第八章 滑走路(ランウェイ)で笑って

「……由々しき事態だ」

 亡命政府内、校長の執務室。日曜日の昼下がりに、防衛装備庁の杉原三尉が銃器訓練の中間報告のため、トウキョウ州アザブ市を訪れた。その手土産が、よりにもよって『ヴォルゴグラード』改め『ハラショークレープ』のクレープだったのだ。

 杉原三尉が帰った後、僕と校長は試食会を開催している。

「……これは大変なことになりましたね。率直に言って、美味です。というか、ブリヌイって初めて食べました」

「確かに美味いな。問題は、やがてこれが連中の工作資金に化ける……ということだ」

 SNS映えと物珍しさでバズり、またソ連ブームもあって閑古鳥から一転、あの店は大繁盛の体を見せていた。

 勅令で禁止したのはあくまで『ヴォルゴグラード』の利用であって、『ハラショークレープ』の利用ではない。あまりの味に、亡命政府職員までもが食べに行く始末だ。

「庁舎内へのデリバリー禁止だけで、落とし所とする他ないだろうな。仮にイートインまで禁止したところで、違反者をいちいち処罰していたら政府の士気に影響する」

「そうですね……しかし、これでしばらく連中は身動きが取れませんよ。ナーシャに対するちょっかいも、当分の間はないでしょう。杉原三尉の話ではこれだけ繁盛して、人手が足りないようですから」

「ああ。本業と副業が逆転しているようなものだからな。だが警戒は怠るな」

「分かりました……あ、そろそろ中継の時間ですよ。テレビ、つけますね」

 この日はロシア帝国にとって、運命の日とも言えるときだった。今日の夕方、ミナリンスカヤ大統領その人が羽田空港に降り立つのだ。

 テレビのリモコンをつけると、ちょうどミナリンスカヤ大統領が到着しているところの中継だった。

 滑走路を駆け抜ける金色の風に呼ばれて、彼女はタラップを降りてくる。

 ソ連政府専用機の国章を背負い、たなびく銀髪を右手で押さえて降りてくる。

 三十四歳の美しい国家元首は報道陣のカメラに目線をくべると、憂いのある笑みを残して視線を日本国首相へと戻した。

 両者は互いに固い握手を交わすと、通訳を交えて何事かを話し始める。

「……忌々しい風景だな。これで平和条約締結が本決まりになれば、我が国は世界の孤児となる」

「そういえば日ソ国交正常化を控えた中で、どうして公安や自衛隊はロシア帝国にここまで協力してくれているんですか?」

「国交正常化は外務省主導だ。だが公安や自衛隊は、長らくソ連を仮想敵として活動してきた。国交正常化が仮になされたとしても、その扱いは変わらないだろう。彼らも『敵の敵は味方』として、我々に協力してくれている。……これ以上、この中継を見る必要もないな。チャンネルを変えてくれ、三枝くん」

「はあ……では、癒やしの3チャンネルでも」

 僕がテレビのチャンネルを変えると、ちょうど『みんなのうた』が始まる時間だった。

『みんなのうたです』

 タイトルには、『ソビエト娘のうた』とある。


『革命が終わったころ 君を見てびっくり

 白色テロルも共産革命で真っ赤っ赤

 ブルジョアな君はどこに行ったんだろう

 すっかり総括して同志になったよ

 赤くて強きソビエト娘

 二月革命でソ連ソ連

 十月革命でもソ連ソ連

 僕は大好きソビエト娘♪』


 ……出すべき言葉が見当たらない。やたらと耳に残るメロディーだ。いわゆる『洗脳ソング』に近いものがある。

「これでは公共放送ではなく、完全な国営放送だな。不愉快極まる」

 校長は僕からテレビのリモコンを受け取り、電源を切る。

「我が国の外交部も日本との国交維持に血道を上げているが、正直に言って旗色はかなり悪い。……最悪の場合、我々は究極の選択を迫られる」

「究極の選択……?」

「ロマノフ王朝の血統を残すか、それとも陛下個人を護るかだ。現在、ロマノフの直系は陛下のみ。皇位継承権者はいない」

「校長は、どうされるんですか」

「迷わず後者を選ぶ。私はチェチェンの地獄から陛下に救われ、お仕えした身。ロシア帝国という『体制』に仕えているわけではない。そうなったら……同調してくれるか、三枝くん」

「もちろんです。僕はナーシャの警護人です。帝国かナーシャかを選べと言われて、迷う立場にはありません」

「……ありがとう。助かる」

 と、そこで校長の執務室の電話が鳴った。

「私だ。……なに? それは本当か!」

 ひとくさり会話を終えると、校長は力なく受話器を置いた。

「どうされたんですか、校長?」

「日本政府が……ロシア帝国に対し、日ソ平和条約批准時点での国交断絶を通告してきた。日ソの事務方レベルで、既に平和条約の内容が固まったことが理由だそうだ。亡命政府の敷地も、それと同時に明け渡せとのことだ」

「ま……まさか、こんなに早く!? でも『批准』ということは……」

「条約の署名後、日本の国会で批准された段階で国交断絶だ。タイムラグはある。この件が報道されれば、週明けにも国交断絶が各国から相次ぐだろう」

「ナーシャは……ナーシャはどうなるんですか?」

「国交のある第三国に再亡命させるのが、最も現実的な選択肢だろうな。このままでは、日本国内での陛下の扱いはロシア帝国皇帝から『無国籍者』になってしまう」

「それは……皇統を断て、と言っているに等しいですね」

「……そうだ。陛下にはせめて、普通の女性としての幸せを掴んでほしい。だから、三枝くん……政府や宮廷の動きがどうなろうと、陛下個人の利益を優先して君には動いてもらいたい」

「それは、三枝警備保障に対する依頼と受け取って宜しいですね?」

「ああ。これは追加の契約だ。ロマノフ・ルーブル建てでは差し障りがあるだろうから、報酬は金のインゴットで支払う。私はしばらく、政府職員としての対応にかかりっきりになるだろう。君の経験と判断で、なんとか突破口を見つけてほしい」

「分かりました。校長にはロシア帝国の友好国が、できる限り国交を断絶しないよう工作をお願いします」

「承知した」

 ……事態は正念場を迎えた。僕はこれからナーシャの警護人としてだけではなく、ナーシャを第三国に亡命させるための水先案内人としても動くことになる。

 難しい任務だけど、何としても成功させなければならない。なぜなら――僕は、ロシア帝国外交部の二等書記官なのだから。


         ▼


 残っていた数少ないロシア帝国の友好国は案の定、日本政府の動きを受けて次々と国交断絶を通告してきた。

 残っている国はベネズエラ、コロンビア、南アフリカ、そしてバチカン市国。この四カ国だけだ。

 最初の三つは治安上の理由で問題外……となると、最後の頼みの綱はバチカン市国ということになる。

 学校を休んだ僕はナーシャを連れ、バチカン市国の大使館前に来ていた。

「これ、ひそか。痛いぞ。余を引っ張るでない」

「ごめんね、ナーシャ。でもことは一刻を争うんだ。事情は理解しているだろ?」

「してはいるが……余は正教の守護者である。どれだけ追い詰められようとも、西方教会の庇護を受けるわけにはいかぬ。余がバチカンに亡命したら、正教を信じている全世界の我が臣民はどうなる? それならばいっそソ連の凶弾にたおれ、致命ちめいしたほうが……」

 そこまで言われたところで、思わず頬に向けて手が出てしまった。

「っ……」

 済んでのところで押しとどまり、右手を納める。ナーシャはおずおずと、反射的に頬をかばった腕を降ろした。

「……すまない。けど、あんまり僕を困らせないでくれ、ナーシャ。正教やら帝国やら、そんなものは僕にはどうだっていい。僕が護るべきは、ナーシャ……君自身の安全だけだ。それにこれは、ヴォルコフ校長の特命でもある」

「なんと……ヴォルコフが? 皇室の存続よりも、余のことを……?」

「僕だって思いは同じだ。それに……忠彦だってここにいたら、同じことを言うはずだ」

「余一人がバチカンに亡命したところで、余はどうやって生きていけばいいというのだ……」

「どこにでもいる女の子として、幸せになるんだ。皇帝なんて肩書は捨てて、自分のことは『わたし』と普通に呼んで……」

「余に……余に、それができるであろうか。ロマノフ以外の自分に、余はなれるであろうか……?」

「なれる、じゃない。なるんだ。生きるってのは、自分の物語を紡いでいくことだ。僕は物語を紡ぐためのノートを、ナーシャにあげる。そこから先は、ナーシャ次第だ」

「滅びを受け入れるより……生き延びるというのは苦しいのだな、ひそか……」

「そうだね。でもナーシャの強さなら、それができる。そう信じている僕らの気持ちに、どうか応えてほしい。君主ではなく、一人の人間として」

「そうか、分かった。余は決めたぞ。正教の盟主としてではなく一人の娘、アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァとして亡命を――」

 そこまでナーシャが言ったところで、車道からクラクションが鳴った。とっさに振り向くと――そこには、見慣れない光岡・ビュートから降りてきた忠彦がいた。なぜか助手席には、えりツィン――担任の茶沢えり教諭が乗っている。警護プロジェクトの件は既に知っているから、見られて困るものでもないけど……。

「忠彦!」

「すまん、遅くなったな。事情は校長に聞いたよ。大変なことになっているみたいだな」

「長い間、連絡もなかったから心配したよ。訓練の成果は?」

「あー……そのことなんだが、話すと長くなる。アポイントはあるんだろ? なら、とりあえず中に入ろう」


 応対に出たバチカン市国の担当官は、人を食ったような態度だった。

「亡命自体はやぶさかではありませんが、『何者かの手によって』護送中に暗殺される可能性が『極めて』高いと言わざるを得ません」

 それは、遠回しの拒絶だった。立ち去り際に、彼は僕らにこう告げた。

「いっそタイムマシンでも使って、敵対勢力のいない時代に行ったらどうですか?」

 明らかに侮蔑と嘲笑が混じった声音――。交渉は失敗に終わった。落胆したナーシャを慰めながら大使館を出ると、忠彦は顎に手をやって何やらブツブツとつぶやいている。

「タイムマシン……その手があったか……いや、でもこれ通るかな……?」

「何を考えているんだい、忠彦?」

「待て待て待て、いま頭の中でパズル組み立てているから……いや、そうなると俺も一緒に行くことになるのか……行き先、行き先……どこかないか……?」

 あれ……忠彦の腕時計、なんか変だな……。その違和感の正体に気づき、僕はとっさに自分の時計を見る。

「忠彦。その時計、二十五分も遅れているぞ。それにその日付……十五日もずれている」

「ああ……そうか、『時差』があるんだな。忘れてた。電波を拾って時間を直しておかないとな。入力十五日に対して二十五分……えーとひそか、二十五割る六十割る二十四割る十五の値に百をかけるといくつだ?」

「約0・12だね」

「そうすると、誤差が0.12%か」

「……さっきから、一体何を言ってるんだ? 様子がおかしいぞ」

「それも含めて、もろもろ説明はする。今は何も訊かないでくれ。とにかく時間が惜しい。『切り札』を切れるのは一回だけだ。二人とも、車に乗ってえりツィンの家に行こう。全てはそこからだ」


         ▼


「え……えりツィンが、未来世界から来た科学者だって!?」

 駒場の公務員住宅にあるえりツィンの家に上げられた僕たちは、衝撃の告白に耳を疑う。

「そう。ボクは二〇五五年の未来からやってきた、時間超越者。嘘だと思うなら、これ見てよ」

 言って、えりツィンはパスポートと令和二十年の刻印が打たれた百円玉を手渡してくる。

「パスポート、中を見てもいいですか」

「どうぞ」

「どれどれ……茶沢えり、二〇三〇年十月七日生まれ……ってええ!?」

 ありえない年号が、そこにあった。僕が驚いていると、なぜか上座でえりツィンの側に座っている忠彦が口添えする。

「俺も最初は偽造を疑ったが、少なくともえりツィンが時間遡及の技術を持っているのは事実だ。なんとなれば俺自身、既に十五日後の未来から帰ってきた身だからな」

「ど、どういうことだ……?」

「そもそも未来人のえりツィンが、どうやって現代人をやっているか。それは、日本政府と取引をしたからだ。身元や偽りの経歴を含めてタイムマシンの研究を全面的にバックアップする代わりに、研究成果は政府と共有する。それが契約だ」

「京大の研究所でタイムマシンの試作機が暴走して、ボクはこの時代に流れ着いたんだ。留学が近くて、たまたまパスポートを持っていて良かったよ。試作機は大破しちゃったから、頭に入っていた理論とこの時代の技術で、なんとか元の未来に帰る――それが、ボクの研究の目的だよ」

「外界から途絶され銃器訓練を終えた俺は、なぜかそのまま空自の基地に連れ去られた。そこには、滑走路で自動車型タイムマシンの実験をしている部隊がいた。そのチームの統括が、茶沢えり『一等空尉』だ」

「空自の施設を借りてるから、一応肩書だけね。それに、『外界から途絶された空自の滑走路』という条件は実験にうってつけだったんだ。『改変者への罰』って呼ばれるものだけど、歴史に大きな干渉を与えた時間超越者は、元の世界線に戻ってこられなくなる……つまり、パラレルワールドに取り込まれちゃうからね」

「俺が自衛隊で訓練を受けることになった時点で、えりツィンはチャンスだと思ったそうだ。外界との接触を遮断した上で、近未来から過去……つまり現在に時間超越をさせれば『成功したかどうか』を判定することができる。実際、俺が知っているのは十五日前にタイムスリップしたという事実だけだ。今から見て十五日後のナーシャや亡命政府がどうなったかについては、何も知らない……っていうか、自分で実験しろよ、えりツィン……。経験者だろ」

「ボクは自動運転世代だよ。目的地入れてピッ! で終わり。この時代のマニュアル車で時航回路が作動する時速140キロを出すなんて、危なくてできるわけないじゃん」

 僕はそこまで聞いて、ふと疑問に思ったことを尋ねてみた。

「歴史に大きな干渉を与えた時間超越者は、元の世界線に戻ってこられなくなる……って、ひょっとして日本政府に研究成果を提供しているえりツィンは」

「アウトだろうね。本来ならこの時代、まだ時間遡及は研究すら始まっていない。それでも……ボクがこの時代で生きていくためには、こうするしかなかったんだ。それにボクの研究は、『改変者の罰』を受けた者でも元の世界線の未来に帰れるようにするもの。ボクの戦いはこれから! だよ」

「でもタイムマシンの実験自体は、忠彦で成功したんでしょう?」

「問題が三つあってね。一つは、使い捨ての試作機はあと一台しかないということ。もう一つは、そもそもボクがそれを操作できないということ。最後に、試作品の時空超越機『イザナミ』は現段階では過去にしか行けないことだ」

「なんで自分が操作できない形にしたんですか……」

「動力と予算の問題だね。政府からの援助って言っても、借金だらけのこの国も無限に研究資金をくれるわけじゃないから。予算があれば、そもそも乗り物じゃない冷蔵庫型タイムマシンとかも作れたんだけど……」

「それ、絶対にやめてくださいね。子供が真似すると大変なことになりますから」

「冗談だよ。で、ボクたちのほうの事情は話したけどそっちはどうなの? 話は校長から聞いてるよ」

「……万策、尽き果てました」

「そうだろうね。残念だけど、無駄だと思うよ。未来のことを詳しくは言えないけど、ボクがいた時代にロシア帝国は存在しない。『ロシア連邦』ならあるけどね。それが、ボクの知る未来」

 緑茶を口に含み、今まで黙ってやりとりを見ていた忠彦が口を開いた。

「そのことなんだがな、えりツィン。頼みがある」

「『イザナミ二号』を使わせてほしい、って話かな? 顔に書いてあるよ」

 な! 何を考えているんだ、忠彦は……? 二号、ってことは一号が忠彦が十五日後から乗ってきたもう一つの試作機で、二号が現存しているものなんだろうけど……。

「そうだ。ナーシャを連れて過去に飛び、安全な時代に避難させる」

「行き先のあてはあるの?」

「ある。俺の四代前――甘粕正彦がいる時代の満州ロシア帝国だ。そこで太平洋戦争を止め、日本を敗戦から救う。そうすればロシア帝国もソ連の侵攻を受けず、満州に存在し続けることになる。正彦は子孫に宛てて、ロマノフ朝が危機に瀕した際は子孫がこれを守れと直筆で書き遺している。それを見せれば、本人の筆跡だ。納得せざるをえないだろう」

「大きく出たね。――分かった、可愛い教え子の頼みだもんね。持っていっていいよ。だけど忠彦、もう元の世界に戻ってくることは――」

「できない、だろうな。その点は覚悟している。えりツィンこそ、タイムマシン製作の件とナーシャの件、二回も歴史に干渉することになる。元の世界に帰るのが、一層難しくなるんじゃないのか?」

「仕方ないね。それもこの商売の宿命ってやつかな。教え子の窮地を見捨てる人間を、ボクは断じて教師とは認めないよ」

「……すまん、恩に着る。今まであんたのことを、俺は見損なっていた」

 えりツィンに向き直ると両手をつき、忠彦は深々と頭を下げる。

「……というわけで話を勝手に進めてしまったのだが、ナーシャはそれでいいか?」

「なにやらよく分からぬが、男気を見せてくれたな。満州時代のロシア帝国に飛ぶと申すのだな?」

「ああ」

「忠彦が供をするのなら、余はどこでもよい。亡命政府にはロマノフ・ルーブルとの兌換だかん用に金のインゴットが大量にあるゆえ、それを持っていくがよかろう。ひそかはどうだ? 一緒に来ぬか?」

 じっと黙って僕の隣で話を聞いていたナーシャが、話を向けてくる。

 僕は――。

「少し、考えさせてほしい。ナーシャの身の安全を護るために必要ならばついていくし、他にやるべきことがあるのならそちらを優先する」

「――分かった。余は、その方らの意思を尊重する。忠彦もである。仕事だからと言って、無理に現代の世界を捨てることはないのだぞ?」

「男が覚悟を決めたと言ったら、それはそうなんだよ、ナーシャ」

 ――話は決まった。あとは校長に報告し、最終的な認可を受けるだけだ。

「ちなみになんだけど」

 メガネをクイと直しながら、えりツィンが口を開く。

「忠彦がここまで運転してきた『イザナミ二号』……秘匿名称『デロリアン』は空自の装備品って扱いになってるから、あれに乗っていくと窃盗になっちゃう。動作速度の時速140キロに到達してこの時空から消滅するまでは、空自の警務隊……つまり憲兵も追跡してくると思う。今は『慣らし運転』ってことでボクが持ち出しを許可してるけど、車両は連中にマークされてるだろうね。それだけは覚えておいて」


         ▼


 時空を超えたナーシャの『亡命』案は、校長の裁可を経て実行に移される運びとなった。えりツィンの正体にもっと驚くかと思っていたが、校長も断片的な情報は耳にしていたらしく、拍子抜けする形となった。

 忠彦の話によれば『イザナミ』の使い方は、目的の時刻と座標をインプットして時航回路を起動。その上で、時速140キロを出すことだそうだ。――なるほど、秘匿名称『デロリアン』というのも頷ける。最大の特長は、時刻だけではなく『座標』も指定できる点。それならば車を何らかの手段で、満州――中国東北部まで運ぶ必要はなくなる。

「それで、甘粕君。作戦の実行はどこで行うつもりかね?」

「通行量が少ない夜間を見計らい、新東名高速道路の御殿場ごてんばから浜松いなさまでの間を考えています。あそこなら、指定速度は120キロ。140キロを出すことは容易かと」

「作戦の妨害を図ると思われる勢力は?」

「現在亡命政府の敷地にあるイザナミ二号をマークしているであろう、ソ連のベリンスカヤ隊と航空自衛隊の警務隊。そんなところでしょうか」

「分かった。現地工作資金として、陛下の下命によりインゴットを急いで準備している。ロシア帝国の刻印入りだ。満州時代と同じ紋章なので、きっと役に立つと思う」

 『過去への亡命』の準備は着々と進む。僕は気になったことを尋ねてみることにした。

「校長。妨害勢力への対応は、どうするんですか?」

「……警護車を使って、バックアップするしかないな。運転手は三枝くんが務めてくれ。私が同乗し、指示を出す」

「それじゃあ……僕はこの世界に、残留決定ですね」

「ああ。これが、警護チーム最後の作戦だ。残念ながらロシア帝国は滅亡するが、陛下の御身を護るこそ我らが誉れ。各員、よろしく頼む」

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