EP3 新人一等兵は忙しい

 入隊式の日から四日間、チリエはなかなかに忙しい日々を送っていた。

 昼間の市内巡視、【フレキシブルメイス】の運用練習、そしてもう一つ――。


「だ~か~ら! 余計なこと考えんなっつってんだろ!」

「考えてない! ――です!」

「だったら何で俺の顔めがけて本が正面から吹っ飛んでくるんだよ! 絶対狙ってたろ!」

「狙って飛ばせたことないもん! ただのまぐれだって――ですってば!」


 ――異能力の制御訓練だ。


 この世界の人間の中には、紅い瞳を持つ者がいる。そしてその瞳を持つものは、総じて異能力をその瞳に宿している。

 右目だけが紅ければ、攻撃的な能力を一つ持つ、ライターRighter

 左目だけが紅ければ、保守的な能力を一つ持つ、レフターLefter

 両目が紅ければ、それぞれを一つ以上持つ、ボザーBother

 そして両目ともに紅くなければ、異能力を持たない、ニュートラルNeutral

 この世界の人間はこの四種類に分類される。


 異能力は原則、瞳が外に晒されることによって無条件に発動する。そのため、意図せず能力が発動し、自分のみならず周囲にまで悪影響を及ぼすことが、特に十五歳未満の子供には結構な頻度で起こる。一応髪や眼帯で目を隠すことで能力の発動を止めることは可能で、実際大多数のライターやレフターはそうして対策している。が、それでも制御に限界はあるし、何より視野が狭まって死角が増える。


 その解決のために、数十年前にとある人物によって提唱されたのが、主にライターを対象とした【能力制御訓練プログラム】――今チリエとストックが空き部屋でギャーギャー騒ぎながらやっているものだ。


 方法は至って単純。広めの空っぽな部屋の中で、訓練対象者はイスに座った後に、目をつむってから紅い目を隠す物(眼帯や前髪等)を除ける。

 その後、同じ部屋にいる訓練実行者は床に、物(但し当たってもあまり痛くないもの)を一つだけ置き、置いたものを口頭で対象者に伝える。

 そして実行者の指示の後、対象者は目を開けて床に置いてある物を注視する。――この一連の流れを、床の物が一切の変化を見せなくなるまで繰り返すのだ。


 話だけ聞くと簡単そうだが、これが案外難しい。まず一発で成功する人はいない。大抵、【遠隔操作サイコキネシス】持ちの人の場合は、目を開けた瞬間に物があらぬ方向に吹っ飛んでいくし、【遠隔破壊】持ちの場合は、視界に入ってすぐに物が跡形もなく粉砕されてしまう。

 何より、この訓練に必要なのは、強靭な忍耐力と精神力。トライ&エラーを何度も何度も――人によっては千回を超えることもあるくらい――繰り返すため、ほぼ完全制御ができるようになるまでやり切れた人数は、片手で足りてしまうくらいだ。


 ……そんな稀な人間の一人が、先程額に本をぶつけられて不機嫌になっているストックなのだが。


「何度も言ってんだろ? 余計なことは考えず、冷静に本を見るんだ。普段左目だけで見ている時と同じ光景を頭の中で思い浮かべんの」

「む~~~~~~」

「ほっぺた膨らましたって何も変わんねえぞ。はい、もう一回」

「……はーい」


 目をつむったまま、チリエが大きく深呼吸をする。その間にストックは、本を再びチリエの足元に置いた。――今度、あの人からアドバイスを貰おうかな、などと考えながら。



「ちょっと……待って…………あたしは……いつになったら……休めるの……?」


 その日の夕方。チリエはフラフラしながらストックの後ろでそうぼやいた。

 彼女がそうぼやくのも無理はない。今から夜間巡視なのだ。

 チリエが所属する第三中隊は今日が当番の日で、これから灯油ランタン片手に、数時間がかりの夜の街の巡視に行かなくてはならない。しかも、さっきのさっきまで能力制御訓練をしていたので、彼女は今疲労困憊状態だ。

 そんな彼女の方を振り向いたストックは、ため息をつくとこんなことを言った。


「おいおい、これしきで何へたってんだよ。充分休憩したろ?」

「たったの十分じゃん……しかも……お昼ごはんの時……」

「基礎訓練の時もそのくらいだっただろ」

「そうだけどさぁ……」

「あと、さっきからちょくちょく敬語抜けてんぞ。俺と二人きりの時はともかく、それ以外の時は気をつけろ」

「うえぇ……ごめんなさい……」


 ストックからランタンを手渡されたチリエだったが、受け取ってすぐに、だら~んと俯いてしまう。ランタンはそんなに重くないはずだが……思った以上に彼女の疲労係数は高かったらしい。

 それでも、仕事は仕事。そう割り切って、ストックは部下を無理やりながらも夜間巡視に連れ出すのだった。



 午後七時半。――それは、あまりに唐突だった。


「――籠の中の鳥は鳴く」


 ついさっきまで静まり返っていた住宅街に、少年らしき声が響き渡ったのは。


「――どうして私は飛べないの」


「……な、なに?」

「知るか。こんなこと、今までなかったぞ」


 夜間巡視中のチリエとストックの足が止まる。声のする方向に目を向けるが、ガス灯が未だに整備されていないこの場所では、あまり遠くまで見ることができない。本当にランタンの光だけが頼りだ。

 困惑する二人をよそに、声は言葉を紡ぎ続ける。


「――せっかく羽をもっているのに、どうして私は――」


 だんだんと、声がこちらに近づいてくる。


「――こんな籠の中で鳴き続けることしか、許されていないの」


 二人から見て、真後ろから。


「――だから鳥は籠を壊した」


 そこまで声が言った時だった。チリエがバッと振り返るなり、左手のランタンを前方に突き出してこう叫んだのは。


「さっきからぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ何言ってんの! 姿を見せなさい!」


 叫んだ直後、ストックの手で口を塞がれてしまう。


「んんっ!? んぐ、んんんんんん!」

「夜中に叫ぶな、アホ! 今何時だと思ってんだ」


 小声で諫めるも、部下の表情はいかにも不服そうだ。――どこまでも手のかかる部下だ、とストックはため息をつく。

 そして、チリエの持つランタンの光に、近づいてきた第三者の姿が照らされた。

 こげ茶色の革靴に、黒いスラックス。それより上は黒いフード付きのケープで隠されており、しかもフードを被っているせいで顔も見えない。


「……まさか、こんな所でお会いできるとは」


 そう言いながら、その人はフードを脱ぐ。

 露わになったのは、紫色の双眸と茶色い覆面、そして暗い青色の髪。


「籠を壊して自由を得た鳥に」


 奇妙ないで立ちの少年は、静かに笑った……ように見えた。

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