時を馳せる皇女
東福如楓
序章 守護の乙女と四月事件
「パパ……もとい、ペア長。対象者は金森洋物館内『函館武将館』にて、
「了解。引き続き、周辺警戒を厳となせ。こちらは警護車にて待機する、以上」
頼むから、じっとしていてくれないかなぁ……皇女殿下。金髪ロシア美少女が、『勘違い日本』感全開のこの店にいるのは人目を引いて仕方がない。身辺警護とはつまるところ『まさか』を潰すことがその極意だけど、こういうシチュエーションだとその『まさか』が多すぎる。
「箱館戦争は現代史であるし、この魂は五稜郭に置いてきた」と主張して何はばかることのない彼女にとって、ここはおそらく聖地だ。聞くところによるとこの会社、函館にしか実店舗がないという。
函館ハリストス正教会修復工事への資金援助に際し、東京にあるロシア帝国亡命政府を代表してここ北海道の地を踏んだ警護対象者。
その名をナーシャ――アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ五世と言う。次代ロマノフ王朝
わたし――
普通なら、こういった外交絡みの案件ではうちのような警備会社ではなく警察が警護する。にも関わらず、このプロジェクトは我が『三枝警備保障』が受注している。わたしはパパが社長をしているそこの『警護人』だ。公的にはわたしは、一応警視庁警備部警護課の『嘱託』ということにもなっている。
日ソ国交正常化を控えた政府の立場が痛いというのもあるけど、最大の理由は対象者が現役の高校生であるということだ。――それもあろうことか、特例で国立の『男子校』に在籍している。言ってはなんだが、逆ハーレムもいいところだ。
現役の警察官では、在校中の警護を円滑に実施することができない。彼らはわたしと同様に警護のプロではあっても、わたしとは違って『学校潜入』のプロではないからだ。
そこで矢が立ったのが、わたしだった。身辺警護には百人の警護対象者がいれば、百通りのやり方が存在する。現役高校生のわたしには同じ高校生の警護経験があったし、受け入れ先の学校には協力者となる幼馴染もいた。……まあ、そこには『性別の壁』という巨大な壁が立ちふさがっているんだけれど。今のところは、男装の上で警護業務を行っている。露見したらその時点で任務失敗なので、わたしはプロ意識にかけて『完璧』を演じきっているつもりだ。
と。ナーシャが扇子をフリフリと振って、わたしを呼びつける。わたしは中性的に短くまとめた髪を揺らして、彼女のもとに駆け寄った。
「どうかした、ナーシャ?」
「ひそか!」
「うん?」
思わず、背筋を伸ばしてしまう。傍目からは、彼女の尻に敷かれた情けない『彼氏』に見えるだろう。……何故ならわたしは今、学校の男子用学ランを着ているのだから。
「余はこの兼定を買うことに決めた。ついては、価格を店主と交渉せよ」
「は……?」
いや……観光地の特殊なグッズショップで、それは無理だと思うのだけれど……。
「二度も言わせるな。二割引かせれば上出来、一割でもまあよい。亡命政府の財政は白系ロシア人からの
「ナーシャ、落ち着いて。ボディーガードの仕事は、間違っても召使いじゃないよ」
「その方はロマノフおのずから、価格を交渉せよと申すのか。そのようなみっともない真似、できようか」
「ナーシャは無駄遣いし過ぎだよ。通販番組でくだらないもの買っては部室に送りつけて……政府庁舎に送ればいいじゃないか」
「たわけ! 余の臣下にあのようなものを買ったとバレるなら、切腹するわ! それに通販なら、木村拓哉もやっておったではないか!」
「それは『HERO』の作中でだけ。ちなみにご所望の刀のレプリカは、どうするの?」
「余の執務室に飾る。威厳があってよいであろ?」
あー……かつては世界最大の版図を治めていたロマノフ王朝の末裔も、戦後ずっと日本にいればこうなるよね……。というかこのお姫様、亡命政府職員からロシア語のレッスンは日本語で受けてるし。
仕方がない。不本意だけれど、ダメ元で交渉してみるしかないか……。
と。わたしのスマホに非通知で着信が入る。ナーシャを手で制すると、わたしは通話ボタンをタップした。
「もしもし?」
こちらからは名乗らず、相手の出方を伺う。今は警護中だ。
「『亡国の姫君』――アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ五世は、そこにおられるかしら?」
若い……というより、これは少女の声だ。
「誰だ?」
強めの口調で問い返す。……ここはショッピングモールの中だ。狙撃ということはない。警戒すべきは……強襲か。
「失敬、お静かに」
「な、何をする……放せ、ひそか!」
わたしはナーシャの体をとっさに抱き寄せると、学生カバンを模した防弾カバンの取手を強く握りしめた。
「お察しの通り、わたくしはソヴィエト社会主義共和国連邦の手のものですわ。GRU……ってお分かりかしら」
「……ソ連軍参謀本部情報総局。KGBと並ぶ、ソ連の情報機関だな」
「そのとおりですわ。では、アナスタシア五世にお伝えを。我が栄光のソ連地上軍はすべての反革命分子を殲滅するために、米帝の
ひとくさり
「伏せてッ!!」
わたしは反射的にナーシャを押し倒し、自分の体で彼女を護る。パニックになった観光客の悲鳴が、周囲を行き交う。
……爆風が去ると、わたしは駐車場の警護車の中にいたペア長――パパを呼び出した。しかし電話はつながらず、無線の応答もない。
ナーシャをひとり残して、現場の確認には行けない。あの車は――そしてパパやわたしと言った警護人ですらも、全てはこの姫君を護るための道具として存在しているのだから。
「ナーシャ、こっちだ!」
「わ……そう急かすな、ひそか! 余はヒールなのだぞ!」
この建物に入る前に、見取り図は頭の中に叩き込んでいる。わたしはナーシャの手を引いて、一番危険の少ない方角に走り出した。
警護の鉄則は、とにもかくにも警護対象者を危険から遠ざけること――。十字路がいくつも交差するこのショッピングモールの構造を踏まえて、わたしは『まさか』を限りなくゼロにするためにナーシャを連れてひた走る。
「三枝警備保障B班、こちら道警函館西署警備課開局、どうぞ」
あらかじめ周波数を合わせておいた、道警からの無線が無線機に入る。わたしは耳のイヤホンマイクに短く応えた。
「こちら三枝B、現在対象者を連れて金森倉庫を移動中。状況知らせ、どうぞ」
「三枝警備保障所有の警護車、爆破! 繰り返す、三枝警備保障の警護車、爆破! 現在警備課は地域課、消防と連携し事案に対処中! 貴局は対象者を安全な場所に誘導されたい、どうぞ!」
「――了解。終わり」
くそ。これは、ソ連からの『宣戦布告』だ。警護車爆破ということは残念だけど……何らかの理由で車から降りてでもいない限り、
ナーシャの足取りが乱れ、息が切れる。わたしは彼女をお姫様抱っこすると、そのまま駐車場から最も遠い位置にある多目的トイレに飛び込んだ。
「ひそか! これ、ひそか! 余をこんなところに連れ込んで、どんなふしだらなことをするつもりか! 余にそっちの趣味はないぞ!」
「落ち着いて、ナーシャ。ここが一番安全なんだ。このショッピングモールに持ち込める武器は、取り回しのサイズからしてせいぜい短機関銃まで。女子トイレの個室の扉なら貫通するけど、ここの壁を横から貫通させるのは難しい。なら外からの銃撃があったとしても当たらないよう、多目的トイレの壁に体をピッタリと添わせる。それが一番安全なんだ」
「……ふむ、なるほど。理には適っておるな。誤解してあい済まなかった、ひそか。許せ」
聡明な彼女はわたしの説明で事情を理解したようで、トイレの壁に体を添わせる。そしてその数十分後――安全を確保した函館西署員の到着を受け、事件は幕を降ろした。
この四月に起こったことから『四月事件』と呼ばれるようになった自動車爆破事件で、わたしは現地でタッグを組んでいたパパを失った。
日ソ国交正常化が政治日程のテーブルにその姿を現す中、ロシア帝国亡命政府は警告を受けてなお、アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ五世の戴冠式を挙行することとなったのだった。
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