Act2

EP7 黒き怪物

 四月早々、街に現れた謎の覆面少年。彼に関する一切が未だに判明しておらず、毎晩毎晩、夜間巡視担当の軍人たちは彼の言動に振り回されていた。

 ――それだけだったら、まだよかったのかもしれない。所詮は一少年。国の中においては本当に小さな騒動に過ぎない。

 けれど……。


「大丈夫か!? おい、誰か!」

「どうしてこんなことに?」

「知るか! とにかくお前らは逃げろ!」

「そう言って、あんたはどうなんのよ! あんたも逃げなさい、あんなのアタシらの手に負えないって。黙って軍に任せればいいのよ!」


 ――午後四時。かつての王宮カリーナ城のお膝元、トルプの中心地は騒然としていた。


 カリト国内を南北に結ぶ、蒸気機関式路面鉄道、通称【カリト縦断鉄道】。黒光りする二両編成の車両が、下り坂の途中で突然暴走し、軌道上から脱線。そのまま横転したのだ。しかも、それだけではない。

 横転した先頭車両――小型高出力のスチームエンジンが積まれている車両だ――から黒い霧のようなものが噴出し、獣のような形をとって、周辺に集まりだした市民たちを襲い始めたのだ。その場に居合わせた巡視中の軍人たち数人でとても処理しきれる事態ではなく、すぐに応援要請がなされた。


 そして今、応援に駆け付けたチリエとストック、リーアとジャックスの四人は、現場の凄惨さに言葉を失っている。

 エンジン部分が壊れたのか、燃料が漏れだしている車両。

 軍人たちによって車両内から救出されていく乗客達。

 そして、軍人も民間人も見境なく襲う、黒い霧の獣。


「……状況がうまく把握できないのですが」


 右目にかかるほどに長い前髪を右腕で押さえながらリーアがそう零すと、ジャックスは無言で腰に提げていた軍刀サーベルを抜き、こう応えた。


「お前もまだまだだな」

「……すみません。もう八年近く軍人をやっているというのに」

「大抵の場合、こういう時は手薄な所に回るのが最善だ。覚えておけ」


 ――と偉そうに語っているジャックスだが、軍刀を握る右手は少し震えている。当たり前だ、こんな非現実的な事態を経験したことがあるわけがない。悲鳴とも号哭とも、また怒りのそれとも判断のつかない咆哮をあげる正体不明の怪物相手に、ストックを除いた三人の肝はすっかり縮み上がっていた。


「な、何あれ…………気持ち悪い……」

「――ったく、何で誰もあれに攻撃を仕掛けねえんだよ!」


 苛立ちながらストックは右手を前に突き出し、黒霧の怪物を握りつぶすように拳を作る。が、怪物に一切の変化が見られない。――おかしい。さっき吸殻を粉砕する時は上手くいったのに。しかし、何度粉砕しようとしても、怪物はびくともしない。嫌な汗が噴き出す感覚を覚えながら腕を下すストックを見て、何か察したのか、ジャックスは抜いたばかりの軍刀を再び鞘に戻してしまった。


「え? 大尉、どうして――」

「あいつに物理攻撃は効かないわ」

「……へ?」

「中佐が剣を仕舞ったということはつまり、そういうことですよね?」

「……そうだ」


 リーアの言葉の意味が解らないと言いたげにストックの方を見上げるチリエ。目が合った上官は、心なしか面倒くさそうに説明をしようとした。

 しかし――


「チリエ、大尉、前!」


 リーアの声と、間もなく眼前に現れた黒いに、それは遮られる。

 幸い二人とも、黒いそれをなんとかスレスレで避けられたが、息つく間もなく獣の前腕のような黒いの猛攻は続く。

 腕でそれを払いつつ避けながら、大元である怪物本体に接近する機会を見計らうストックと、その横で【フレキシブルメイス】の柄を盾代わりにして黒い前腕を払うことにしか意識が回っていないチリエ。残り二人――リーアとジャックスもまた、それぞれ黒い前腕に襲われ、対処に追われている。


 ――それにしても、変だ。見た目は黒い霧の集合体で、固形物を破壊するなら右に出るもののないストックの所持能力――【遠隔破壊】も、やはりというべきか、効かない。それなのに、何故…………。


「何でみんな、首を押さえて……?」


 獣の前足をかたどる黒霧の下敷きになった人々が、全員息苦しそうにもがいている。しかもその足の本数も、今四人を襲っている四本を含めなくても優に十本は下らない。誰がどう見てもその姿は『』以外の何物でもなかった。

 早く市民を助けないと。早くこの気味悪い怪物を始末しないと。気持ちばかりが先を行き、身体は恐怖とパニックで思うように動いてくれない。四人とも、それが悔しくて堪らなかった。


「どうすればいいの……?」


 防戦一方であたふたする女子軍人二人。そしてストックは盛大に舌打ちするなり本音をぶちまける。


「だぁ、もう……! この足うぜぇ! キリがねえ!」

「ストック、五月蠅い」

「五月蝿くて悪かったなぁ、堅物ぅ?!」

「もうすぐ日没だ、けりをつけるぞ」


 ジャックスのその声が終わるのと、先頭車内で生存者を探していた別の兵士が叫んだのは、ほぼ同時。


「ぎゃああああああああああ!?」


 男のそれとは思えないくらいに高く響く悲鳴。それにいち早く反応を示したのはチリエだった。


「――グレン?」

「おい、何があった?!」


 同時に駆け出すチリエとストック。だが、すぐに怪物の足に阻まれ、接近はかなわない。――このままでは埒が明かないのは誰の目にも明らかだったが、この場で動けそうなのは…………。


「……仕方ない」


 心底嫌そうにそう呟いたリーアは、足の攻撃を右にかわしながら、長い前髪に手をかけ、風圧も利用しながらそれを左へ流す。


 そこからは早かった。シアンの左目を隠し、代わりに紅い右目を晒した彼女は、そこらの男子並みのスピードで先頭車両へ疾走しながら、右手の武器を軍採用型ピストルから護身用の小型ナイフに持ち替える。その間も容赦なく前足が襲いかかるが、彼女はそれを軽々と避けるために、全く当たらない。結果、彼女が割れた窓から先頭車両の中へ飛び込むまで、一分もかからなかった。


 ――横倒しになった先頭車両。別の窓から中に入ってきた前足の下敷きにされ、気絶しているのか微動だにしない、ダークブロンドヘアーの若い軍人。

 そしてその奥、割れたガラスや諸々のせいで全身傷だらけの一人の女性が、苦しそうに蹲っている。加えて、その背後には――。


「……あれが、本体?」


 その姿は豹か、それとも雌のライオンか……。目を持たない漆黒の獣が、侵入してきたリーア・ヴォストに向かって咆哮する。

 ナイフを握る彼女の手が、震えた。

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