貿易港、長崎

グラバー園から、長崎港の方に目をやると、巨大な客船が停泊していた。三菱重工長崎造船所があるところだ。1861年に、長崎製鉄所として完成、1884年に三菱経営となる長崎造船所と改称。戦艦「武蔵」が造られたところだ。グラバー園とともに、「小菅修船場跡、第三船渠、ジャイアント·カンチレバー·クレーン、旧木型場、占勝閣」が、明治の革命遺産として世界遺産に登録された。ジャイアント·カンチレバー·クレーンは、設置から100年以上経っているが、いまだに稼働している、原爆ドームより古くから存在しているようだ。長崎は、古くから外国への玄関口として発展してきた港湾都市、鎖国体制だった江戸時代には、国内唯一の江戸幕府の国際貿易港だった。特にオランダ·中国との貿易が盛んであったという。長崎市内にも、横浜·神戸とともに中華街がある、オランダ坂と言われる場所もある。また、出島を持つ港町であった為、異国情緒に満ちた港町として有名である。出島とは、1634年江戸幕府の鎖国政策の一環として長崎に築造された人工島、扇形になっていた。ポルトガル人を管理する目的で幕府が長崎の有力者に命じて作らせた島だった。また長崎はカトリック教徒の数が比較的多く、カトリック教会は長崎単独で一つの大司教区を形成している、カトリックは、1549年に、フランシスコ・ザビエルにより伝えられ、キリシタンやキリシタン大名が増加した。その後、江戸幕府は、キリスト教を禁教として、カトリック信徒を炙り出す手段として、踏み絵を実施した。しかし、一部の者は「隠れキリシタン」として、密かに信仰を受け継いだ。1873年の明治政府による禁教令撤廃で、再び宣教が行なわれるようになった。長崎市内に浦上天主堂や大浦天主堂があるのは、カトリック教会が盛んだった言う事が伺える。

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