短録.Fry Go to the Moon.

「……カグヤ、メ。サメタ!」


 酷い頭痛に魘されつつ、目を開けた先にあったのは見慣れない天井──と、私の顔を覗き込む子供の顔だった。そして目が合うや否や、カタコトの言語で叫びながら走り去ってしまったのである。

 それにしてもここはどこなのだろう? 天井の造りを見るに、私が住んでいた国とは違う場所だということはわかる。だが……このような作りの天井に見覚えはない。そして覚えがないと言う点でもう一つ。


 ──あの子どもが口にした『カグヤ』とは何のことだろう?


「目が覚めたのです、ね。ご気分はどうです、か?」

 そんな事をぼんやりとした頭で考えていると、先程の子供と共に妙齢の女性が現れた。子供のようなカタコト言葉ではないが、語尾に変な癖がある。上体を起こすと、軽いめまいに襲われたが──それも数秒足らずで収まった。

「…………全身の怠さと頭痛を除けば他はなんとも」

「それはなによりです、ね。カグヤ」

「……その、カグヤというのは何でしょうか?」

 尋ねた途端、彼女と子供が動きを止める。そうして私の顔を見て何度か瞬きをした後──小首を傾げ、ややあってから「貴女の名前ではないのです、か?」と迷いのある声が返ってきた。

「違います。私の名前は──…………、名前、は…………?」

 私の名前は、なんだ? 名前が思い出せない。そう理解した途端に、言いようのない不安が胸を埋め尽くすのを感じた。こんな、総毛立つ感覚は初めてだ。私は一体、誰なんだ? どこから来た? どうしてこんな場所にいるのだろう。 

「──落ち着いて、ゆっくりと呼吸をしてください、ね」

 視界がぐるぐると回り始め、誰かの呼吸音が煩い──そう感じた矢先に、彼女の声がするりと入り込んでくる。ゆったりとしたイントネーションは、鋭く速い呼吸音の中に在ってもよく聞こえた。

「私の胸の音を聞いてください、ね。そしてそれに呼吸を合わせるのです、よ」

 直後、彼女に優しく抱きしめられる。柔らかな感触と共に感じたのは、彼女の鼓動。そして赤子をあやすように、彼女は私の背をさすってくれた。

「恐ろしい気持ちも、不安な気持ちもわかります、よ」

 優しい声で「大丈夫。大丈夫です、よ」と繰り返しながら背をさすり、時にトン、トン、トン、と柔らかく背を叩いても来た。それは酷く原始的なモノだったが──それ故に効いたのだろう。不安は未だ胸に残るものの、過呼吸の症状は落ち着きはじめていた。そうして普段通りの呼吸が出来る様になって、一言礼を述べると彼女は「礼には及びません、よ」と優しく微笑んだ。


「では、確認します、ね」

 ややあってから、彼女は改めて私の置かれた状況を説明してくれた。

 まず、私は巨大な鉄の竹から救出されたとのだと言う。それは青空に閃光が迸り、星の海原を露出した日に起きた出来事だったらしい。

 星の海原を目にしてから少し経って、何かが落ちてきたというのだ。それはここよりも少し離れた山林に落下。今までにない衝撃に驚きつつ、爆心地と思わしきその場所に向かうと──巨大な鉄の竹が突き立っていたと言うのだ。ソレを見て先程の子供は昔話の「かぐや姫」を思い出し、私のことをカグヤと呼んだらしい。

「本当に貴女は空から落ちてきたのです、か?」

「……わからない。ただその鉄の竹というものは、なんだかすごく気になる。連れて行ってもらうことは出来ますか?」

「構いません、よ」

 件の竹はここからそう遠くない場所にあるとのことで、片道1時間余で着くという。だが私が目覚めたばかりだという点を考慮して、後日そこへ向う事で話はまとまった。

 

 それから数日間、私は彼女らと色々な事を話した。その中でわかったのだが、どうやら私は記憶喪失というやつらしい。名前は勿論の事、故郷の名前すら思い出せなかったのだ。思い出せる記憶はどれも朧げであり、一つとして連続性のある記憶はなかった。例えるのなら、日常の一コマを切り取ったスナップ写真だけが散らばっているような感覚だろう。時系列もバラバラで輪郭すら曖昧。なんとか書き出そうにも固有名詞すら思い出せない始末。何を伝えようにも曖昧で、何を伝えられようとも要領を得られない。これが中々のストレスだった。

 そんな私に寄り添い続けてくれた彼女の名はヴァリデールと言う。あの独特な語尾は昔からの癖であるらしく、直すつもりはないらしい。また私の名前については暫定的にカグヤとされている。

「カグヤ、調子はどうです、か?」

「体調は良好ですよ。記憶の方は変わりありませんけど」

「いずれ思い出せます、ね。だから大丈夫、大丈夫です、よ」

 そして語尾以上に気になるのがこれだ。事ある毎に私を抱きしめ、その背中を優しく擦ってくる。どうやらこれも昔からの癖であるらしく、誰に対してもこんな調子なのだとか。

 始めの頃こそ驚いたが──既に慣れ始めている自分がいる。


「ねぇ、ヴァリデールさん。空に浮かんでいるアレは一体なんですか?」

「あれ、とはなんです、か?」

「空に浮いているアレです」

 抱かれたまま空を見て思った。あの空にぼんやりと浮かんでいる太陽よりも暗い球状のナニカ。太陽のように光を放つでもなく、ただそこにあるだけのソレは何なのだろうと。

「あぁ。あれは月と呼ばれています、ね」

「……つき?」

 彼女曰く、ソレは竹取物語り──その主人公であるかぐや姫の故郷とされた場所だという。長らく空想上の存在とされていたが、青い空が死んだ日から見られるようになったという。

「月が確認された日の夜に、貴女は鉄の竹に乗って落ちてきたのです、よ。今から見に行きます、か?」


 それから身支度を整え、私達は件の場所へと足を運んだ。この集落からはそう遠くない場所にあるようで、1時間もかからず辿り着いた。

 しかしそれは──……竹と呼ぶにはあまりにも歪な形をしている。それにこの一対の板はなんなのだろう? 空を飛ぶ為の翼だと言うのなら、もう少し大きくても良い気がする。

「……カグヤ? どうしたのです、か?」

「私が乗っていたのはどこかなと思って」

 指示された場所には座席が一つ。その周囲には計器やスイッチ、レバーが設置されていた。

 ……それらがそういったモノだというのは理解出来る。けれど使い方についてはさっぱり分からなかった。わからないというより、思い出せないという感覚の方が正しい気がする。

「カグヤ。あまり無闇に触らないほうが良いと思います、よ」

 彼女はおっかなびっくりと言った様子だ。彼女には申し訳ないが、何か思い出せるような気がする。直接的な手がかりがあるかも知れないし、そうでなくっても得るものはある筈だ。


 ──……ブッ。 ザザッ……── 


「カグヤ!? 今すぐ離れるのです、よ!」

 彼女が突然、今まで聞いたことのない大声を上げ私の腕を掴んだ。その力は思っていたよりも強く、私は操縦席らしき場所から強引に引きずり出された。


 ──基幹システム損傷。リペアモジュール、チェック──


 何度かノイズを生じた後、聞こえてきたのは無機質な機械音声だ。これに対し彼女は相当驚いたようで、パニック寸前だった。私はといえば──その機械音声にどこか懐かしさを覚えている。


 ──出力不安定。システム保護の為、強制停止──


 無機質なアナウンスが流れた直後、唸るような機械音は急速に勢いを失っていく。そうして機械音が鳴り止むとほぼ同時、計器類からも光が失われた。

 もしかしてこの機械は、出力とやらが安定すれば動くのだろうか? 

「……カグヤ。もう帰ります、よ」

 そんな事を考えていると服の裾を引っ張られ、半ば無理矢理帰路へとつかされた。本音を言えばもう少しアレを調べたいのだが、道具もなしに調べられるとは思えない。帰り道、私は記憶を頼りにどんな道具が必要なのかを考え続けていた。


 ──それからも私の意識は件の機械に囚われ続けている。

 ソレ故、私は彼女に黙って独り件の場所へと通い続けていた。その結果わかった事は、私が「スカーロイ・ライト」という名前の人間だと言う事。そしてこの機械が青い空を越えたという事実。この機械は空を翔ぶ最中、突如として現れた巨大な化け物を打ち破り、青空の果てへと翔んでいたのだ。


 そしてその映像を持ち帰り、私は彼女にも見せた。

 初め彼女は信じられないと言った様相ではあったが、現実にあった出来事と照らし合わせていくと──最後にはソレを認めてくれたのである。

「……では、スカーロイ。貴女は祖国を目指すのです、ね?」

「勿論」

「そうです、か。なら祖国に帰った後、貴女は何をしたいのです、か?」

「私のやりたい事──……」

 特に考えてはいなかった。青い空の真実を確かめる事──それはもう終わった事だ。空の果てには果てのない暗闇と、光る何かが無数に広がる空間だった事も思い出した。大小様々な瞬きの中、一際目を引いたのはヴァリデールが月と呼んだ大質量の球体だ。


「──……取り敢えず、月に向かって翔んでみる」


 大丈夫。青い空の真実を解き明かした私なんだもの。きっとあの月にだって行けるはずだ。

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ライブラ メイルストロム @siranui999

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