70年前の傷跡
成瀬昭彦
初めて訪れた広島
僕が初めて広島を訪れたのは、25年前、二十歳の夏だった。原爆が投下されてから、45年経った夏の日、広島市内は、太陽が照りつけ、街も活気付いていた。原爆が投下され、死の街となった面影は無く、オフィスビルや、百貨店等が建ち並ぶ市の中心街は、車や人で、ごった返していた。広島·長崎に原爆が投下され、終戦を迎えてから25年後に僕は産まれた。つまり、自分も戦争を知らない子供達の一人である。原爆の事を知ったのは、小学校低学年のとき、テレビで放送された戦争に関する番組の中で、原爆投下直後の広島市内の無惨な映像を初めて見た時、戦争の悲惨さを目の当たりにした。その当時の僕は、まだ原爆の事を知らなかった、テレビで「原爆投下直後の広島」と聞いて、原爆ってなんだろう?と疑問に思っていた。その数年後、小学校の歴史の授業で原子爆弾の事を知ってから、広島であんな悲惨な事になっていたのだと痛感した。さらに、原爆の悲惨さを物語る映画やドラマ、アニメ等を鑑賞するにつれ、原爆の恐ろしさを徐々に解ってきた様な気がした。あれから約10年後のこの日、初めて広島を訪れた。広島駅から、路面電車に乗り、オフィスや百貨店等のビル群が立ち並び、車や人で賑わっている中心街をすり抜け、しばらく行くと、木々が生い茂ったその隙間から、廃墟となった建物が見えてきた。これが原爆ドームと言われる建物だった。初めて目の当たりにした原爆ドーム、ここだけ45年前のあの日から、時間が止まっているかのようだった。25年前、初めて広島を訪れた時は、原爆ドームと平和記念資料館を見て回っただけだった。それ以降、約10年間は広島を訪れていない。その間、原爆ドームは、終戦から半世紀を越えた平成8年に世界文化遺産に登録された。最初、原爆ドームが、世界遺産候補に挙がった時は、原爆を投下したアメリカが猛反対していたのだが、原爆の恐ろしさを伝え続けて、もう二度と、こんな過ちを繰り返さないと言う願いこめて、「負の世界遺産」として登録された。
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