8−3

 俺の家はこの学校から見て西側にあるのだが、峰岡の家は真反対の東側にあるらしい。この街の東側は丘陵地帯となっていて、坂道に沿って高級そうな家が立ち並んでいる。具体的な位置まではわからないが、峰岡邸はどうやらそのエリアにある一軒家らしい。俺が想像していた通りの金持ちの家のお嬢様のようだ。ということは、俺がよく行く自分の家の近くのコンビニに寄ると、峰岡が遠回りになってしまう。誘った都合上それは申し訳ないので、峰岡の家の方角にある駅前のコンビニを目指すことにした。


 2人で並んで外を歩くのはゴミ拾いの時ぶりだ。峰岡は歩幅が小さくて歩く速度が遅いので、俺もそれにあわせてゆっくり歩く。からかってしまったので怒っているかと思いきや、峰岡は機嫌が良かった。これまで聞いたこともないウキウキとした声で話している。理由を聞くと、峰岡ははにかんだような顔で答えた。


「帰り道に買い食いなんてやったことないんです。ちょっと悪いことをしてる気がして、楽しいです」


「小遣いとかもらってないのか」


「お小遣いは、もちろん多少はもらってるのですが……大半は古本屋につっこんでるので……」


「パチンコとか競馬をやってるやつみたいな言い方だな」


面白いアタリ面白くないハズレか考えずに大量に買っているという意味では、ギャンブルと同じかもしれませんね」


「全部読むのか」


「いえ、積ん読している本も大量にありますよ。本を積めば積むほど徳が積まれるんです」


 そう言って峰岡は恍惚とした表情を浮かべた。何を言っているか全くわからない。めちゃくちゃな愛書家ビブリオフィリアらしい。なんというか、浮世離れしているというか、女子中学生と思えない生活をしているやつだな。


「そんなに本があったら家の床が抜けるんじゃないか」


「そこまでではないですよ、でも、そろそろ壁一面が本棚で埋まるかも」


「なんでそんな本ばっか読んでるんだ」


「なんで……でしょうね。お父さんが大学の先生なんですけど、家に大量の本があるんですよ。小さい頃からそれを積み木にして遊ぶくらい本と接してきたので、本を読むのは私にとっては当たり前のことでした」


 峰岡がきょとんとした顔でそんなことを言うので、住む世界の違いに、眩しいものでも見たような気持ちになって目を細めてしまった。高級住宅街に住む大学の先生の娘で、毎日読書ばかりして暮らしている女子中学生か。フィクションみたいな存在だな。


 本題に入るのがなんとなく気後れしてしまって、ダラダラと峰岡の生活環境について聞いているうちに、目的のコンビニについてしまった。アイスのコーナーに行くと、峰岡は目を輝かせて選び出したが、遠慮して安価なものを選ぼうとするので、俺は強引にハーゲンダッツのシリーズから選べと言った。美月にパルムを奢ったのと比べると破格の待遇だが、このお嬢様にガリガリくんを食わせるわけにはいかない。それでも峰岡がためらうので俺は首を振った。


「修二の件で、峰岡に一から十まで世話になった。その礼がしたいと思っていたんだ。こんなもんで借りが返せるとは思ってないんだけど」


「そんな、私がやりたくてやったことなので、気にしなくても」


「これくらい奢らせてもらえないと俺の気が済まない。お前が選ばないなら俺が選ぶ」


 俺がそう言ってバニラ味のハーゲンダッツに手を伸ばすと、峰岡は観念したのか、それともバニラが嫌だったのか、おずおずとチョコ味のハーゲンダッツを指差した。


「チョコが好きなのか」


「はい。でもチョコに限らず甘いものは大好きです。糖分は大脳に直接届く感じがしていいですね」


 甘いものが好きなのは普通の女子っぽいんだけど、好きな理由が不気味なんだよ。俺は無言でハーゲンダッツのチョコ味を2つ取った。自分の分は安いのにしたかったが、俺だけ安いのにすると峰岡がまた遠慮しかねない。中学生にとってハーゲンダッツ×2は痛めの出費だ。しばらくは暑くても冷凍庫の氷を舐める生活をしよう。

 

 それから俺らはイートインスペースに陣取ってアイスを食べ始めた。峰岡は、お腹でもすいていたのかパクパクと食べ、一口食べるごとに大トロでも食べたのかというほどの幸せそうな顔を浮かべていた。これだけ喜んでもらえるなら奢りがいがあるというものだ。俺がそれを眺めていると、峰岡はまた顔を赤らめ、言い訳でもするように口を開いた。


「甘いものは好きなんですが、太るからとあまり買ってもらえなくて」


「親が厳しいんだな」


「お父さんは優しいんですけど、お母さんが厳しくて……」


 そう言ってから、峰岡はもうほとんどなくなってしまった自分のチョコアイスのカップに目線を落とした。ま、俺が父親だとして、こんなかわいい娘がいたら、いくらでも飴をあげたくなるよな。


「それで、卓球部の退部の件ですが……」


「ああ、すまん。なんとなく気後れして、話題にできてなかった」


 俺はハーゲンダッツ用のプラスチックスプーンを咥えながら答えた。


「きっかけから話すよ。先週末、サッカー部の県大会を見に行ってな」


「あ、そうなんですか。私も気になって、試合結果だけはお父さんのパソコンを少し借りて調べたんですけど……うちの中学が十数年ぶりの県大会初戦敗退だったんですよね」


「そうなの。実は途中で帰ったから、試合結果まで知らなかった」


「ええっ、じゃあ何のために会場まで行ったんですか」


「古村修二に会えるんじゃないかと思ってな」


 峰岡は呆れ声を出したが、俺がそう言うとしゅんとうなだれた。


「予想通り、会場で出くわした。それで、小学校卒業前から直近まで起きていたことについて、答え合わせをしてきた」


「結果は……」


「美月が修二を振った理由、修二が卓球部に入らなかった理由、俺が卓球部に入って同級生から見下されるようになった理由……そして久保がいじめられていた理由。お前の推測が一から十まで合っていた。思わずその場で笑ってしまった」


 そう言ってから俺は自嘲するように笑ったが、峰岡は全く笑っていなかった。


「正解して、こんなに嬉しくなかった問題は初めてです」


「なんか、すまん」


「木下くんが謝ることでは……」


「ま、それで、家に帰って考えてみたんだけど、俺は修二に騙されて卓球部に入り悪評を背負ったってことになるわけで、どうもそのことが耐えられなくてな。同学年の卓球部員、井本や根岸とは友達だけど、それでもこの先、平然と部活にい続けることはできないな、と思った」


「だから……」


「夏休み明けに退部しても良かったんだけどな。いても立ってもいられなくなって、もう退部の手続きを済ませた。これで俺も晴れて帰宅部というわけだな」


 俺はそう言ってから、ハーゲンダッツの残りを一気に掻き込んだ。少し溶けていたが、カチコチに凍ってるよりも溶けてるくらいが美味い。


「それは……ご愁傷さまでした。辛かったと思います。気軽に聞いてごめんなさい」


「いやいや。要は、馬鹿な俺が騙されて、騙されたことが我慢ならなくて癇癪をおこしたってだけの話さ。それに峰岡には――この問題の正解を見破ったお前には、他の誰よりも聞く権利がある」


 俺はなくなってしまったハーゲンダッツのカップを潰しながらそういった。それからふと思いついて言葉を続けた。


「なあ、ふと思ったんだが」


「何でしょう」


「俺が心底恨んでいた、この学校のスクールカーストってのは幻だったんだろうか」


 俺は、峰岡の方は見ずに、潰れてしまったカップを眺めながらそう言った。


「俺は、この中学の奴らは皆、たいした才能もないくせにスポーツや勉強や友人作りを頑張っているふりをして、スクールカーストというサル山を築き上げて、その中でマウントを取り合うゲームをやっていると思っていた。だから、クラスでサッカー部の奴らにどれだけパシリ扱いされても、すれ違った女子にどれだけ冷たい目線を向けられても、悪いのはそのゲームだと思って、俺はそんなゲームには乗ってやるか、という気持ちでずっと精神を保ってきた。

 でも、今回のことで、俺がこう思い込む原因が、修二にあったことが分かった。卓球部が人気のない部活だということは変わりないにしても、俺や、井本や根岸がバカにされていたのは修二の策略によるものだったんだ。

 それをふまえて考えてみると、自分がこれまで見ていなかった部分に気づき始めた。確かに、城崎や小林のように自分の成果に鼻をかけて尊大な振る舞いをしているやつもいるけど、周りをちゃんと見ればそんな奴らばかりでもない。なんでも人並み以上にできるのに、全く目立とうとしない峰岡がその最たるものだ。もともと、うすうす分かっていたことを認めざるをえなくなった、と言うべきかもしれない。

 だからこう思った。俺がこれまでスクールカーストだと思いこんできたものは、俺と修二の劣等感が生んだ、幻だったのではないか、と」

 

 俺は、峰岡が黙って聞いてくれるのをいいことに、最近ずっと胸のうちに溜め込んでいたものを一気に吐き出した。そして、深くため息を付いて、潰した紙カップとプラスチックスプーンを、近くのゴミ箱の中に勢いよく放り込んだ。


「どう思う?」


「そうですね……答えるのが難しいです」


 これまで、俺が投げかけてきたほとんどの質問に対して、淀みなく即答してきた峰岡が、戸惑っていた。


「木下くんは、スクールカーストがあると思って、全てそれが悪いと思うことで、学校の中で起きる辛いことや苦しいことに耐えてきたんですね」


「そうだな」


「その辛いことや不快なことのすべてが、古村くんと木下くんの関係の悪化に起因するものだったとしたら、木下くんが今言ったことは正しいかもしれません」


「やっぱり、そうかな」


「でもでも、『スクールカースト』という言葉自体は、皆使っているものですよね。全く違う場所で全く違う立場の人達が、同じようなことに苦しみを覚えてきたからこそ、この言葉は生まれたんじゃないでしょうか」


 峰岡は俺を気遣うように優しく微笑んだ。それから突然自分のバッグを開き、中に入っていた紙束の中から1枚を抜き出した。それは、見覚えのある青と黄色のインクで描かれた、蝶とも鳥ともつかない、ロールシャッハ・カードもどきの絵だった。


「この蝶の絵、もう使わないことになったので、1枚あげます。いらなかったら裏紙にでもして下さい。これを使ったインスタレーション、木下くんから結構いい反応を得たので自信が出てきて、文化祭の展示にしようと思って顧問の先生に提案したんです。でも『不気味だからダメ。もっと大衆的な展示にして』と言われてしまいました。だから急遽やるべきことが増えて、夏休みも作業を進めないといけなくなって、今日学校に来たんですけど……」


「不気味、か。俺と同じ感想だな」


 そう言うと峰岡は笑った。


「そうです。全くの無秩序で、人によって解釈が分かれてしまうものでも、時として同じように見えることだってあります。多数の人がそう見えるからといって正しいわけじゃないですけど、誰かと分かち合えれば楽になることはあると思います。とにかく自分の見えるものを見ることに必死になって生きて、だけど偶に誰かと分かち合えれば、それでいいと思いませんか――だから、自分の焦点の合う世界を信じればいいんですよ」


 そう言って峰岡は優しく微笑んだ。


 俺はもらった絵を高く掲げ、窓越しに空に浮かべた。

 

 やっぱり、蝶に見えるな、と思った。




(『スクールカースト・ストライカー』 おわり)

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スクールカースト・ストライカー 山田ツクエ @ymdtke

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