会話で、少女の知識レベルや精神年齢が、本来10歳の女の子であると信じられないくらい高い──それこそ高校生にもひけをとらないレベルであることは一応知ってはいたが、改めてソレを見せつけられた気がした。
(下手すると、わたしより大人かも──いや、わたしが子供っぽ過ぎるのかなぁ)
その証拠に、20歳の自分の身体に美里の頭が載っていても、“異能”の影響を受けていない聡美の目から見て、別段不自然なところはない。
むしろ、童顔で性格も歳の割に落ち着きのない自分より、お姉さんっぽい気が……。
「──どうかされましたか?」
「ヘッ!? あ、ううん、何でもないよ、お姉ちゃん……あっ!」
そんな感慨にふけっていたせいか、つい美里のことをそんな風に呼んでしまう。
「……」
「……」
しばしの沈黙がふたりの間に流れる。
「ち、違うの! ほら、みんなのいる所で、うっかり呼び間違えたりしないように、普段から練習しとかないとって思って……」
苦しい言い訳の言葉に、うっかり言い間違えたと言うことは分かっているだろうに、それでもちゃんと彼女は乗ってくれた。
「クスッ♪ 確かにそうですね。では、ふたりきりの時も、できるだけそう呼ぶようにしましょうか、“美里”?」
「う、うん」
「“美里”、淑女の返事は「うん」ではなく「はい」ですよ」
「は、はい、“聡美お姉ちゃん”」
他愛もないやりとりだったが、あとにして思えば、まさにその時からふたりの関係や立ち位置に変化が生じ始めたのかもしれない。
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