原爆の被害があまり無かったグラバー園ヘ
次に向かったのは、大浦天主堂とグラバー園、グラバー園は、長崎を訪れた1ヶ月後に、世界遺産に登録された。大浦天主堂は原爆で一部は破損はしたものの、爆心地から、比較的離れていた為、焼失、倒壊は免れた、1952年に修理が完了した。グラバー園は原爆の被害は無かったのだろうか?どうやら被害は無かったようだ、アメリカ進駐軍の司令官公舎として接収していたという。1859年、長い鎖国が終わりを告げ長崎·横浜·函館の3港は、世界に門を開き、同時に諸外国の商人たちはは大浦遺留地の周辺に住居を構え貿易を営み始めた。この貿易商人の一人、スコットランド出身のトーマス·ブレーク·グラバーの住居は、数多い洋風建築の中でも独特のバンガロー風洋式を持つ、日本最古の木造洋風建築である。スコットランドから渡来したトーマス·ブレーク·グラバーは、1863年に、この南山手の丘に住まい(グラバー邸)を建設した。原爆ドームより古く、100年以上経っているようだ。しかし、100年以上経った1966年1月に老朽化の為、解体修理工事をしていた。
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