Act1
EP1 初めまして?
四月。それは春の訪れを少しずつ感じられるようになる月であり、そしてまた、出会いの月でもある。――あくまでここ、カリト共和国という国においての話ではあるが。
ハルティア大陸の北西部に位置するカリトは、地理上、冬が長く夏が短い。その為、四月の初めに町中に雪の塊が点在していることは至って当たり前のことだったりする。今チリエが歩いている石畳の道にも、隙間や脇の方に点々と雪や氷が残っていた。
必要なものを詰め込んだショルダーバッグを右肩に掛け、軍の駐在所へと向かうチリエの足が、自然と軽くなる。今までにも何度か通っていたはずの見慣れた街並みが、不思議と新鮮に思えてくる。ずっと家に籠っていたわけでもないのにだ。やはり、このおろしたての軍服のおかげなのだろうか。彼女の脳内にふと、そんな考えが浮かんだ。
住宅地から大通りに出ると、途端に人が増える。朝一番の客を迎え入れるパン屋、それとは対照的に店じまいをしている
その人ごみの中に、自分と似た服装の集団を見つけたチリエは、まっすぐにその集団のほうへ走り出した。そして見覚えのあった青年に声をかける。
「おはよう!」
ダークブロンドの髪と青の双眸を持つ青年は、突然話しかけられたことに驚いて肩をピクリと震わせたが、チリエの顔を見るとすぐに緊張を解く。
「おはよう。君も生き残れたんだね」
「ちょっ、グレン! 物騒なこと言わないでよね!」
「あはは、ごめんごめん。でもびっくりだよ、男のオレ達ですら音を上げた基礎訓練を、女のお前が耐え抜いたんだから」
彼……グレン・オーウェルの言っていることは本当だ。カリト陸軍に志願し、仮採用された兵士たちが最初に受ける基礎訓練は、とにかく厳しいことで有名だ。運動によってひたすらに全身の筋肉を傷めつけられる上、疲労困憊状態で武器の基本的な扱いも覚え、後半には模擬戦闘もしなければならない。これでも昔と比べたら緩くなったほうらしいが、担当上官のその発言すら噓くさく思える程にハードな訓練。最後までついていけず、リタイアする仲間もいた。
結果として、チリエたちの代で基礎訓練を完遂できたのは、去年当初の人数の六十五パーセント。六人いたはずの女子は、最終的にチリエ以外全員リタイアしてしまった。
「だって、ずっと憧れだったんだもん」
「軍に入ることが? ホントお前って変わってるよな」
「いずれ当たり前になるかもよ?」
「いやいや、なるわけねぇだろ」
「なるかもって言ってるでしょ? 断定はしてないじゃん」
「そうかもしれねぇけどさぁ」
そんな他愛ない話をしながら歩いているうちに、気づけば二人は駐在所の前に来ていた。レンガ造りのその建物から漂う威圧感はなかなかのもので、新兵達の気もここに来ると一気に引き締まる。
「これからも頑張ろうな、マクウォール」
「前から言ってるけど、チリエでいいってば。――そっちもね、グレン」
二人は互いにウィンクしあうと、並んで駐在所の門をくぐるのだった。
――あれ?
広大な野外訓練場の真ん中あたり。目の前に立つ長身の軍人の姿を一目見て、チリエは妙な既視感を覚えていた。
それは、入隊式も終わり際、チリエ達新兵が各々の指導役となる上官達と初めて対面し、軍のエンブレムが彫られたピンバッジを(士官学校の卒業生はそれに加えてウエストあたりまである黒い無地のマントも)手渡される時のことだった。
周りの士官兵達と比べても丈が短めで、黒地に十字の白ライン、裾には赤い縁取りが施されたマントを羽織っており、身にまとう軍服も少しだけ着崩されている。上官との身長差がありすぎてチリエの視界で見れたのはそこまでだったが、それでも何故か既視感は凄まじかった。
――どこかで会ったことがある? でも軍服は今年になってリニューアルされたものだし……。
彼女が静かに思考を巡らせていると、不意に頭上から声をかけられた。
「……おい」
前ぶりもないことに、思わずチリエはびくりと肩を震わせたが、ごまかすようにばっと顔を上げる。
真っ先に視界に飛び込んできたのは、こちらを複雑そうな表情で見つめる紅と濃い緑のオッドアイ、そして燃えるように赤い髪。さっきのぶっきらぼうな声も相まって、チリエの頭の中で必死に記憶が遡られる中、上官の声は続いた。
「大丈夫か? さっきからピクリとも動いてなかったが」
「だ、だだだだ、大丈夫です!」
「どこがだよ」
上官は呆れたようにため息をつくと、腰ベルトに提げたレザーポーチから、金色に小さく光る菱形のピンバッジを取り出した。そしてそれとほぼ同時に、チリエの頭の中にとある記憶が蘇る。
夜中の住宅地。背後から近づく長身の軍人。乱暴な言い回し――。
確証さえないが、一か八かでチリエは当たってみた。
「……あ、あの。あたし達、前にお会いしたこと――」
「ある。もう五年半くらい前のことだがな。――まさかあの時のガキとこんな場所で会うとは」
小さく舌打ちをした彼の手からピンバッジが手渡された。なぜ舌打ちをされたのかチリエには不思議で仕方なかったが、考えても仕方がないので、渡されたピンバッジを詰襟に自分でつける。
「俺はストック・ディラー。階級は一応大尉だ」
「ストック……」
「好きに呼んでくれていいが、職場での呼び捨てはあまり歓迎しねぇな」
「分かりました。えっと……」
緊張やらなんやらでさっきから本調子ではなかったが、流石にこれはちゃんと言いたい。深呼吸をして気持ちを落ち着けると、チリエはにこりと笑って言った。
「チリエ・マクウォールです。これからよろしくお願いします、ディラー大尉!」
こうしてチリエの軍人生活は始まったのだった。
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