第10話 少年はまた光を目指す。

 硬いベッドから起き上がり、ホオズキは首筋に手を当てた。

 どうやら寝違えたようだ。

 仕方ない、あれから一週間が経っているのだ。ずっと寝てばっかりしていたら、腰も痛くなるし、首も痛くなる。臭い飯は一口食べたら、食えたもんじゃなくて、一週間水しか飲んでいない。

 我ながらよく生きているものだ、と感心する。


『我ながらよく生きているものだ、とか思ってましたね?』


「……覗き見とは、あまり褒められんな、ルシファー」

 ホオズキは、何もない場所に向けて言った。

 鉄格子の向こうの看守がこちらを、もはや不審者扱いで汚らしい目で見てきた。

 何を思われようが、別に構わない。そんなものが気に食わないものであると知っている。

 ルシファーは続けた。

『マスター、貴方は今、窮地に追いやれています』

 ホオズキは、ポキポキ……と首で音を鳴らした。

 そして、改まったようにルシファーに言った。

「俺は変わらんよ、ただ生きるだけだ」

 ホオズキの言葉に、怒りも悲しみも無い、気持ちの無い空虚なものだ。

 ルシファーは言った。

『そうですか、貴方からそれを聞けて、良かった。だけど、これだけは記憶に残しておいてください、私は貴方の人生を燦然たる輝きに満ち与える明星。貴方の傍を決して離れません』

「……」

 ホオズキはまた寝ようとした。瞼をいくら閉じても、眠りにつくなんてできないのに、眠った気持ちで目を閉じる。暗い視界は、カプセルの中に居た頃を思い出させる。

 微かな意識が、真っ白な人間に擬人化して、ただ暗い道を歩いている。走馬灯のように思い出が詰まったシャボン玉が目の前に現れ、消えていく。それを永遠と歩きながら見続ける。まるでこれから起きることへの教訓を促すかのように。

 その時、誰かに声を掛けられ、後ろを振り向いた瞬間、ホオズキはカプセルの外から出ていた。その声が、ヒイラギだったのだろうと、今になって思う。

 ヒイラギは一体、何をしているのだろう。取り押さえられて以降、顔の一つも見ていない。酷い顛末になっていなければいいが。そこは祈るのみと言った感じか。今はルシドナイフも無い。

 このまま牢の中で死にゆくのも後悔は残るが、別にいいとも思えた。

 どうせ、元から死んでいたようなものだ。

『話を聞いていたのですか? 私は貴方の——』

「分かった! もう思わん」

 と、ホオズキは指を曲げて、こめかみにグリグリと当てた。このまま出ていけばいいのに。

 その時、彼の牢屋の前に誰かが佇んだ。

 ちらりとホオズキは、悟られないように誰かを見る。大層な白装束を着た筋肉隆々の男が立っている。

 ホオズキは、寝たふりをしようとベッドに寝転がる——と。

「起きろ、名も知らぬ者よ」

 と、男は厳かに言って、その場で思いきり片足で地面を踏んづけた。

 その瞬間、大地が揺れ、その反動で石像みたいにごろりと横たわる彼の体が一瞬宙に浮き、床に落下した。思いきり頭を地面にぶつけ、痛そうに頭を抱えるホオズキを他所に、瞬間地震を起こした張本人は、格子の隙間から腕を伸ばし、彼の胸倉を掴み上げた。

 そして、ホオズキは胸元を格子に押さえつけられ、ギチギチと骨が擦り減っていく音を耳にしながら、男に顔を飛ばした。それだけ、この男の馬鹿みたいな腕力に、人を気遣う加減は無く、まして殺意を向けられている、へそから出る糸が真っ赤になっているのはそのせいだ。

「なんだ、あんたは⁉」

 と、ホオズキは叫んだ。

 男はこう言った。

「今から質問に答えろ、ならず者。お前は一体何者だ? 将軍様がなぜお前を気に掛けているのか、俺には全く分からない。お前からは悪臭がするのだよ。俺と同じように血濡れた匂いが。お前は危険すぎる」

「何をッ……根拠にッ⁉」

「野生の勘と、俺の”先読み”だ」

「……」

 こいつはなんかヤバイ。

 まるで獣だ。こいつから一刻も早く離れなければならない。——体がそう言っている。

 ホオズキは、ぎろりと睨みつけて男の耳を持ち、引き千切るほどに引っ張った。普通の常人なら痛がって、離れようとするのに、この男は一切怯まない。むしろ、引き千切られようとこの胸倉を離さない気でいる。それだけの強い精神力と度胸がある。

 ならば、こちらも躊躇はしないと、一週間で伸びきった爪を耳の根元に当て、突き刺し、本当に引き千切ろうとした。

 ホオズキと男は、互いに殺し合う目をした。

 しかし、その緊張がふと切れた。

「ミツマタさん、そこまでです」

 と、左方から女の声が聞こえた。

 ミツマタはバサリと彼の胸倉を離し、ゆっくりと振り向く。彼の右の耳から一線の血が首筋を通って、埃っぽい床に落ちた。

 ホオズキは尻もちをついて、自分の爪の間に赤い皮膚があるのを確認すると、目の前のミツマタの視線を追うように、彼はその眼を動かした。

「アルナ。ここへ来るなと言ったはずだ」

「将軍様からのご命令。彼を連れてくるように、と」

「俺が行く」

「駄目。ミツマタさんは乱暴だから、彼を傷つけるだって。私が連れてかないと将軍様はミツマタさんを謹慎処分に下すみたいですよ、残念がってるのはお申し訳ないけど」

「……」

 ミツマタはゆっくりと重い腰を上げて、最後にホオズキを獣の様に見下した。一方、ホオズキは面倒くさくなって、視線を合わすことをしなかった。

 自分の横を通り過ぎていくミツマタの気配の中に野獣の本質そのものを、彼女は改めて確認して、ホオズキのいる牢屋の前に立った。

 アルナは微笑んで、言った。

「初めまして、私はアルナ。邪馬台国のユニットパイロットです。以後、お見知りおきを」

「……」

「そんな目で見ないでよ。私はそんな野蛮なことはしない。ミツマタさんは確かに凄いけど、尊敬はしないよ。だから安心していいよ」

 安心できるわけがないだろう、訳も分からず取り押さえられ、捕まり、殺されそうになる出来事があった後になど。

 アルナは彼の心中を察してか、謝るようなそぶりを見せると、看守に牢屋を開けるよう促した。

 牢屋から出所したホオズキは、自分に構わず歩を進めるアルナの背中を追う様についていくしかないようだった。下手に動いて、死ぬのは間抜けのすることだ。

 どこかへ向かう途中、アルナは、彼が何も喋らないから静かな距離感に我慢できなくなったか、勢い余ったように話しかけた。

「そういえば! 私、君にお礼が言いたかったの‼ 今回の戦い、エジプシャンへの遠征があって、手薄になったところをノース大国に狙われた、そして、邪馬台国の無限電力発電装置が壊されれば、邪馬台国の崩壊は避けられなかった。でもそうはならなかった。…………君のおかげなんだよ、私たちがこうして元の生活に戻れているのは、あんな手荒な真似して信用しないとは思うけど、将軍様もなんか理由が合って捕らえたに違いないんだよ。今から君の処罰に関することが下されるけど、将軍様は絶対に味方してくれる、どんな処罰になってもきっとそこには意味があるんだってことを、君にも理解してほしい」

「…………」

「もうすぐ着くよ。……でも君も言いたいことははっきり言った方が良いよ。君は少し言葉足らずなところがある。今喋ってみて思ったけど」

「頭に入れておくよ」

 そう答える彼に、アルナは微笑んで見せると、自分の目の前の屏風を開けて、彼を中に入るように促した。

 彼の人生がようやっと始まる起点であった。

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