EP11 六年越しの神送り

「いいかい、チリエ。お前は神の元へ行くんだ」


 喪に服す期間も終わった頃、チリエは突然その言葉を父親からかけられた。両目に包帯を巻かれている彼だったから、そもそも自分の娘が今目の前にいることに気づいていたのかも定かではなかったが、その言葉には妙な重みがあったことだけは確かだった。


「……何、て?」

「神の花嫁となるんだ。お前はそう運命付けられている」


 声色に滲む恍惚。手に握られた瓶詰めの鎮痛剤は、昨日医者から貰ってきたばかりにもかかわらず半分以下にまで減っている。薬の量は一週間分だと聞いていたから、見るからにおかしいことが起きていることは明らかだった。


「パパ、さっきから何を――」

「そして、そんなお前の父親たる私は、救世主だ」

「え……?」

「然るべき時に民衆の前に現れ、この国を救う救世主なのだよ」


 ――そんなこと、今まで言ったことがなかったのに。ママやあたしのことは可愛いだの美人だのベタ褒めて、そのくせして自分自身のことは凡人だの、レフターのくせしてポンコツだのと言って全然褒めない。パパは、あたしのパパはそんな人だったのに……。

 人が変わったようにうわごとを発し続ける父親に、当時まだ七歳だったチリエは混乱し、そして怯えていた。


「だから――我が娘よ、もう外には出るな。お前は神の妻となる存在。外に出てしまっては穢れてしまうからな」


 瓶を片手にこちらに向かってくる父親。目は潰れて見えなくなっているはずなのに、その足は着実にチリエの方に歩みを進めていた。


「嫌っ……何で……!」

「娘の分際でメシアの言葉を否定するのか!」

「パパはそんなんじゃな――!」


 ……あの時は、どうやって凌いだんだっけ。今ほど力もなくて、声もあまり大きくなかったから、家の壁の前で縮こまってたんだっけ。それとも、柱の陰に隠れたんだっけか。思い出せないということは、それだけあの出来事が恐ろしいものだったということだ。――今なら、どうしてるかな。

 そんなことを考えていると、記憶の中のワンシーンが徐に歪んだ。包帯で顔をぐるぐる巻きにした父親に重なる、仮面をつけた少年の顔。……この紫の瞳と暗い青の髪、よく考えたらどこかで――


「歪んだ世界を正さなければ」


 今は亡き父の顔はいつの間にか消え、代わりにほんの一瞬、仮面の少年に面影が似た女性の顔が重なった。


「今からでも、神の御許へ送ってしまえば――」

「!!」


 ……思い出した。思い出したくなかった。こいつは……!

 チリエの右脚が、少年の股間を勢いよく蹴り上げる。さっきまで掴まれていた腕が解放されるのもつかの間、意図せず少女の身体はぬかるんだ地面に背中側から倒れ込んだ。一方、急所を突かれた少年は案の定、その場にうずくまっている。


「あんた、まさか――!」


 チリエは取り落としていたメイスの軸を手探りで探し出し、再び握る。だが、雨を吸い、泥をかぶった軍服は重たく体にのしかかり、彼女が立ち上がるのを妨害する。せいぜい、半身を起こすので限界だ。


「レフィナの――」


 双方、ずぶ濡れの中睨みあう。大事なところを蹴られた痛みが引かないらしく、少年は未だ立ち上がれていない。だがその目はまるで「黙れ」と言わんばかりに威圧感を放っていた。一瞬怯んだその隙を突かれて、発言権を奪われる。


「……あな、たを……神の御許に送れ、ば……世界は……」

「あたしが生きているから、アイツの予言を無視して生き延びたから、この国は歪んだと、そう言いたいわけ? でも、この国に異変が起こり始めたのはつい最近だよ」


 チリエはあくまで強気な態度を崩さなかった。ここで弱気になるわけにはいかないのだ。


「それ、は――」

「言い訳がましい男は嫌われるよ、ゼスター」


 彼女の口から出たその名前に、彼は目を見開く。それを見たチリエの口からは、気の抜けた笑い声が漏れた。


「あぁ、知らなかったんだ、あたしがあんたの名前を知ってること。でもあたしは、昔のあんたの姿は知らない。せいぜい名前しか知らなかった」

「……な、ぜ……?」

「レフィナだよ。確かレフィナ・ベイサイドと名乗ってたはずだけど……。夫と離婚して教団に入った、あんたの母親。たまに正気に戻るとあんたの話をしてくれたの。毎回『ごめんなさい、ゼス』って言ってた。いつもはメシア様の後妻だの、娘様のもう一人の母だの、根拠ない妄想を延々と語って、息子なんていないかのように振舞ってたのに」

「そんな、はずは」

「あったんだよ。一応今あんたの前にはかつての信仰対象がいるのに、信じないんだ」


 そしてそう言いながら、彼女の頭の中で一つ、線が繋がった。


「――あぁ、だからなの? あの人の――レフィナの息子だから、教団幹部が望んだことだから、今でも教えを信じてる自分が代わりにあたしを拉致して、誰の目にもつかないところで殺そうと。そういうことなの?」


 本降りの雨の中、チリエ・マクウォールは至極冷静だった。淡々と、感情の波を一切排したその言葉は、単なる事実と仮説の羅列に他ならない。しかしそれが逆に、少年――ゼスターにとっては感情を逆なですることに他ならなかった。


「分かっているのなら付いて来てもらうほかない」


 痛みが引いたのか、ばっと立ち上がるなり再びチリエを捕まえようと腕を伸ばすゼスター。そしてそれをさせないとばかりに、打撃用アセットを付けた軸を握りしめるチリエ。お互いびしょぬれで泥だらけだというのに、少年と少女の小競り合いは一向に終わる気配を見せない。どうやら双方、諦めの悪い者同士だったらしい。


「絶対嫌だ……! とっととあんたを豚箱行きにしてやる……!」

「刑務所行きになる正当な理由がどこにあると?」

「*殺傷予告罪ってご存じ?」


 しかし、そんな子供の言い争いは、えてして大人たちの手で制されるものだ。


「やっと見つけた……なんでここに?」

「……何をしているんだ、お前たちは」

「お~い、ゼス~? なぁにしテんの?」


 男性一人と女性一人、合計三人の声がおおよそ同じタイミングで二人に向けて投げかけられた。チリエは背後へ、ゼスターは頭上へ、それぞれ視線を移す。


「……う、そ」


 そこにいたのは、声にだけ困惑がにじみ出ているジャックス・ティアーと、傘片手に走り回ったらしく息が上がっているストック・ディラー、そして……。


「……やはりカリト人は蛮族だねぇ」


 敷地内にある木の枝に両脚をひっかけて腕を組み、何故か逆さまの状態で四人を見下ろす、カボチャ色の髪をした謎の女だった。




*殺傷予告罪……相手を殺傷するという明確な意思を持った発言をする、またはその意思をもとに武器を実際に相手に向ける罪。五年以下の懲役もしくは罰金刑が科せられる。しかし起訴の際には当事者ではない目撃者五名以上の証言が必要なため、今回の場合は間違いなく不起訴となる。

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ロスト・ライト ~壁の秘密と少女兵達~ 陽炎美影 @Mikage_K

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