第3話 これしきの事、お遣いレベル
「あー……ここ、どこだぁ?」
革ジャンの少年は少女の姿を見失い、路頭に迷っていた。
へそから繋がっていた見えない糸が突然切れた。そのせいで、頼るものが無くなり、知らない道をうろうろした。
今いるここは、見たことのない素材で出来た灰色の壁の前に立っていた。正確に言えば、その壁が邪馬台国と、向こうの土地の境界線の役割を果たしている。
ここまで来るまでに、建物らしきものも、街灯や舗装された道すら存在しない。あの貝塚とかいう場所からの間はまるで開拓されていない。何処か不自然だった。余談ではあるが、なぜ、少年はそんな道でも無いところを通っていったのか、彼の感性を疑う場面でもある。
「……俺が寝てる間に、一体何があった?」
少年は灰色の壁を触りながら、静かに言った。
その指を壁に滑らせて、材質を調べようとした。
ピトッ……。
その時、自分の手に白い柔肌の手が触れあった。
「ああん?」
と、その手から細い腕、肩、首へと視線を向けて、やがて顔に到達する。
少年の顔に柔和な笑みを浮かべた、大人の女性がそこにはいた。釣り目が特徴的で、その目の裏に腹黒さが際立っている。彼女を彩る衣装は着物を三つ重ねて、着こなした厚みのある服装だった。帯から着物の裾から、地面を引き摺っており、歩くのさえ苦労するような姿だった。
「女子の肌に許可なく触れるのは失礼なんやとちゃいます?」
着物の女性はそう言った。顔は崩していない。この後の反応を遊ぼうとしているみたいだった。
「あー、すいません。……人がいるとは思わなくて」
「ふふっ。案外、礼儀正しいどすなぁ。ちょっと意外性のある子、好きよ」
「……はぁ。あのー……あんたは?」
「自分から名乗るんが礼儀とちゃいますの?」
「……すいません。……自分の名前が分からなくてぇ」
「あら? 記憶喪失とやらですか?」
「よく、分からんが……はい……」
少年はそう言って、後頭部を掻いた。
着物の女性はふふっ、とまた笑って見せると、大きい袖口から扇子を取り出し、勢いよく開いた。それを口元に当て、隠すような仕草をする。
「あんた、名前も分からんまま、これからどうすんの?」
「ある女の子を追ってたんだが……道に迷ってしまい、こんなところへ……」
「そうか。——これは国と未開拓地の境目を決める壁。そして、今いるこの場所は、最近手に入れた未開拓地エリアでありんす」
「未開拓地?」
「そのままの意味どすえ。まだ発展していないフロンティア。要は国の者でも、誰の私有地でも無い場所のことを意味しはります」
「だから何もないのか」
「そ。だからこんなとこに居っても、何の得もせんよ。それに……非常事態が発生してるやろうし」
着物の女性は青く澄んだ空を見つめながら、そう呟いた。
「ここから近い町は?」
と、少年は聞くと、黙ったまま、着物の女性の指は東を指していた。
「小さな町”十或”。ここが近いどすえ」
この瞬間、少年のへそから黄色い糸が伸びていった。その方向とは、女性の指差した方向である。
そして、それと同時に、彼に頭痛が襲った。
呻き声を刹那に上げ乍らも、頭の中に響く声を耳にしていた。
『タスケテ』——。
「……黄色い糸、助けを求める心……」
少年はぶつぶつと呟き始める。
着物の女性はそれを見て、声を上げずともその口元を綻ばせている。
一歩……また一歩と、ゆったりと歩みを進めていく。
やがて静止し、仁王立ちで佇んだ。
革ジャンのジッパーを開け、懐から一本の折り畳み式ナイフを取り出す。その銀色に光った刃を右目の涙袋に沿うように、皮膚だけを切った。その血が傷口から頬に、顎に伝って落ちていく。その光景はまるで血の涙を表していた。
そして、次に彼はこう言った。
「明けの明星。俺はお前に従う」
※
どこかの海。それは広い、広い大海原。
波立つそのうえで鴎の群れはゆらゆらと揺り籠のように飛んでいた。
その真下の海には静寂が漂い、嵐を予見する気配も無い。
だが、嵐よりも恐ろしいものがその海の中の、深い、深い……深淵のような暗さにあった。きらりと二つの赤い点が光ったのだ。
グガガガガガガッッ……‼‼
きらりと光る赤い点は、何故か海面に向かって真上に動き始めていき、深淵による暗さがやがて太陽の日差しが届くほどになると、赤い目以外にもそれについてきたものが明らかになっていく。魚類はその姿にぶつからないように逃げ泳ぎ、不法投棄されたゴミらはそのものに触れずとも、まるで缶を潰すみたいにへしゃげた。何か透明な膜が、そうさせたようだ。
二つの赤い点とは、目だ。
目があるならば、顔もあり、その胴体もある。順じて、海から浮上した。
それは、目を赤く濃く光らせる。
『おかえりなさい。ずっと待っていました』
機械じみたその声が静かに海に響き渡った。
その正体は、”ユニット”だった。だが、邪馬台国の所持であるという国特有の模様が塗装されておらず、それはその国にも属さない、模様の無い機体だった。さらに、他のユニットとは違うものが飛び出したのは次の瞬間だった。
背中に背負った縦長いものが、ギラリと真っ二つに半分に割れる線が浮かび上がると、煙を立てながら展開される。
翼。
一枚一枚の羽根の集合体で構成されているわけではないが、それだと分かる見た目をしている。強いて、翼を持つ動物に例えるならば、コウモリに近いだろうか。機械の見た目をしていることには変わりないが。
その翼の周辺からきらりと粒子が放出されている。鮮やかに輝くそれを、浅瀬の魚たちは海面から顔だけを出して、それに見惚れていた。鴎の群れはユニットの頭上を飛び回り、鳴き声を上げた。
胴体はすらりとした体形で、その色は目以外はどこからどこまでも白かった。傷一つないのも、また純白さをより醸し出す。顔面はまるで人間のような顔をしており、もし性別を分けるのなら、女性に近いだろう。まるで人間のようだ。
手首に当たる部分にトンファーと刀を合体させたような装備がされており、腰元には鞘が取ってつけられている。
ユニットは翼を更に輝かせると、その周辺の粒子もより多くなった。
『今行きます。あなたに会いに』
その瞬間、ユニットは遥か彼方に向かって飛んでいった。
これにより、翼の広げた何かが各国のある場所で撮影されることとなる。
果てや、その向かう場所は、ユニットには一つしかなかった。
※
豪風が靡く。
気を抜けば、体が飛ばされそうになるのを着物の女性は何重にも重なった服の下でじっと足に力を入れていた。しかし、その顔は余裕のある面だった。何故、地面を引き摺る着物の裾が鯉登のように風に飛ばされていないのか、それは分からない。
少年は、風を作った要因に目を向けながら、その口角をゆっくりと吊り上げていく。恐怖と喜びが交じり合った、不気味な笑みだ。
「久しいなぁ。明けの明星(ルシファー)‼」
海の中から現れたそのユニット——『明けの明星』は真っすぐに少年の両目を見つめていた。どうしてか、着物の女性から見て、意志があるように思えた。
『明けの明星』は人間で言うと背骨にあたる部分から球体を露出させる。コックピットだ。
少年は、着物の女性に背を向けたまま、話しかける。
「俺の糸が危険を察知した。今、何か起きてんのか?」
「ええ。今はノース大国の小規模での侵攻が、邪馬台国に迫っています。先程申した十或にもその手が回っております。恐らく、遠征に向かったユニット部隊の不在を狙ったものでしょうしね。けど、私には止める力はありはしません」
「あんたはこれからどうする?」
「私のことは気にせんでええよ。私に出来るのはただ争いが終わることを願うのみ。だから、あんたに頼みごとをしたい」
「…………なんだ?」
「どうか、この戦いを止めてほしいどすえ。人の死を見るんはもう、コリゴリやぁ……」
着物の女性の初めて見せた、懇願する悲壮な表情だった。あれだけ、余裕を含んだ笑いをしていたのに。
少年は、球体の中に乗り込むためにユニットに向かって、歩き始める。何歩か歩き、止まると、着物女性に振り返った。目と目が合った瞬間だった。
「俺の勝利を懇願するなら、俺の名前を憶えていた方がいいだろ。こいつを呼び出して、少しだけ記憶が戻った」
「……………………」
「俺の名前は———————だ」
「……ッ‼」
その後は何も言わず、黙って歩き始める。
恐らく、何を話しかけても彼は無視をするだろう。私情を持ち込もうとしない。戦士の鏡だった。
浮遊し始めた球体が主人を迎えるように、少年の目の前にやってきた。
扉が開き、その中へ入っていく少年。
コックピット内は機体を操るためのスイッチやレバーがあるのかと思えば、そう複雑では無かった。あるのは中央にある何かを差し込めるような穴だけだ。——それはナイフの刃を差し込むためのものだった。
挿入された瞬間、暗かったコックピット内に光が籠った。球体は鉄の塊だ。しかし、少年が乗り込むと、三六〇度の光景を見渡すことが可能になった。まるで一面が鏡張りになったように。
これで全体を見れる。カマキリのように首を縦に曲げる必要も無い。
ナイフを取り上げると、少年の顔に九尾の尻尾の彫りのようなものが出来た。
そのナイフが徐々に刀へと変化していく。歯の長さも柄も最初とはまるで違う武器だ。
頭の中に、声が響いた。
『お目覚めですか? 私の息子』
少年は顔を俯かせる。
「……俺はまだ記憶が曖昧だ。だから、なぜおまえにムカついてるか、分からない」
『…………』
「だが、今はどうでもいい。俺に力を貸せ。——お遣いが出来た」
『……あなたが何も変わっていなくて安心しました。その答えにはこうお答えしましょう」
Yes, Master.
着物の女性はその目で見た。その機体が、先ほどまでとは打って変わって、変化していた。純白よりそれが明け方の空のように、黄色く橙色へ。どこまで行っても暗い歴史でしかない争いという夜に終わりを告げる明け方が、形容されて告げられているのを、彼女は感じた。
「綺麗やわぁ……。全く、何が起きるか分からんねぇ」
人間じみたそのユニットの手には銀色に輝く刀がいつの間にか、握られている。
コックピット内で、少年は刀を構えた。
その瞬間、ユニットの翼は粒子を多く放出させた。そして、着物女性がその輝きに見とれている刹那に、機体は空へ翔けていった。
「いってらっしゃい。そして、終止符を」
着物の女性は朗らかな笑みを浮かべて、その目に一筋の涙が落ちた。
邪馬台国対ノース大国——伊邪那岐防衛戦開始。
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