最終章 愛しき友よ

 全ては終わった。ロシア帝国は崩壊し、校長は日本への帰化を選択。フラフラと飛び去っていったソ連のヘリコプターは、依然として消息不明だ。おそらくは証拠隠滅の上で、ソ連本国に引き上げたのだろう。

 残務を終えた僕――いや、『わたし』は、ひさびさに実家へと帰宅した。東京大空襲を免れた古い屋敷で、一角には忠彦が言ったとおり大きな蔵がある。

 脚立きゃたつを取り出し、180度開いて長梯子にして固定すると、真ん中の梁によじ登る。……そこには、ニカワで貼り付けられた封筒があった。

 中に手をやると、便箋が入っている。わたしは蔵の外に出ると、太陽の日差しの下でそれに目を通した。


『前略 ひそかへ


 世界線が分岐する前に、この手紙がお前に届くことを祈っている。

 俺達は甘粕正彦に会う根回しのために、いま内地に来ている。

 漢字や習俗が今と違うので、大変だ。

 戦前の日本が想像以上に銃社会なので、それにも驚いている。


 これから正彦に会ったら歴史が動き、お前の住む世界線とは完全に分岐する。だから、これが最後の言葉になる。

 この気持ちをなんて言ったらいいのか分からないが……お前は、俺にとって大切な友人だ。

 俺達の道は離れ離れになるが、志は同じだった。

 家族のように育って同じ任務に従事し、同じ飯を食い、同じ空気を吸った。

 本当の友達ってのは、お前みたいな奴を言うんだと思う。

 そして本当の友達ってのは、人生に一人で沢山なんだ。


 二十一世紀の幸せを、俺の代わりに掴んでほしい。

 俺は俺で、これから歴史を変えてみせる。新しい二十一世紀を、この目で見届けてみせる。

 俺のそばにはナーシャがいる。二人一緒なら、たいていのことはできる気がしている。


 言いたいことは色々あるが、きりがないのでそろそろ筆を置こうと思う。


 それじゃまた、どこかの世界でな。 忠彦』


 握りしめた便箋に、雨でもないのに水滴がポタポタと落ちた。それは、わたしの涙。

 そのときになって初めて、わたしは忠彦のことが好きだったんだと気付かされた。


 ――『忠彦ロス』が生じたら、遠慮なく余に申せ。


 ナーシャが、そんなことを言っていたなと思い出す。

 ナーシャは可愛いところもあったけれど、超然として悟りすましたような女の子だった。

 これがそのへんにいる女なら嫉妬の感情も湧いただろうけど――わたしはナーシャの臣下で、ナーシャはわたしの主だ。それは、彼女が時空の彼方に消えた今であっても変わらない。だから、嫉妬の感情は不思議と起きない。むしろ忠彦のこともナーシャのことも好きだからこそ、二人が一緒になって良かったと思う。


 『こっちの世界』でこれから綴るのは、十八歳のわたしの人生。

 警護人・三枝ひそかの、次なる人生。

 次の依頼は、果たしてどんな学校になるだろうか。

 わたしは屋敷の門を出ると車に乗り込み、三枝警備保障本社に向けて出発したのだった。

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時を馳せる皇女 東福如楓 @MIYAGAWA_Waya

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