堕ちた天使は再来し、
ミロク
第1話 棺桶の眠り人、キスせずとも目覚める
その本質は変わらずとも、年月が経つと、人も社会も土地も変化する。
憧れのものは名前だけになり、誰も物を覚えなくなっていく。温故知新がいよいよ無くなり、世界は前にしか進まなくなっていった。
時代遅れで取り残された一人の男はそれを手にし、運用しようと考え、そして止めた。
この時、男は思いもよらなかった。
古を忘れようとした彼らが、その心を呼び覚まし、男の研究を巡る戦争が始まることになるとは。
※
技術がさらなる発展をし、様々な文化、宗教、そして社会が築き上げられた七カ国。
邪馬台国、ノース大国、インカ帝国、ブリテン国、エジプシャン、極闇国、極光国。
そして、彼らが奪い合う領土拡大には必須でもある、未開拓地。神様のように見れば、それは実にシンプルにできていて、広大な世界を七つに大袈裟に分けたと思えば、そのスケールは小さく見えるように思える。
だが、問題は未開拓地だ。未だに管理できずにある広大な土地。各国はそれらを巡り合って、戦争を起こす。
開拓地には、古来より未知なる財産が残っていると言われており、それゆえ、どこの国の世界地図を広げても、必ず中心は自国ではなく、開拓地を指している。七カ国が円の輪郭のように属し、未開拓地はその内側を占めているような絵図である。当然、国ごとに色分けもされているが、未開拓地に色は無い。ここを各国が競い、自国の色に染めようとする争いが絶え間ないのだ。
では、未開拓地に残るとされる未知なる財産とは一体に何か。そして、それを追い求める各国の目的とは。思惑が交錯する今。それはあなたの目で確かめてくるといいだろう。摩れば、何か考えられることも、何かを見つけることも、考えて出た答えが見つかるのかもしれない。
あなたこそが始まりの瞬間を見届ける『観測者』となるよう、お祈りをしつつ、ここでは邪馬台国の都市部から離れた町”十或”の日常、そしてその住民の一人の人生と視感を見ていく。
※
「はぁ……なんでうまくいかないのかなぁ」
古臭いTシャツと膝より上のジーンズを着こなすヒイラギ・ダッツは手の中の給与明細を見て、愕然としていた。今の収入源は週二回のホテルの清掃員だけであり、時給も安く、そこがブラック企業の系列グループだったことを最近知った。馴染んでいた場所が、実は真っ黒の事情に包まれていたことを知り、落ち込むのも致し方なかった。ちなみに給与明細の残高は一万六〇〇〇円である。これでは一か月一万円で生活することを余儀なくされていた。ヒイラギが夢見る、少女らしい生活するという状況どころか、今を生きるのに必死で、どんどん目標が遠のいていくような、果てを感じてしまっていたのである。
ヒイラギの独り言は止まらなかった。
「まだ、9月の下旬なのに……。これでどう十月を過ごせってなるのよ……。週払いで何とかならないかなぁ。あっ! でもそれじゃ、来月の生活分も週払いにならなくちゃだし……。でも、うちの冷蔵庫、今はパンの耳と調味料ぐらいしかないしなぁ……。」
と、腕を組み、頭を抱えて、悩むこと約五分少し。
「ま、何とかなってるはずか‼」と、何事もないように彼女は開き直った。
「早速、乞食生活を始めますか! くよくよしてたら、野垂れ死にそうだし」
と今いる小さな公園のベンチから元気よく立ち上がり、るんるんとスキップをしながら、ヒイラギはある場所に向かっていく。
そこは本町の掃き溜めと言われる、全ての塵が粉砕され、粉状になったものを固形にした物体が何重にも何列にも積み重ねられている場所である。ヒイラギより前の世代は貝塚とも言う。
自分の家に金目の物は無いが、ここにはたまに落ちている。使えなくなった粗大ごみの部品は美品であればあるほど、質屋で高く売れる。何なら、ラッキーな時には銃の弾丸や辣韭なども落ちており、ジャンクショップなどに売りつければ、買い手は喉から手が出るほど涎を垂らすに違いなく、プレミアム価格がつく。
少女はそれを知っていて、今日もここに来ているのだ。最も、それがどのように取引されているか、買い手の事情は知らない。
「やっほー。今日も来てやったぞお」
ヒイラギは花を摘みに来たお嬢様のように、腕にぶら下げた手提の中に売れそうなゴミを拾い、かき集めた。ゴミの塊である固形の表面をスコップで少しずつ削り、鉄っぽい手触りのものを勘で掘り起こし、手提の中に入れる。これを何度も繰り返し、地道に金のなるものを探している。まるで化石採集だ。余談であるが、貝塚は関係者以外立ち入り禁止区域である。よって、警備員に見つかることも屡々で、大概は注意喚起をされ、一般区域に放り出される始末だ。
だが、今日は珍しく警備員の姿を一度も見ていない。徘徊する懐中電灯に照らされないように、スニーキングをしながら、移動していたが、その必要すらないほど人の気配が無く、辺りに静寂が漂っていた。
「やっぱり、なんか変かなぁ? 警備員もどっかに駆り出されてるのかなあ。ま、そっちの方が私にはありがたいけどね」
と、言って、いつものように作業をした。
「おっ⁉ なんか堅い感触が。まさか……お宝⁉」
ヒイラギの表情が高らかになり、彼女はスコップを掘る速度を上げた。次第に削られていく固形の表面が、掘っている部分中心に亀裂が入っていき、その線が枝分かれしていく。
ミシミシッ
亀裂から紙くずや汚い錆が零れていくが、ヒイラギは気にしない。そこに目的の者がある、今の彼女の行動は実にシンプルで単純なものだ。
そして、ついに禁断の宝箱がぁ……! のテンションでヒイラギ・ダッツが探していた鉄の感触の正体とは……。
「…………………。なにこれ?」
固形状のものが崩れて、その中にあったのは、棺桶を模したカプセルだった。
外見はどこからどう見ても棺桶なのだが、その中身が、ガラス張りに外側から見られるようになっている。中のものが見えるかと言われれば、見えない。もやもやと白い煙が揺蕩っている。まるで冷凍コンテナだった。
「とりあえず、中、見てみるか。どこにあるかなぁ……」
と、辺りを視覚と感触で確かめていくと、カプセルの底の表面にスイッチらしき丸みを帯びたそれがあった。指の腹で少し押し込んでみると、やはり数ミリ沈んだ。これがボタンの役割であるには違いなかった。
「物は試しだ、押してみよ! エイッ‼」
ヒイラギは躊躇なくボタンを押した。
プシュユュぅゥウ…………
表面のガラスが棺桶の中へと吸い込まれ、白い煙がヒイラギの周囲に蔓延した。
咳き込む彼女の視界が晴れていき、その中身の正体が明らかになった。
「…………人?」
カプセル内で光が発せられ、その人はまるで天使のように地上に降り立ち、その身をふわりと動かした。
やがて、煙より背の高く、滑らかな肩幅をした、黒の革ジャンを着た男が現れたのだ。
だらりと下げた姿勢でその少年(?)は前髪の隙からその目を覗かせる。
その視界に見えるのは、古臭いTシャツと短パンを履いた少女と、見たことも無い、物体がどこもかしこも積み重なったこの場であった。
「…………ここは?」と、独り言を少年は言った。
「おっ、意外と野太い声。まぁ、身長的にもおじさんに見えるしねぇ」
「ここの住民か?」
「誰がこんなとこで暮らすもんか! 金は無くとも家はあるよ‼」
「あー……、そうかぁ」
「って、興味ないならするなし!」
と、ヒイラギの一人芝居が行われる中、少年は周りをきょろきょろしながら、彼女を気にせず、歩き始めた。
「ちょ、どこ行くのさ!」
少年はヒイラギに振り返り、「……さっきも聞いて、あれなんだけど…………ここはなんだ?」
「ごみ溜め。私より上の人は貝塚って呼んだりしてる。——てか、あなた誰なの?」
「なまえ、か……」
少年は人差し指をこめかみに当て、考える素振りを見せると、夕日に染まった赤い空を見上げて、
「俺、誰なんだ?」
ヒイラギは肩をがくりと落とし、
「私が聞いてるんだけど……」
「まぁ、別に重要じゃないかぁ……」
「いや、あなたのこと、どう言えば分からないじゃない!」
「うーん……」
「はぁ……もう知らない」
と、ヒイラギは手提を肩に持ち直し、ゆっくりとした歩みで貝塚を出ようとした。
「……」
彼女の後ろから人の気配がした。ストーカーでないと分かるのは、ここにいる他人が一人しかいないからだ。
一歩、一歩……、歩みを進めていくに、そいつはちょっとずつ近づいている。その体躯から一歩進む幅が違った。
ヒイラギは止まり、ちらりと小首を回して、後ろの背高を見た。
「…………」
ついてきている。あの棺桶で寝過ごすのが好みの浮浪者では無いかもしれないし、そうなのかもしれない。はたまた、新手の詐欺師かもしれない。などと、想像力豊かな発想が彼女の中には花畑のように咲いていた。
「あのぉ……」と、先に背の高い男が口を開いた。
「………なんでしょう、か?」と、恐る恐る振り返りながら、彼に体を向けていく。
「今って——」
「どうしてついてくるんですか?」
「……いや、聞きたいことがいっぱいあって……。あなたぐらいしか、聞く人がいないので……」と、その低い声が背の高さや、日没が始まりそうな明暗と相まって、巨大な壁のように見えた。しかし、雰囲気に怖さはなかった。
そして、何故か。
初めて棺桶で少年を見た時、不思議と可愛かった。
「……はぁ。——どうしたの?」
「あー……今って、西暦何年ですか?」
「———えっ?」
「いや、西暦何年って、聞いた……だけ、だったんだが…………」
ヒイラギは頭を傾げ、口をへの字に変えながら、
「一九九七年の……九月二一日、だけど?」
すると、少年はヒイラギの肩に飛びつく様に両手を持つと、彼女の体を強く揺さぶった。
「おい! 今、なんつった‼」
「えっ⁉ いや、だから……」
「もう一回言ってみろ‼ ああッ⁉」
今度は怒号のような声で、語り掛けた。
「えっ、えっ! あっ……一九九七年の、九月二一日、だよね」と、ポケットから咄嗟に取り出した携帯画面をちらりと見て、首を何度も縦に振った。
少年は夕日の方へ体を向けて、よぼよぼと歩き始めた。
「なんてこった…………俺は……俺は……」
少年は、今にも悲壮な目でその夕日を見ていた。
「あっ……あのぉ……」
と、何か尋ねる言葉を発そうとした時である。
ドゴォォオオン‼‼⁉
自分の住む十或がある方面で、激しい音が轟いた。
それは距離のあるこの場所からでも、耳鳴りが起きる音量で、その後に来る突風のような向かい風が、その音の正体を頭に思い浮かべるには充分な情報を彼女に与えた。
ヒイラギの額から大きな汗が一つ、顎に伝って落ちると、
「急がなきゃ……」と、突然彼女は走り始めた。
「おい! どこへ行く‼」
「今はそんなの後! あなたも早くここから離れてッ‼ 死ぬよ‼」
そんな彼女の背中がちっぽけになっていくのを、少年は見届けず、見えない糸に引っ張られるように、それを追い始める。黒のブーツの側面が土埃に塗れて、荒んだ汚れになるまで。
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