EP5 過去は過去、今は今

 最悪な出会いの二日後。


「…………どこにいんだ?」


 ストックはチリエを探して、駐在所内を歩き回っていた。朝の点呼も終わり、そろそろ仕事を始める時間だというのに、彼は今日、一回もチリエの姿を見ていない。周りの話を聞く限りさぼってはいないようで、駐在所内のどこかにはいるはずなのだが、十分近く探しても一向に見つかる気配がない。


「だ~もう……手間かけさせやがって……」


 思わず舌打ちをしてしまうストックだったが、視界の先に紫色のぱっつん髪と後ろで揺れる三つ編みを見つけ、ふと立ち止まる。


「よぉ、ジャックス」

「おう、――誰かと思えばストックか」


 声をかけられた中佐階級の男――ジャックス・ティアーの表情や声は、少々驚いていたらしいセリフの割に揺らいでいない。いつものことながら分かりづらいな――などと思いながら、ストックは要件を話す。


「チリエ見てねえか? さっきから探してんだが見当たらなくてな」

「あいにく見ていないな」

「……間髪入れずに否定するなよ、少しは悩め」

「俺は事実しか言っていないが」

「こないだはリーアに勝手に告げ口してたし……いやまぁあれは助かったが……てめえってやつはホント……」


 ルール通りの動きしかしないな――とまで言うのは、いくら同期とはいえ、格上の相手に対しては失礼なので流石に堪えたが、それでもため息は出てしまう。そんなストックを見て、はてと少しだけ首をかしげるジャックス。


「……それで?」

「は?」

「要件はそれだけか?」


 その言葉で、ストックはもう一つの要件を思い出す。


「あ~……あと一個」

「何だ」

「――前言った、俺らが捕まえ損ねた仮面被ったガキのやつ」

「……あぁ、あれか」

「あれ、あの後進展はあったのか?」


 仮面被ったガキ――あの晩に起こった一連の出来事のことだ。


 ジャックスとストックの所属する中隊は番号が二つ分離れている。つまり、今日の夜間巡視はジャックスが所属する第五中隊が当番になる。そのため、朝の段階で既に、昨晩担当だった第四中隊のメンバーからの申し送りがされているはずなのだ。

 ジャックスは暫くの間、右手を顎に添えて考えるような仕草を見せたが、やがて手を離すと静かに首を横に振る。


「声は聞こえるのに、誰も姿を見つけられなかったらしい。聞こえる内容も意味不明で……」


 そこまで語ると、ジャックスはズボンのポケットから一枚の紙を取り出し、ストックに手渡す。そこに書かれていたのは――



  魔法を忘れた者たちよ

  恐怖を忘れた者たちよ

  やがて世界は目を覚ます 

  さすれば半端な者たちは

  あれという間に地を這って

  闇に飲まれ 消えるだろう

  残るは力無き者と 完全な力を持った者

  世の理は歪まない

  歯車は決して狂わない

  いずれ落ちるは裁きのいかづち

  運命からは 逃れられない

  


「……なんだこれ」

「昨晩聞こえた声が話していた内容だ。第四中隊のメンバーの一人が暗い中、声を聞いてすぐにこれを書き起こしたらしいが、内容が合ってるかは微妙だ」

「俺らが聞いた内容とはまるで違うな」

「そうなのか?」

「そ。……俺らの時はなんつってたかな。チリエがキレるような内容だったらしいことしか覚えてねえわ」

「そうか。ならもし今晩も声が聞こえたら記録を取っておかないといけないな」


 そう言いながら、ジャックスはふと、眼鏡の向こうの深緑の両眼を廊下の方に向ける。すると、廊下の向こう、曲がり角の向こう側に身を寄せる誰かの姿が視界に入ってきた。角からはみ出ているのは、上は薄ピンクの横髪、下は男子のそれよりも長く、膨らんだ上着の裾。――この型の軍服を着ているのは、この駐在所内では二人だけだ。そして、自分のかつての部下――リーアの髪色は亜麻色だ。即ち――。


「――おい、チリエ。隠れてるのはバレバレだが」

「にゃあああああぁぁ!?」


 動揺からか何なのか、猫の鳴き声じみた悲鳴が廊下に響き渡る。ストックも悲鳴につられて振り向き、そして長い上着の裾だけ見つけることが出来た。


「……そんなところにいたのかよ」

「連れてこようか?」

「いや、いい。俺が行く」


 そうとだけ言うと、ストックは廊下の曲がり角へと向かう。が――。


「おい、逃げんな!」


 バタバタと軍靴の音が重なり、鳴る。やっと見つけたと思えば、今度は追いかけっこが始まったのだ。ああ、まったくもう――!


「どこまでも手のかかる奴だなぁ!」


 ストックはそう叫ばずにはいられなかった。

 だが、身内のチェイス劇もそう長くは続かなかった。女子と成人男性の走る速さなど、男性のほうが基本的に速い。暫くすれば追いつき、肩を掴めそうなくらいに距離を詰めることが出来たのだ。しかし、やはり捕まえるまではいかない。

 そうこうしているうちに、チリエは目についた空き部屋に滑り込み、内開きであるドアを閉めてしまった。ドアノブを捻ってみるが、中からもたれかかるなりしているのか、開かない。怒りが沸点から下がる気配のないストックはドアを叩きながら怒鳴る。


「チリエ、出て来い! どんだけ上司を振り回せば気が済むんだてめえは!」

「嫌だ! 会いたくない!」

「我がまま言うな!」

「だって――だって!」


 ドアの向こうから泣きそうな声が聞こえてくる。良心を抉られるその声に胸が少し痛み、ストックが反論出来なかった一瞬の隙をついて、チリエは感情のままに言葉を続けた。


「意味が分かんないもん! なんであいつを庇うようなことを言ったの? メシアの生き残りなのに、あたしをまたあの場所に引き戻そうとしていたのに! 大尉だって聞いてたでしょ? あいつの言うことは全部。それに六年前のことだって知ってるはず。なのに――何で?! 何であいつの肩を持つの、何であいつじゃなくてあたしを怒るの、ねぇ?!?!」


 チリエが泣きながら一頻り叫んだ後、一転してその場は静かになった。微かに、ドア越しにすすり泣く声が聞こえる程度だ。


 ――確かにあの少年の発言は聞いていた。六年前のことだって、今までに一度たりとも忘れたことはない。

 だが、それとこれとは別の話だ。


「……過去は過去、今は今。残党だろうが何だろうが、それらしい行動にさえ移さなかったら、そいつはただの一般市民だ」

「…………何で」

「そうしないと、言いたいことも言えなくなっちまうだろ? 言ってることにいちいち上げ足取られてたら、話しづらいだろ?」


 無意識のうちにストックの声からは角が取れていた。初めて聞く彼の優しい声に、チリエの息を吞む気配が、ドア越しに感じられる。


「だから、一昨日のお前さんの動きは過剰防衛なんだよ。……まぁ、次から気を付けてくれりゃあいいわ。気持ちは分からなくもねえしよ」

「…………ねぇ」

「うん?」

「……怒ってないの?」

「さっきまでは怒ってた。けど――」


 脳裏によぎる悪夢のような記憶を何とか振り払い、ストックは途切れていた言葉を再び繋げる。


「――昔の俺も、そうだったから」

「え?」

「だから……あ~、何て言えばいいかな…………とにかく、もう俺は怒ってねえよ。だから早く出て来い、仕事はこうしている間にも積みあがってくんだからさ」


 暫しの静寂の後、ゆっくりとドアが開かれた。泣きはらしたのか目尻が赤くなっているチリエは、俯いたまま足早に水場の方に行ってしまう。顔を洗いに行くようだ。

 そんな彼女を見送りながら、ストックはポケットから紙巻きたばこの箱を取り出し、窓辺に向かった。

 一階の廊下の窓の外、空は憎いくらいに快晴だ。そんな空を見上げながら、ストックはマッチを擦り、咥えたたばこに火をつける。

 ……漠然とした、を感じながら。

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