平成から令和へ、そしてコロナ禍での初参加

2019年5月、明仁天皇陛下の退位により、30年続いた平成時代が終わり、徳仁天皇即位により令和と元号が代わった。その年の12月頃から、中国の武漢から、コロナウイルスがが世界中に猛威をふるった。僕がコロナウイルスの現実を知ったのは2020年1月末だった。2019年12月、中国の武漢にて突然発生したコロナウイルス。誰もがこんな重篤な騒ぎになるとは思わなかったはずだと思った。今まで、Sarsや鳥インフルエンザ等、世界中で猛威をふるい騒がれていたが、今回のコロナウイルスは、世界中でかなり深刻な事態になっていた。自分にとって、初めての体験だと思っていた。正直言ってSarsのように日本にあまり影響が無いだろうと、あまい考えでいたのだが···3月頃から、日本全国で猛威をふるい始めていた。自分自身、コロナウイルスの事をあまり把握していなかった。しかし、学校は休校になり、企業も休業するところも多く、世界中で外出自粛等、かなり深刻な事態になっていたのだ。普段、マスクをしない自分も外出時にはマスクをしなければならない事態にもなっていた。4月から6月頃まで、不要不急の外出控えるように言われていたのだが、7月には、緩和されていた。そして、7月26日、初めて模擬原爆の追悼式に参加したのだ。最初は、関係者のみしか参加できないと思い、行っても追い出されるだけだろうと思ったのだが、とりあえずマスクをして、恩楽寺に向かい、名前を記入、検温を受けた後、中に入る事が出来た。中に入ると、やはりコロナの影響もあって、参加者はかなり少ないみたいだ。以前の追悼式のテレビのニュース映像で観た時よりも確かに少ないように感じた。しかし来た時間が早かったせいか、すんなり入れてくれたみたいだ。関係のない自分を入れてもらえたのが奇跡のように感じた。他には、田辺中学校の生徒代表もオンラインにて参加していた。模擬原爆が投下された時間9:26に黙祷、その後、一緒に参加された御年95歳龍野繁子さんが、模擬原爆が投下された時の体験談を話してくれた、そして「戦争は酷く、惨めなもの、二度と逆戻りしてほしくない」と訴えた。8月に入り、全国で遅い梅雨明けも発表され、その後、連日35℃以上の猛暑日が続いた。猛暑日でのマスク着用は、かなりきついものだ。この年の、広島·長崎の平和記念式典は、やはりコロナウイルスの影響が大きく、関係者のみの参加になったはずだ、他の市民は、オンラインでの参加になっていたようだ。毎年、平和記念式典のニュース映像を観ると、かなり大勢の参加者が観受けられた。70年目を迎えた5年前も、しかしこの年はいつもと様子が違っていた。

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