第六章 父よ深く眠れ
東京都港区、青山霊園。僕は墓前に花を供え、線香に火を付ける。『四月事件』で落命した、パパ――三枝警備保障前社長、兼ねて前第四警備課長のお墓だ。今日は月命日に当たる。
「皇室と帝国を守らんがため、志半ばに
忠彦の号令に、横一列に並んだ四課員が一斉に敬礼する。僕は遅れて、列の中央で墓標に敬礼した。
……パパ。僕はうまくやってるよ。心配しないで。ナーシャのことは、命に代えても守り抜くから。
目を伏せたナーシャがしずしずと墓前に進み、メドヴィクというロシアの菓子を供えて一礼する。高級な菓子というわけではないが、ナーシャが手づから焼いたのだというから、それだけで『意味』がある。
たーパパ……忠彦の父親である
「楽に休め!」
忠彦が号令をかけると、四課員たちが敬礼を解く。僕もそれにならうと、パパの墓所に向かってくる靴音が聞こえてきた。
誰だろう? 振り返って見ると、陸自の制服を着た若い女性が歩いてきた。目つきは鋭く、顔は整っていて、何者をも寄せ付けない凛とした空気をまとっている。
……この
女性は三枝家の墓所に上がってくると、会釈した。
「私にも線香をあげさせていただいて、よろしいでしょうか」
一応、葬儀の際の喪主は僕ということになっている。特に断る理由は……ないな。
「お気遣い、痛み入ります」
ぺこりと頭を下げると、彼女は線香をあげて墓石の前で合掌する。
しばし黙祷すると、回れ右をして彼女は告げた。
「はじめまして。ロシア帝国駐在武官のヴォルコフ大佐から依頼を受けました、防衛装備庁の三等陸尉・杉原たかねです。特務により、本日付で甘粕忠彦二等書記官の銃器訓練に当たらせていただきます。甘粕副社長、息子さんをお預かりします」
な――聞いてないぞ? 僕は思わず、校長に視線をくべる。というか、校長の階級って大佐だったんだ……。
「すまん。ギリギリまで調整が難航していたため、話せなかった。甘粕君たっての願いで、警護の執行力を強化したいとのことでな。……ロシア帝国の狭い領内では、十分な銃器訓練ができない。かと言って、国交のある第三国に訓練を依頼しては即応性に欠ける。よって、軍は軍同士ということで自衛隊の杉原三尉に依頼することになった」
制帽の乱れをクイと直しながら、含むところがあるように女性が返す。
「ヴォルコフ大佐。お言葉ですが、我が陸上自衛隊は『実力』です。軍ではありません。面白くもない話ですが、その呼び方はこの国ではご法度です」
「ふん、
「結構な褒め言葉ですね。その狂気こそ、戦後日本の護るべき本質だと我々は思っております」
「……相容れない禅問答は、ここまでにしておこう。――甘粕君。宿舎にまとめられた荷物は、指定された場所に送り届けておく。杉原三尉からの連絡を待っている」
「ありがとうございます。杉原三尉、これから宜しくお願いしま……」
そこで、我慢できずに僕は言葉を投げた。
「忠彦! それでいいのか! ナーシャは僕ら三人で護るって話だっただろう? 忠彦が抜けたら、僕はどうすればいいんだ! チーム三人の中で、僕抜きで話を勝手に進めて……」
「すまんな。本決まりになるまで口止めされていたんだ。俺が抜けている間、お前なら校長とペアでうまくやれると信じている。二人で回せるってのは、校長の判断だ。熱くなる目的のために強くなりたい、って男心……これが分かったら、『男心検定初段』をやるよ」
「くっ……そこまでお膳立てされちゃ……僕は、黙って見送るしかないじゃないか……」
忠彦が……この妙齢の美人と武器訓練をする。その事実に思いを馳せると、なぜだか胸が苦しくなった。
「では……行くぞ、甘粕二等書記官。足取りは明確に、視線は前を向いて……な」
「は……はい。宜しくお願いします」
端的に、これから『どうあればよいのか』を指し示す言葉。忠彦の肩を軽く叩くと、杉原三尉は青山霊園をあとにしていった。
……と、二人を見送る僕の後ろから、僕を呼ばう声が聞こえる。
「これ、ひそか。なぜ魂の抜けたような顔をしておるのか」
「ナーシャ」
そこには、ファーのついた扇で顔の半分を隠したナーシャがいた。
「余は臣従の盟約を交わした臣下を、日本軍に委ねることにした。これからの頼みは、ヴォルコフとその方のみである。今日のこれからの予定を覚えておるか?」
「あー……東京ドームシティに行きたいって言ってたね」
「うむ。遊園地なるものに行ったことがなくてな。その方は余の近くで『彼氏』役。ヴォルコフは別の車で来るが、近傍の警備に当たってもらう。無線とスマホの電源は常に確認するように」
行きも帰りも車はレガシィ。防弾ガラス製の特注品だ。今は青山霊園の駐車場に停めてある。乗車前点検では、必ずミラーで車体の下を確認するようにしている。
「ゆくぞ、ひそか。校閲戦隊タイプマンが余を待っておる」
「ヒ、ヒーローショーね……。サンダードルフィンとかじゃなくて」
最近のスーパー戦隊って、信じられないものまでネタにするからな……。それにしても、今日の仕事は『大きなお友達』の警護か。
ナーシャに手を引かれて、駐車場に到着する。僕はため息をつきながら、車のロックを解除してトランクのミラーで車体の下を確認すると、ナーシャを後部座席に乗せたのだった。
▼
「うぐっ……まさか、ヒーローショーが高校生以上お断りだったとは……」
まさかの年齢差別に打ちのめされ、日傘をさしたナーシャは半泣きだった。高校生以上の人間が入る場合、『中学生以下の同伴者』が必要なのだ。
「ナーシャ、入場券しか買ってないよね? じゃあラクーアでショッピングでもしよう? その女帝ファッションだと……その、アミューズメント施設は目立つからさ?」
「そのようなことを申して……本音は、屋内のほうが警護しやすいからであろう?」
「う……ま、まあそれもあるんだけど……例えば、いろんな色の石鹸を売ってるお店があるんだ。LUSHって言う。ナーシャはこういうところで買い物する機会なんてあまりないだろ?」
「ないな。おおむね、文字通り宮仕えの者が日用品は揃えてくれる。通販は余の趣味であるが、実物を見られないのが難点である」
「じゃあ、こういうところでのショッピングもいい勉強になると思うよ。僕は来たことあるから、案内してあげる」
「う……うむ。苦しゅうない」
世間知らずを結果的に指摘されて恥ずかしくなったのか、一瞬だけナーシャは言いよどむ。
僕はそんなナーシャの手を引き、遊園地になっている部分を出てドームシティのショッピング街へとナーシャを連れて行くことにした。
「な……なんぞ、これは……」
ショッピング街に到着した途端、驚愕するナーシャ。それもそのはず、通路にはソ連国旗が波々とはためいていたのだ。
各店の店先には、『日ソ友好 ソ連フェア』なるマークが様々な形で表示してある。
洋菓子店ではロシアの菓子を売り、書店にはソ連関係の本が並び……。ミナリンスカヤ大統領の写真集まである。そして僕たちの目当ての石鹸店では、赤と黄色と青――ソ連国旗の色をイメージしたものが大々的に売り出されていた。
「く……国交正常化は、まだ確定事項ではない……まだである、まだ終わりはせぬ! 下賤な民意などに、余は惑わされぬぞ! 我が大ロシアの伝統的な産物を、まかり間違ってもソ連のものと呼ぶでない!!」
『ソ連』というのは長らく、日本人にとって『謎の科学技術大国』として認識されてきた。世間に満ちる国交正常化ムードは、その秘密のカーテンが開くお祭りのようなものなのだ。
だがナーシャにとってそれは恐らく屈辱的なもので……いや、確実に屈辱的なものなのだろう。現実を突きつけられたナーシャの扇は怒りに震え、まるで漫画のように白いハンカチーフを噛んでいる。
「このような場所、これ以上いとうないわ! ひそか、車を出せ! どこかその旗が絶対にない場所に、余を連れてゆくがよい!」
「わ、分かった」
えーと、都内で車で行けて、ソ連の旗が存在せずナーシャが行ったことがなく、かつ喜びそうなところ……頭の中で、いくつか候補をリストアップしてみる。
「ナーシャ、お寿司は好き?」
「好きであるぞ。ロシア料理を基本とする宮廷では、めったに口にできないものではあるがな。外交の場で、何度も食しておる」
「じゃあ、地面から高いところは嫌い?」
「いや、好きである。北西の方角に目をやると、母なるウラル山脈が見える気がしてな」
「じゃあ、行き先は決まりだ。車を出すから、駐車場まで移動しよう」
「どこに行くのだ、ひそか」
「ヒントだけ出すよ。東京の下町方面だ。あとは内緒。楽しみにしていてね」
スカイツリーのエレベーターが、音もなく上に上がる。まるで静止しているかのように静かだが、気圧の変化で耳が痛くなることで、確実に上に上がっているとわかる。
「ふむ。行き先は
「東京に住んでると、地方から友人が来るとかじゃない限りあんまり来ないからね。僕も一回しか来たことはないけれど……下のソラマチに北海道の回転寿司チェーンが入ってるんだ。なかなか美味しいよ」
「回転寿司、というのは話には聞いたことがあるが、寿司が回るのか?」
「そうだよ。回っているものに関しては誰が何を食べるかランダムだから、毒味の必要もない。注文するネタに関しては『二貫づけ』で二個出てくるから、僕が半分毒味をするよ」
「動力はなんだ? あの下駄のような板に接地しているのはシャリだけなのであろう?」
「……ナーシャ。たぶん誤解していると思うんだけど、回るのは寿司を乗せた丸い皿だ。寿司そのものが回る不思議アミューズメントレストランじゃないからね?」
「なんと、そうであったか。では楽しみにしておるとしよう」
などと話しているうちに、エレベーターは展望フロアにつく。ヒールを履いたナーシャの手を取り、僕はフロアに彼女をエスコートした。
ここは東京、金髪碧眼の観光客は珍しくない。それでもナーシャの不思議なオーラは、人の目を惹きつけるようだ。
「なるほど、東京タワーが小さく見えるな。都庁があの方向だとすると……シベリアがあちらであるか……ふむ」
あくまでも優雅に、ナーシャは円形の展望室を回って北西方面へと向かう。彼女が見据えるその先には……失われた祖国、ロシアの大地が広がっているはずだ。
「ひそか」
「うん?」
「余のスマホで写真を撮れ。パスワードは四桁で余の誕生日にひそかの誕生日を掛け、忠彦の誕生日を足したものだ」
「分かった」
サクサクと暗証番号を入力すると、ナーシャが驚く。
「あ、暗算早いなその方……」
「たわいもない取り柄だよ。はい、カメラ起動したよ。撮っていい?」
「うむ。我らが大ロシアの方角を背景にしてな」
扇を畳み、仰ぐ部分に左手を添えて扇を持つナーシャ。つくづく思わされるが、『君主』としての威厳ある立ち居振る舞いを見なければモデルのような佇まいをしている。
ナーシャの写真をスマホに収めたあと、彼女が満足するまで展望フロアを回る。そして僕らは階下のソラマチ、回転寿司『トリトン』へと向かった。
「こらこらナーシャ、食べたお皿をレーンに戻しちゃダメだぞ」
「なぜだ? レーンに戻さなければ、どうやって皿を片付けるのだ? 粉末の緑茶はセルフサービスだったというに」
「お皿はテーブルの上に置いておいて、会計のときに数えてもらうんだ。僕らが退店したあとに、まとめて持っていってくれるから」
「そ……そうなのか。てっきりこのレーンは、皿の片付けをおのずからするためかと思っておった」
毎度のことながら、発想が斜め上だった。さすがに皿の片付けくらい、料金の中に入ってるって……。
そう言えば、部室にあったコーヒー用の『ミルク』にも驚いていた記憶がある。曰く、『植物性油脂を牛乳の代用にしておるのか』という。ナーシャは誤用ではなく『セレブリティ』なんだなと、つくづく思う。
ナーシャは、食べ方一つ取っても極めて上品だ。握り寿司はネタが下になるよう、かつ見栄えが悪くならないよう斜めにして醤油皿につけるし、軍艦巻はガリをハケにしてネタに醤油を塗る。
僕も一応は社長令嬢だった身だ。裕福な家に生まれたほうだと思うけれど、ここまで洗練されたテーブルマナーは教わっていない。所詮は『上の下』止まりで、『上の上』育ちのナーシャとは住む世界が違う。
「して、ひそか」
ナーシャは僕が淹れてあげた緑茶を一口飲むと、湯呑みをテーブルに置く。
「あの杉原なる少尉と幼馴染の忠彦が過ごすに当たり、どのような心境か」
「ど、どのようなって……別に、ロシア政府職員としての公務だろ」
「杉原少尉は、若くて美人であったではないか。二人きりの秘密特訓ぞ。内心、やきもきしておるのではないか?」
「なんで僕が、そんなこと気にしなきゃならないんだ。それに美人かどうかはともかく、僕のほうが若い」
「ふーん? 『そもそも忠彦とは、そんな関係ではない』とは言わぬのだな?」
ニヤニヤと笑いながら、ナーシャはヒラメを口に運ぶ。
「安心せい、余が保証する。ひそかは美人である。ショートカットが似合う小顔の女は、美人と相場が決まっておる」
「お……女のコに言われたって、嬉しくないぞ……。それに、忠彦のことは嫌いじゃないけれど、そういう対象には……」
「そういう風に自分の本当の気持ちから顔を背けているうちに、他の女に幼馴染を取られる女のなんと多いことか」
「う……」
「そうでなくとも、政府や宮廷にはスラブ系のきれいどころが揃っておるのだ。これからしばらく、忠彦は訓練で不在となる。その間に『忠彦ロス』が生じたら、遠慮なく余に申せ。あますところなく、その心を素直にしてくれよう」
け、警護対象者からここまで言われるってのは……結構な屈辱だ……。いやいやいや! 僕と忠彦は断じてそんなのじゃないから――!
「さて、食べ終わったようなので行くぞ、ひそか。会計は余の財布に入っているブラックカードで済ませておいてくれ」
▼
亡命政府に戻りナーシャを部屋まで送り届けると、校長――ヴォルコフ大佐から呼び出しがあった。
「本日一日のエスコート、ご苦労だった。疲れているところすまんが、このピロシキを食べてみてほしい」
「は、はぁ……」
あの謹厳実直を絵にしたような校長が、飲み物も添えずにいきなり妙なことを命じてくる。
きつね色に揚がった、どこにでもあるピロシキだ。
「それじゃあ、いただきま……うっ!」
思わず校長の机からティッシュを何枚か拝借すると、その中に吐き捨ててしまう。
「と、
無言で校長が、ミネラルウォーターのペットボトルと洗面器を差し出してくる。
「やはり、私の味覚がおかしかったわけではないな。三枝くん……これが、デリバリーの食品として売り物になると思うかね?」
「思いません」
僕は口をゆすぐと、間髪入れずに断言する。校長は机の向こうから、書類の入ったクリアファイルを渡してきた。
「これは……?」
「我が亡命政府職員の多くが愛してきた、麻布地域で唯一の宅配ピロシキ店『ツァリーツィン』。その商業登記簿だ」
「愛してきた……ってことは、前は美味しかったんですか?」
「ああ、思わず私もイスラムの戒律を破ってしまうほどに美味かった」
「か、戒律を破った……つまり豚肉を召し上がったんですか……」
「大丈夫だ、アッラーも極東までにはおいでにならん。話を戻すが数日前、その店の名前が『ヴォルゴグラード』に変わった。と思ったら、味はこの体たらくだ。おかしいと思って商業登記簿を洗ってみたら、所有者が変わっていた」
その言葉に、僕はクリアファイルの中に挟まれた書類に目を通す。店舗の所有者の名前は……アンナ・アレクサンドロヴナ・ベリンスカヤ。
「つまり……亡命政府への偵察と監視を目的として、敵勢力がその店を買い取ったと……?」
「前のオーナーは白系ロシア人だったが、資金繰りに窮していたようだったからな。うまい作戦なんだか、まずいんだか分からん。明日付けの勅令で、あの店舗との商取引……有り体に言えば、ピロシキの購入を禁止する」
「すると、どうなりますか?」
「連中は貧乏だ。工作資金にも限りがある。すぐに居抜き物件として、人手に渡るだろう」
確かに……このマズさは国際犯罪だ。亡命政府からのデリバリーの注文がなくなったら、店舗のほうに客が来ても絶対に炎上する。そのレベルの代物――いや、食材への冒涜と言う他ないものだ。
おそらく調理はベリンスカヤ隊の誰かがやっているんだろうけれど……他にまともな人材はいなかったんだろうか?
「ちなみに、ツァリーツィンというのは?」
「ソ連が実効支配する『ヴォルゴグラード』の、ロシア帝国時代の名前だ」
「名前くらい変えないでおけば、少しは怪しまれずに済んだのに……ソビエト魂がそれを許さなかったんでしょうね」
「ふざけた連中だ。三枝くんに一太刀浴びせたかと思いきや、ソ連特有の官僚主義的なミスをする」
「当該店舗に対する監視は?」
「無論、実施する。オフラーナと公安の職員が、客として訪問することになるだろう」
「……食べるんですか、あれを。公務災害ものですよ」
実際、僕もまだ吐き気がする。
「同情の限りだが、仕方がないな。口にしないことには、怪しまれる」
立ち上がった校長は執務室から東京の夜景に目を馳せると、『ヴォルゴグラード』と書かれた紙袋に食べかけのピロシキを入れ、ゴミ箱に投げ入れたのだった。
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