歴史の町 萩

歴史の町 萩

「まもなく萩~、萩に到着いたしま~す! 萩の出発時刻は二十二時でぇす!」

 車掌さんの大きな声で目を覚ます。目を擦りながらカーテンを開けると、窓の外はもう明るくなっていた。

「お、起きたかしょーた。ほら、向こうを見てみろ」

 鬼丸さんが相変わらずお酒を片手に外を指差す。言われた通りに見てみると、窓の向こうがなんだかとてもキラキラと輝いていた。

「うわ~!」

「日本海だ。きれいだろ」

 手前に道路があって、その向こう側に海がずっと向こうまで広がっている。

 朝日を受けて波の一つ一つがキラキラと輝いててとてもきれい!

「これが列車の旅の醍醐味ってやつだ。乗ってりゃあこうして色んな景色を見せてくれるのなんざ列車くらいのもんだからなあ」

 そう言って鬼丸さんはおちょこの酒をぐっとあおった。

 翔太はこの景色を見て「列車じゃなくて列車の旅が好きなんだ」と言う鬼丸さんの気持ちが少し分かった気がした。

「あ、やっと起きたわね」

 二人でベッドに座ってかじりつくように外を眺めていると、どこへ行っていたのかカノンが廊下から戻ってきた。

「おはよう」

「何ぼけっとしてるのよ。早く顔洗ってきなさい。もう駅に着いちゃうんだから」

 カノンはそうやって翔太を急かした。

 翔太は訳が分からずぽかんとする。

「駅に着いたら何かするの?」

「はぁ? 何って観光に決まってるでしょ。丸一日停まってるのよ? ずっと乗っていられるわけないじゃない」

「か、観光?」

 そういえばさっき車掌さんが二十三時に発車って言っていたような……。つまり、夜の十一時。それまではずっと駅に停まっているってことになる。

 確かに、日中ずっと列車でぼーっとしてるっていうのはもったいないよね。

「それはこの娘の言う通りだ。どうせ停まってるんだから息抜きしてくるといい。改札も特にねぇから停まってるあいだは乗り降り自由だ」

「そういうこと! なんでか知らないけど妖怪ってどいつもこいつも陰気なヤツしかいないし、一人だとなんかむなしいのよ。だからあんたついてきなさい」

 鬼丸さんもこう言ってるんだし、翔太には断る理由がない。

 それに観光ってなんだか楽しそうだし。カノンの言う通り、翔太も観光についていくことにした!

「……そういうわけだからまずは早く顔洗ってきなさいよ」

「えっと、あのさ」

「なによ」

「洗面台っとかってどこ?」

 翔太が言うとカノンは「そんなことも知らないの?」という顔をした。

 だって乗ってすぐに車掌さんにここまで案内されたんだから、それ以外のことは知るはずがない。思えば昨日はお風呂にも入っていない!

「仕方ないわね。連れてってあげるから早くきなさい」

 そう言ってカノンがスタスタ通路を歩いていくから、翔太は慌ててカバンからタオルを取り出してその後を追いかけた。

「まず全部の車両の一番前にトイレがついてるから。ただ私はかなりの時間トイレの中にいるから、トイレに行きたい時はできるだけ他の車両に行ってね」

「う、うん……」

 ときおりカノンがどこかに行くのはトイレに行ってるからなのか……。まあトイレの花子さんだものね。

「客が増えると遠くなるけど、とりあえず前の方に洗面台とシャワーと食堂車があるわ。で、一番前がラウンジ」

 カノンが案内してくれ通りに進んでいくと、確かに洗面台がデッキのところに現れた。洗面台は土台が木でできていて、なんだかおばあちゃんの家の洗面台みたいだ。

 カノンを待たせちゃいけないから翔太はざっぱざっぱと大雑把に顔を洗って、タオルでごしごし急いで拭く。終わったのを確認するとカノンはさらに説明を続けた。

「この隣の扉がシャワー室。トイレみたいにカギのところが赤くなってたら人が入ってるから。それでこの奥が食堂車。って言っても基本的にはお弁当やらパンをくれるだけよ。で、もうあんたの分のパンは貰ってきたから席に戻って支度するわよ」

 また一回も息をつかずに長いセリフを言いきった。カノンの肺はいったいどうなってるんだろうか……。

 支度といっても翔太の荷物はもともとリュック一つだったから、それを全部持っていくことにした。

 スマホ(もう電源はなくなっている)、それにティッシュとハンカチとさっき使ったタオル。そして一日分の着替え。

 サイフも一応あるけど入っているのはお父さんからもらった千円だけ。

「あんた、よくその荷物でこの列車に乗ろうと思ったわね」

 カノンに呆れられていると、列車全体がガタンと前後にゆれて列車の速度が落ちてきた。いよいよ到着みたいだ……!


※ ※ ※


 ホームに降り立つと、出雲市駅でこの列車に乗ったときみたいにまわりは真っ暗になっていた。天井を見るとまた「444番線」。まさにこれが妖怪列車専用ホームってことなのかな……!?

「ほらほら、早く行くわよ」

 きょろきょろしている翔太を置いてカノンはさっさと階段を下りていく。置いていかれないように駆け足で階段を下りていくと……急に視界が開けて駅のロータリーに繋がっていた。横浜駅のロータリーとはだいぶ違うみたい!

 始めて来る場所だから翔太の目には全部が新鮮に映った。

 ぐるりと周りを見渡してみる。ロータリーがあって道があって駅の建物があって……。そうして見ていた時、翔太はあることに気が付いた!

「あれ!? 歩いてきた階段がない!」

 たった今ホームから歩いてきたところが駅の壁で塞がっていたんだ! 扉とかでもないし、本当にただの建物の壁!

「今さら何をびっくりしてるのよ。妖怪が乗る列車よ? 普段から見えてたら困るじゃない」

「で、でも乗る時はどうするの?」

「きっぷ持ってる妖怪が乗ろうとしたら入口は勝手に出てくるから。そんなこと気にしてたら妖怪列車なんて乗ってられないわよ」

(そういうものなのかなあ?)

 翔太はちょっと納得いかなかったけど、カノンの言う通り気にしていても仕方がないし考えないことにした。

(せっかく初めてきた駅なんだからよく見てみようかな)

 電車が好きな翔太は駅を眺めるのも好き。横長の駅舎を右から左までじっくり観察する。

 駅舎はお城をモチーフにしているのか、壁の模様や窓の形がお城のような感じになっている。そのレトロな駅舎の上のところに一文字ずつ「東」「萩」「駅」の看板がでていた。

「あれで『はぎ』駅って読むの?」

「真ん中の一文字が『はぎ』だから『ひがしはぎ』駅ね」

 カノンは文字の看板を指さしながら説明してくれた。

 でもそれに対して翔太は「あれ?」と首を傾げる。

「停まるのは萩って言ってなかったっけ。この駅は東萩駅なのに」

「そう言われればそうだけど……。ガイドに『萩駅より東萩駅の方が萩の中心地に近い』って書いてあったし、大体合ってるんだからいいじゃない。妖怪列車なんだし」

(これもあまり考えちゃいけない気がする)

 妖怪列車だから人間の常識で考えちゃいけないんだね……! 翔太は妖怪列車について細かいことを考えるのをやめることにした。

「駅の中も見ていい?」

「見たいならいいけど……手短にね」

 カノンには悪いけど翔太は鉄道が大好き。せっかく駅に来たのにしっかり見ないのはもったいない!

 駅舎に入ると白と木目で統一されていてレトロな雰囲気を醸しだしている。待合室には歴史についての展示があったりしてちょっとした資料館みたいだ。

「あ! キハ40だ!」

「きは……?」

 翔太の目線は改札口の向こうのホームに注がれていた。ちょうどやってきた列車がキハ40系気動車。とっても古い列車で今はとても珍しいんだ。

「すごーい! かっこいいなー!」

「そう? 古いしうるさいし私は嫌だけど」

「えー!?」

 鉄道好きじゃなければカノンみたいな人が多いかもしれないね。

 写真を撮りたいけどスマホの電池は切れてしまっているから、翔太は心のシャッターでしっかりとキハ40系を刻み込んだ。

「じゃあそろそろ行くわよ」

 思う存分東萩駅を堪能したから二人は駅舎を後にする。カノンはガイドを見ながらスタスタと歩き出した。

「とりあえずー、まずは武家屋敷に行きたいのよね」

「ぶけやしき?」

「つまり古い大きい家がいっぱいあるところよ。萩っていうのは城下町なの。お城の前の昔からある町。城下町といえば古き良き町並みでしょ?」

 同意を求められても翔太はあまり旅行したことがないから分からない。きょとんとしてうんともいいえとも言えなかった。

「ま、行ってみれば分かるわよ。とりあえず行ってみましょ。歩いて行けるみたいだし」

 カノンがまたずんずん進んでいくから、翔太は早歩きでその後ろについていく。背の低い翔太はついていくので精いっぱいだ。

「この大きい川が松本川。これをわたると萩の中心地に行けるみたいね」

 カノンは歩きながら周りの風景を説明してくれる。来たことがない町っていうのはなんだかそれだけでわくわくするよね。翔太は左右のコンビニとかバス停にすらウキウキしながら、カノンと並んで歩き続けた。

「ここからは商店街かな?」

 右へ曲がると急に雰囲気が変わってレトロな商店街へと突入した。道路は石畳になっていて、頭の上には三角形の天井。こうやって道にずっと屋根がついてれば雨が降っても濡れないで歩けるのにね。

「ここを抜けると城下町に出られるんだってさ」

 商店街の両側にはずっとおしゃれなお店が並んでいた。美容院とかお土産屋さんとか……服屋さんも何軒かあった。横浜ではスーパーやコンビニ以外のお店を見ることがあまりないから、翔太はどのお店にも興味津々だ。

 しばらく歩くとまたまわりの建物の様子が変わってきた。広い庭の家が増えて、白と紺立派な塀が道路の両脇にそびえ立っている。その塀からたくさんの木が顔をのぞかせていて、緑色の葉っぱがこちらにアピールしていた。

「このあたりがいわゆる城下町らしいわ。確かにサムライとかが住んでそうな立派な家が多いわね」

 カノンは立派な塀を近くに寄って見たりしながらそんなことを言った。翔太もマネをして塀を眺めてみる。……けど「古そうだなぁ」以外に感想が出てこなくてすぐにやめちゃった。まだまだ子どもね!

 翔太が暇そうにフラフラしているから、見かねたカノンがこう提案した。

「この近くに木戸孝允と高杉晋作が生まれた家があるんだって。行ってみよ?」

「きどたかよし……?」

「なに? 分からないの? 教科書にのってるでしょ」

「まだ習ってないよ。……多分」

 翔太はまだ小学三年生。歴史どころかまだ社会を習いはじめたばっかり。木戸孝允も高杉晋作も、信長だって知らない。……いや、信長はさすがに分かるかも? とにかく偉人もあまり知らないんだ。

「高杉晋作はむかし幕府ってのを倒そうとした人。木戸孝允は幕府がなくなったあとに政治をやった人」

「ふーん……?」

「とにかく、今の日本を作った偉い人たちよ」

 カノンの説明が急に大雑把になったけど、翔太にはむしろそのくらいの方が分かりやすかった。

「で、その人たちの家が残ってるんだって」

(昔の偉い人たちかぁ)

 翔太は何となく袴に羽織を着た武士のようなものを思い浮かべた。腰に刀を下げていたりするのかな?

 その人たちの家が残ってると思うと、よく分からない翔太もちょっとだけわくわくしてきた。やっぱり偉い人の家だとでっかい広い家なのかな!?

「ガイドではこっちってなってるんだけど……あ、これかも。中も見られるみたいね」

 木戸孝允の旧家の入り口は車が一台通れるかどうかのとても奥まった路地裏にあった。入り口には「木戸孝允誕生地」と書いてある石碑があって、門の奥には家そのものも見えている。やっぱり翔太の想像通りおっきな家!

「おじゃましまぁす……」

 すごく神聖な雰囲気だから二人ともおそるおそるといった感じで門をくぐる。カノンもちょっとだけ緊張してる……?

 建物は古きよき木造の建物……って感じで、ふすまには時代を感じさせるような絵がほどこされていた。中には萩の町の地図や屏風などが飾ってあって、ちょっとした郷土資料館みたい。

 この古い地図を昔の人が実際に使っていたんだね……!

「それにしてもきれいにされてるわね……同じ木造でもうちの学校とは大違いだわ」

 カノンはそうぼやきがら先へと進んでいく。そうか、トイレの花子さんだから家が小学校なのか……。翔太は木造の小学校を一度も見たことがなかったから、少しカノンの小学校が見てみたいと思った。

 最後の部屋につくと『木戸孝允(桂小五郎)』と書かれた肖像画がかかっていて、その前でカノンが足をとめた。翔太もマネしてその横に並んで立ち止まる。

「これが木戸孝允よ」

「へー……」

「こういう偉い人って、子供時代はどんな子供だったのかしらね」

(そうか、偉い人にも子供だったときがあるんだ)

 偉い人は最初から偉いイメージがあるけど、でも子供のときはやっぱり子供。木戸孝允も昔はバカなイタズラをして怒られていたのかもしれないね。

「さて、こんなもんね。次行きましょ」

 受付のおばさんに会釈して木戸孝允旧家を後にした。萩の城下町の散策続行だ!

 木戸孝允旧家から一本となりの小道を入っていくと、りっぱな門と『高杉晋作誕生地』という石碑があって庭の様子を見ることができた。これまた大きな庭があってまさに偉い人の家って感じ!

「それにしてもすごい家よね~」

 カノンは大きな庭園を眺めながら感嘆のため息をついた。和風な庭園をフリフリの赤いスカートの女の子が覗いてるってなんだかミスマッチだね。それはそれで絵になっているけど。

 高杉晋作の誕生地もあとにして、二人はまだまだ城下町を進んでいく。大通りを越えたあたりで、急に立派な建物の数が増えた。

「すごい! お城っぽくなってきた!」

「ここは北門屋敷っていうみたいね。すごいサムライがたくさん住んでたんでしょうね」

 立派なお屋敷の間を歩いていると、翔太はふとあることに気がついた。

「なんかいいにおいする!」

「いいにおい……みかんかしらね。萩は夏みかんの栽培が盛んらしいわよ。ほら」

 カノンが指さす方を見ると、今歩いている道に沿って立つ立派な塀の上から少し濃い緑色の葉っぱが無数に飛び出しているのが見えた。

「あれがみかんなの?」

「葉っぱの形を見れば分かるでしょ……って言っても都会の子には分からないか」

 カノンは「やれやれ」と大袈裟にジェスチャーすると、突き出している枝の一つに近付いて葉っぱに手を触れた。

「ほら見て。みかんとかオレンジとかかんきつ系の葉っぱはこうやって『いかにも葉っぱ』って形をした大きい葉っぱなの。それに他の木よりも葉っぱの生え方がまばらね。枝のところにはとげがある。一番分かりやすいのは先っぽの枝も葉っぱと同じ緑色ってこと。スカスカで全体的に緑色の木があったらかんきつ系の木よ」

「へー!」

 翔太は思わずカノンの説明に聞き入った。

(いろんな特徴があって見分けられるって、なんだか電車みたいだ!)

 そう思うとより一層木のことを知りたくなった! 知らないことを新しく知るって楽しいよね!

 みかんの香りを楽しみながら武家屋敷を通過すると、道は川にぶつかった。川の向こう側にはお城の石垣みたいなものも見えて、いよいよお城っぽい!

「ここの川ぞいに萩城の入口があるみたいね」

「お城見られるの!?」

 翔太もまだ小学三年生とはいえ、ドラマとかでお城は見たことがある。お殿さまがいるみたいなあのでっかい建物を想像して翔太のわくわくが広がった!

 橋を渡って石垣の迷路みたいになっているところを抜けると、視界がバッと大きく開けた。

「あれが萩城跡よ」

「あれが……お城?」

 そこには肝心のあのでっかいお城はなく、お堀と高く積まれた石垣だけが残されていた。上を見ても横を見てもお城っぽいものはない。

「明治時代に解体されてそのあとは公園になってるんだって」

(なーんだ。期待して損した)

 お堀と石垣はすごいけど、期待していた分がっかりが大きくなっちゃったね。

「そうがっかりしないでよ。せっかく来たんだし見学していきましょ」

 カノンが受付で翔太の分もお金を払ってくれて石垣の内側へと入った。確かに中は爽やかで気持ちのいい公園になっていて、ベンチだとかお茶屋さんだとかが設置されている。近所の人たちの憩いの場みたいになってるのかもね。

「あ、ほらほらここ登れるわよ」

 カノンに呼ばれて行ってみると行ってみると、石垣の一部が段みたいになっていて上に登れるようになっていた。カノンが先に上っていたから、翔太もあとを追って駆け上がる。

「おー、きれーい」

 石垣の上に出ると高いところからお堀と石垣を眺めることができた。ここにいるとお殿さまになったような気持ちになれる……かも?

「ふー! さてと。じゃあどこかでお茶でもして列車に戻ろっか」

 カノンにそう言われて、翔太ははっと思い出した。

(忘れてたけど、僕妖怪列車に乗ってきたんだっけ)

 結局このまま妖怪列車に乗り続けていいのか、まだはっきりと決めることができていなかったんだっけ。観光できたのはとても楽しかったんだけど……。

「うん? どうかした?」

「う、ううん、なんでも」

 カノンは不思議そうな顔をしながらもそれ以上聞いてはこなかった。隠すほどのことでもないけど、カノンに言うのはなんかかっこ悪いかなって、翔太は思っちゃったんだね。


※ ※ ※


「ほらほら、ここでゆずジュース飲めるんだって」

 帰りの道中、たまたま見つけた喫茶店に入って二人分のゆずジュースと抹茶フロートを注文した。カノンいわく「ふるい町並みを見たら抹茶でしょ」らしい。

「そういえばさ、ずっと不思議に思ってたんだけど」

「ん? 何が?」

 カノンは折り畳みの鏡で自分の顔を見ながら聞き返す。

「カノンって妖怪なんだよね?」

「いまさら何言ってんのよ、当たり前でしょ」

「周りの人たちにカノンのこと見えるの?」

 翔太はさっきまでカノンが妖怪だってことをすっかり忘れていたけど、よくよく考えたら妖怪が受付とかでお金のやりとりができるのかな……? 今ここでも店員さんに注文したのはカノンだしね。

「あー。見えるというよりは見せてるというか」

「見せてる?」

「もちろん姿を隠すことはできるわよ。でもたとえば人間をおどかしたいとしてもおどかしたいときに見てもらえなかったら意味がないじゃない?」

「確かに……」

「だからある程度自分で人間にどのくらい見えるかは変えられるのよ。私みたいに見た目が人間に近ければ人間にまぎれて動いてもおかしくないしね」

 人間の翔太からすれば目からウロコ! 見せたいときに見せられなきゃおどかすことも怖がらせることもできないもんね!

「……ってことはその辺にも人間にまじって妖怪がいるかもしれないの?」

「当たり前でしょ」

(当たり前なんだ……)

「人間の世界が成長すれば成長した分だけ、妖怪もそれに合わせた方が楽なのよ。いまどき草履の妖怪なんかはやらないでしょ。……というかそもそも草履を見たことないでしょ」

 翔太が頷くとカノンは「でしょうね」と返す。

「人間の世界から取り残されないためには人間の世界に入るのが一番てっとり早いの。だから見た目の制約がすくない妖怪は人間にまじって暮らしてるわよ」

 翔太にとってはびっくりというか仰天というか……。でもカノンみたいな人間に近い妖怪ばかりならそんなに気にすることもないな、とも思った。

「じゃあ僕も知らないうちに妖怪を見たことがあったのかな……」

「そりゃあそうでしょ」

「えっ?」

 カノンはさも当たり前かのように翔太が妖怪を見たことがあると断言した。もしかして妖怪には透視能力とかもあったりして……?

「だって現に妖怪列車が見えてるんだから。列車に乗ってる他の妖怪のことも見えてるみたいだし」

「それは妖怪列車に乗ってからの話で……それまでは妖怪なんて見たことも聞いたこともないよ!」

「嘘。あるわよ。そうね……例えば後ろから足音が聞こえてるのに振り返っても誰もいなかったこととかない?」

「あるよ。クラブの帰りのとき。もし不審者だったら怖いから家まで走って帰った」

「お風呂で湯船をなめてるヤツにあったことはない?」

「あ、一回だけお風呂場に変な人がいておまわりさん呼んだことはある……」

「ほら、見えてるじゃない。後ろから追いかけてくる見えない妖怪はべとべとさん、お風呂のアカをなめる妖怪はアカナメよ」

「そんな、ただの不審者だと思うけど……」

「妖怪のことを知らなかったから妖怪だと思えなかっただけでしょ。今同じものを見たらきっとすぐに妖怪だと分かるわよ」

 そう言われると翔太にもそう思えてきた。仮に街中で妖怪列車に乗っていた妖怪たちに出会ったとしても、前だったらコスプレか何かだと思ったはず。

「じゃあ僕ってもともと妖怪が見えるってこと!?」

「だからそう言ってるじゃない」

(なんで他の人には見えないのに僕には見えるんだろう……)

 翔太はしばらくうんうんとうなって考えたけど、途中で諦めて目の前のストローを吸った。抹茶のいい香りが鼻に抜ける。

「じゃあさ、今私が答えたから今度私が質問していい?」

「え? うん」

「あんた、今なにか悩んでるでしょ」

 ちょうど店員さんが二人分のゆずジュースを運んできたところで、カノンはまっすぐ翔太の目を見て言った。

「どうして突然、って顔してるわね。ほら、子供って何かなやみごとあったりするとトイレにこもったりするでしょ? だから子供が悩んでるかどうかとかすぐ分かっちゃうのよね、私」

 悩んでいるのは本当だし、翔太は咄嗟に違うとは言えなかった。こうなったらもうわざわざ隠す理由もないよね。

「その……実は僕、まだ妖怪列車に乗り続けるか悩んでて……」

「え、なんで? 横浜に帰るんでしょ?」

 カノンはそう言ってストローでゆずジュースをちゅーと吸った。

「そうなんだけど……でも本当は人間は妖怪列車に乗っちゃいけないんだよ? それに僕も妖怪はやっぱり怖いし……」

 もちろんカノンや鬼丸さんみたいにフレンドリーな妖怪がいるのも昨日と今日で十分分かった。だけどそれでも人間を襲うような妖怪がいるのも本当なんだろうし。

「うーん、そうねぇ……」

 カノンはフロートに浮かぶアイスをぐるぐると回しながら上を向いて考える。

「翔太はさ、今日私と観光して楽しかった?」

「え? う、うん」

 急な質問でしどろもどろになる。

 翔太はお父さんが忙しくてお母さんもいないから、観光っていうのがほとんど初めての経験だった。色んな知らない景色にであえたし、カノンが色んなことを教えてくれた。

 それは……とてもとても楽しかったんだ!

「じゃあ乗っていっていいんじゃない?」

 カノンは話しながらゆずジュースを飲みほしていた。空になったグラスの氷をカランと鳴らしてみせる。

「あの列車に乗れば色んなところをめぐれるし色んなところを観光できる。私もどうせ東京の方に行くまでは乗ってるしね」

 言い方は遠回しだけど、つまり……一緒に色んなところを観光しよう、ってことかな……?

「カノンは僕がいた方が楽しい?」

「ぶっ……! 何よその言いかた! 別に私はあんたがついてくるっていうなら付き合ってあげるっていうだけで……別にそれ以上の意味はないわよ」

 さっきまですごくお姉さんっぽかったのに急にあたふたし始めた。それってやっぱり翔太にいてほしいってことだよね!

 翔太はその様子を見て思わずおなかをおさえて笑った。それはもう思いっきり。

「僕決めた! 妖怪列車にずっと乗ってくよ」

 今度は翔太がカノンの目をまっすぐ見つめて言った。カノンは耳を赤くしながら咳払いをして「そう」とだけ返事をした。

「そ、それじゃ、さっさと妖怪列車に戻るわよ」

「うん!」

 行きも通ってきたお屋敷が立ち並ぶ道。並んで歩く二人は行きの時よりもちょっぴり距離が縮まったかもしれないね……?

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