原爆投下決行

1945年8月6日、週明けの月曜日。広島市内はもちろん、日本各地では、いつもと変わらない朝を迎えていた。空襲の恐怖はあったものの。実は、広島市は、空襲の被害が無かったのだ。他の地域空襲の被害があった、大阪も3月から、何度も空襲に遭っていた、しかし広島市だけ空襲の被害が無いので、市民は逆に不気味がっていた。その不吉な予感が的中するとは。原爆を投下した時に威力を確かめたいので、傷を付けない様にしていたという。原爆投下の決断をしたのは、当時のアメリカ大統領、ルーズベルトだったと聞いたのだが。当時は、京都に原爆を投下する予定だったという。なぜ、広島が原爆投下の目標になったのか?広島には、軍隊、軍事施設、軍需工場が集中しており、それらがまだ破壊されていなかったからだという。7月には、原爆投下の準備を進めていた。その時のアメリカ大統領はトルーマンになっていた。トルーマンは、日本への原爆投下計画を承諾。8月6日未明、マリアナ諸島テニアン島で、原爆(リトルボーイ)を積み込んだB29(エノラ·ゲイ)は日本に向けて飛び立った。同時に偵察機も飛び立った、偵察機は、原爆投下目標地の天候を確認、エノラ·ゲイに知らせる為のB29だった。快晴でないと原爆投下は出来なかった。広島市内は、朝早く、空襲警報が鳴り、市民はすぐに防空壕に避難していた。しかし、数機の偵察機が上空を飛来しただけで、空襲等は無かった、広島市民にとって、あのB29の編隊がなんだったのか解らなかったのだろう。空襲警報はすぐに解除となり、広島市内は、朝の陽射しを浴びながら、1日が始まった。そんな中、偵察機からの広島市内は快晴だという知らせを受けたエノラ·ゲイは、原爆投下目標を広島に決定、広島上空に向けて飛行した。8時過ぎ、広島上空に差し掛かったエノラ·ゲイ。広島市内では、B29(エノラ·ゲイ)が近づいているのに、空襲警報を発令しなかったのだろうか?おそらく、また上空を通過するだけだと思ったのだろう、この後、とんでもない物を落とされるとは知らずに、広島市民は、また上空を通過しただけでに見えたのか、しかし、B29から、落下傘が降りて来るのを見た人もいたという、それが恐ろしい原子爆弾という、核兵器とは知らずに。

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