震動の滝 豊後中村

「あと十分ほどで中村に到着しまぁす! お降りのお客様は荷物を用意してお待ちくださぁい! 中村の発車時刻は二十時ちょうどですぅ!」

 今日も車掌さんの声で起こされる。目をこすりながらカーテンを開けてみると、もう太陽はだいぶ高いところまで上っていた。

「おう、やっと起きたか」

「おはよう鬼丸さん。……うわぁ~!」

 外の明るさに目が慣れてくると、列車はちょうど長い鉄橋を渡り始めた。いつにもまして「がたんごとん」と大きい音を響かせて幅の広い川を渡っていく。

「ここぁ完全に山の中だな。さっきからずっとこの川と一緒に走ってるぜ」

 と言いつつ、朝っぱらから酒をあおる鬼丸さん。朝も飲んで夜も飲んで……妖怪だからって飲みすぎ!

「ほら翔太、ぼけっとしてないでさっさと準備する! なんでこうギリギリまで寝てるかなあ」

 振り返るとすっかり準備を済ませたカノンが廊下で腰に手を当てていた。髪型も赤いスカートもばっちり決まっている。

 それに比べて翔太はまだ寝ぐせボサボサでパジャマのまんま! 自分のベッドのカーテンを閉めて、急いで服を着替え始めた。

 その間にも列車が鉄橋を渡っている音が聞こえてくる。

「本当にこのあたりは綺麗ねー」

 駅に到着するまでの数分間、三人はゆっくり渓谷の眺めを楽しんだ。まもなく列車は市街地へと入ってだんだんとスピードをゆるめていく……。


※ ※ ※


 三回目となる真っ暗なホームに降りたって階段をくだる。案の定振りかえるとくだってきた階段は消えていた。これはやっぱり何度体験しても不思議……!

「なんというか、絵に書いたような田舎町ね」

 タクシーが一台だけ止まっている駅前広場を見てカノンはそんなことを言った。翔太は神奈川や東京の大きい駅しかほとんど見たことがなかったからこういう小さい駅が新鮮に感じるけど、カノンは見慣れちゃってるのかもしれない。

 たしかに駅前は寂しい感じだけど、それでも豊後中村駅の駅舎は立派なものだった。かやぶき屋根になっていて、待合室も木でできている。落ち着くような、ぬくもりがあるような感じがして、翔太はこの駅舎がすごし好きだった。

「とりあえず観光できるところを探しましょ。『歓迎』って書いてあるし」

 カノンの言うとおり駅からまっすぐ伸びている駅前の道のところに「歓迎 九重連山登山口」という看板が出ていたのだけど、翔太はまだ読めないのでカノンが何を見て言ってるのかはよく分からなかった。

 駅前の広場のところには喫茶店風の建物はあるものの、どれもシャッターが閉まってたりカーテンが閉まってたりしてやっている感じがない。駅前から伸びる道をまっすぐ行って大きめの道路と交差したところにちょっとした商店があったので、二人は恐る恐る中に入ってみることにした。

「すみませーん……」

「いらっしゃい……ってあらま! えらしい子やないの〜!」

「え、えらしい?」

 商品棚の整理をしていた店員のおばさんがカノンにそう言って話しかける。知らない言葉に戸惑いつつ、カノンは観光する場所を訊ねた。

「そうねぇ……。近うはないけど山を登っちいったところにある吊り橋は有名ちゃなぁ。なんでも日本一らしいちゃよぉ」

「吊り橋……歩いて行けたりは……」

「ムリムリ。10キロ以上あるし、何よりすごい山道やけんな。タクシーか、本数は少ないけどバスで行くるちゃ」

「バスか……どうもありがとうございました」

 二人でおばさんに頭を下げて商店をあとにする。萩は歩いて観光できたけど、今日はバス移動になりそうだね。

「こういうところってバスも本数少なかったりするのよねぇ……たしか駅前にバス停あったわよね」

 戻ってみると、カノンの言うとおり駅舎の前にバス停の立て看板が二つ並んでいた。片方には「タクシーのりば」と書いてあって、もう一つの方に「コミバス」と書いてあった。

「一日五本……やっぱり少ないけど、一応あと三十分くらいで一本くるわね」

「あと三十分もこないの?」

「馬鹿ね。こういうとこじゃ一時間二時間またされるのは当たり前なのよ。どうせいくつも見て回るところもないんだし、焦る必要もないわ」

 三十分って言ったら翔太の一日のゲームの時間と同じだ。お父さんはいつも「三十分でも長いくらいだ」って言ってたけど、やっぱり短いのかな。……まあ翔太は家に帰らないとゲームもできないんだけどね。

 やることもないから駅舎の中の「かやぶきや」と書かれた待合室でバスをまつ。駅の中は綺麗になっていて、鉄道のポスターや写真、観光案内なんかが貼ってあった。その中におばさんが教えてくれた吊り橋のポスターもあった。

「『天空の散歩道』か……。かまいたちや天狗はこういう景色をいつも見てるんでしょうね」

「いたち?」

「そういう妖怪がいるのよ。人間だって鳥になって空を飛びたいなーとか思うでしょ」

 鳥になって空を……翔太はそんなこと考えもしなかった。ゲームで空を飛んだりできるし、高いところへのあこがれもあまりない。高いところへ上ったとしてもジャングルジムのてっぺんくらいだ。

「まあ百聞は一見にしかずって言うからね。翔太も実際に見てみれば何か感じるかもよ」

(そういうものなのかなあ)

 翔太がムスッと考えこんでいる、まさにその時。ホームの方から列車が到着するときの放送が聞こえてくる。

「なんか来るみたい!」

 翔太はホームが見えるところまで駆け出していって何が来るかとわくわくドキドキ! カノンは仕方なく翔太のところについてきて腕組みをして見守る。

「あ! ゆふいんの森だ!」

 エンジンの音を響かせてやってきたのは光沢感のある緑色のボディ、特急ゆふいんの森! いい陽気なのもあって車内は満員だ!

「ゆふいんの森は観光特急で中の売店でお土産を買えるんだよ! それに一番前は展望車になってて前からの景色を楽しめるんだ!」

「へー……。まあでも見た目はメルヘンチックでかわいいわね」

「でしょ!?」

 ゆふいんの森はしばらく中村駅に停車したのち、またエンジン音を響かせながら走り去っていった。いつか乗ってみたいね!

 ゆふいんの森を見送ったそのすぐあと、駅前広場に車が入ってくる音がした。覗いてみると入ってきたのは一台のマイクロバス。ぐるっと旋回したかと思うと、バックして駅舎の前にぴたりと停めた。

「あ、きたみたいよ」

「えっ、あれが路線バスなの?」

「見れば分かるでしょ。ほら、早く行くよ」

 翔太の住む横浜でバスって言えば大きい箱型のやつしかない。小さいころに通っていた水泳クラブの送迎バスがマイクロバスだったくらい。マイクロバスが路線バスとして走ることに翔太はびっくりしていた。

「よろしくおねがいしまーす」

 カノンがそう言って運転手さんに頭を下げながら乗りこむから、翔太もマネをして軽く頭を下げて乗る。運転手さんのおじさんはそれに「どうぞー」といって応えた。

 カノンが譲ってくれたから翔太は喜んで窓際に座る。外の景色が見たいから、電車に乗るときもできるときは必ず窓際に座るようにしているんだ。

 バスはすぐに扉を閉めて発車する。さっきのお店がある通りを進んで、途中で左に曲がって線路の下をくぐった。道はだんだんと上り坂になってバスのエンジンがぐわんぐわんと音を上げる。

 しばらく走ると右側に大きな山々が見えてきた。手前には段々になっている田んぼもあったりしてとてものどかなところだ。そのあたりからカーブが少し増えてからだが右へ左へと持っていかれた。

 もっと進むと右側にまあまあ大きめの川が見えてきた。橋を渡ると今度はずっと左側に川が見えていた。翔太の住んでいる住宅街にも川はあるけど、それは横も下もコンクリートで作られているから、こういう自然あふれる川って言うのはそれだけでとてもきれいに見えるものなんだ。みんなはそんな川を見たことがあるかな?

 このころになってくると道がだいぶせまくなってきて、他の車とすれ違うときにはそのたびにバスが停まった。確かにこれは横浜に走ってるみたいな大きいバスじゃ狭くてとても通れないね。

 道の幅も狭いけど、同時に両側の山がものすごく近い。川を挟んで両方が崖になっていて、そこへ糸を縫うように道路が走っていた。

「完全に渓谷ね」

「けいこく?」

「山が川に削られてできた地形のことよ。川に削られたせいで細い谷間ができるのよ」

 カノンは右へ左へ揺れながらそんなことを教えてくれる。

(川が山を削るんだ……? 川ってすごいんだなぁ)

 しばらく渓谷の下のほうを走っていたバスだったけど、あるところから急に山登りを始めた。右へ左へ急カーブ! 背もたれに体が押し付けられるくらいの坂だ!

「すごい峠道ね」

 その後も道はうねうねと折れまがり、曲がるたびにバスはぐんぐんと山をのぼった。十回くらい急カーブしたくらいで左側の景色がひらけて、さっき見えていた山々がまた見えるようになった。高いところからだとその迫力が倍増! 高さが違うだけでこんなに見え方が違うんだね!

 そこから鬱蒼とした森を抜けていくとまもなく吊り橋のバス停へ到着! 駅からは大体二十分くらいだったけど、景色に夢中だった翔太には一瞬のように感じた。

「ついたー!」

 カノンはバスを降りて腕を上に伸ばす。翔太はバスに降りた途端にブルブルと肩を震わせた。標高が上がって空気が冷たくなったみたい。

「びっくりした……意外に人いっぱいいるじゃない」

 バス停の前にある駐車場には大きい観光バスが何台も停まっていて、奥にある売店にはたくさんの人がいた。こんなに山の中にある場所な上に路線バスにはほとんど人が乗っていなかったのに……。

「あ、向こうに見えてるのが吊り橋ね」

 売店よりさらに向こうに背の高い柱が二本見えていた。あれが吊り橋の柱ってことだね。

 早速カノンが売店の一角で吊り橋のチケットを買ってきた。「九重"夢"大吊橋」というポップな文字が入ったチケットだ。それを係員の人に見せて、いよいよ吊り橋のもとへ辿り着いた!

「うわー!!」

 ゲートをくぐってすぐのところに展望台があって、吊り橋の全体が見えるようになっていた。翔太が思っていたよりも吊り橋は長くて高い。

(これからあの上を歩くのか……)

 わくわくする一方で足がすくむ心地もした。

「あら? もう怖気づいちゃったの?」

「そ、そんなわけないよ!」

 カノンにからかわれて必死に強がるけど……全然隠せていないね。だって初めての体験なんだもの、怖いのは当たり前。

 でもやってみなければ始まらない! 翔太は意を決して吊り橋を渡り始めた。

 吊り橋を支える柱は近くで見ると想像の何十倍も太く大きくて、そして高かった。翔太は遠足で東京スカイツリーを見に行ったことがあったけど、そのときと同じくらいそのスケールに圧倒された。

 橋に入るまではコンクリートの道だったのに橋の上は金属の板が敷かれているみたいになっていて、しかも通路の真ん中は下が見えてる!! そのど真ん中を歩く勇気はないし柵も柵で透けてて怖いから、翔太は真ん中でも端っこでもない微妙なところを歩いて進んだ。

 吊り橋を進んでいくと、下に見える地面がどんどん足元から離れていく。さっき展望台から見て高いなーと思っていたけど、実際に歩いてみるとそれよりも高く感じる! スカイツリーは室内だから空調もきいてて過ごしやすかったけど、吊り橋は屋外。びゅうびゅうと山の冷たい風が吹きつけてきて、一歩まちがえば飛ばされちゃいそう! 手すりがあるからそんなことはない……よね?

「う、うわぁ! ねぇ、この橋ゆれてない!?」

 翔太は橋の真ん中あたりで気がついた。渡り始めたときは気のせいだと思っていたけど、真ん中に近づいていくにつれて揺れてる感覚が大きくなる!

「当たり前じゃない。吊り橋だもん」

「えっ!!」

 カノンは涼しい顔をしているけど、翔太の頭はパニックだ。

(なんで建物なのにゆれるの!? ゆれたら壊れちゃうんじゃないの!?)

 脳内をいろいろな心配が駆け巡る。そんな翔太を差し置いて、カノンは透明な床に立ったりして吊り橋を楽しんでいた。

「ほら見て、端っこにある柱のてっぺんから反対側の柱のてっぺんまで太いケーブルが伸びてるでしょう?」

 カノンに言われて見上げてみると、確かに柱から柱までゆるくUの形をえがくように太いロープのようなものが垂れ下がっていた。そして、その太いロープから垂直に下りてくる形で何十本もの細いロープが今渡っている橋にくっついていた。

「あの一番太いのがメインケーブル。そしてそのメインケーブルと橋をつないでるたくさんのロープがハンガーロープ。橋にかかってる重さをたくさんのロープでメインケーブルにつなぐことで、重さを分散させているのよ」

「重さをブンサン?」

「ケンカしたときにパーで叩いてもそんなに痛くないけど同じ力でグーで叩くとものすごい痛いでしょ。それは重さが一か所に固まっちゃって一か所だけとても重くなっちゃてるからなの。逆にパーなら重さが色んなところにバラバラになるからあまり痛くない、つまりそれぞれにかかる重さは小さくなるの」

「ふ、ふーん……?」

 分かったような分からないような……? 中学生くらいにならないと理解するのは難しいかもしれないね……!

「だから吊り橋はメインロープをすごい頑丈にしておけば重さがどこか一か所に集中することもないし、上を車が通ったりしても大丈夫なのよ」

「風が吹いても?」

「ちゃんと計算をしてメインロープを張っていれば大丈夫よ。そもそもこの橋だって、ずっと前からあるのに壊れてないから今こうして渡れてるんでしょ」

(言われてみればそうかも……)

 壊れるなら大勢の人が上に乗ったときにすぐ崩れてるはずだもんね。翔太はまだ下を見るのが怖いけど、カノンの説明を聞いて少しはマシになった。

「さ、もう少しで真ん中よ……おぉー! さすが日本一」

 カノンは左側の景色に見とれて立ち止まる。翔太も真似してそっちを向くと……その絶景に思わず怖さも吹き飛んだ!

「きれい……」

 下にある渓谷が右へ左へとジグザグに向こうの方までのびていて、そのさらに向こうには大小さまざまな山々が連なっている。遠くまで折り重なった山々。太陽の当たり方や生えてる木のちがいでそれぞれの山がそれぞれの色の緑を持っていて、それがよく晴れた青い空とよく似合っていた。

「ね? 一度は体験してみるもんでしょ」

「うん……」

 スカイツリーも富士山が見えたり東京の町が一望できたりして楽しかったけど、ここにはそれとはちがう自然の雄大さみたいなものを感じられるね……。それこそ妖怪だとか神様だとかがひょっこり出てきてもおかしくなさそう。やっぱり自然ってすごい!!

 逆に反対側、向かって右側はそり立つように山が橋を取り囲んでいて鬼か何かが出てきそうな雰囲気だ。そしてその一番手前と右奥に二つの滝が流れていた。巨大な山の中を流れる美しい二つの滝はまるで親子みたいに見える。

「北の出口にはあまりお店とかないみたいだからある程度景色を楽しんだら戻りましょ」

 カノンの言う通り、二人は真ん中より少し奥まで行ったところで折り返して最初の広場の方へ戻ってきた。行って戻るまでの間に翔太は普通に金網のど真ん中を歩けるようになっていた。小さいけれど成長だね!

「それからここを下っていくと震動の滝が見れるみたい。ほら、さっき橋から見えたやつ。右側の雄滝おだきが見れる展望所があるんだって」

 看板に従って少しだけ坂を下ると、整備されたアスファルトの階段がある。それを下まで行ったところに小さな祠があった。

「お地蔵さんかな?」

「……」

 急にカノンは黙り込む。

(何かまずいこと言っちゃったかな……?)

 翔太は顔色を窺おうとしたけど、その前にカノンは先へスタスタと行ってしまう。疑問に思いながらも、翔太は黙ってカノンの後をついていった。

 祠から先は急に茂っていて、木の葉っぱをかき分けながら土の階段を下っていく。そこから展望所まではすぐだった。

 展望所からは茂る葉っぱごしに滝を見ることができて橋の上から見るのとはまたちがう風情があった。岩肌がむき出しになっているその真ん中にひとすじゆうゆうと水をたたえている。その水の音と風の迫力と言ったら! 自由帳の表紙の写真になってもおかしくない景色!

 きれいだなー……翔太がそう思ってぼーっと滝を眺めている、その時だった。

『うおぉぉぉぉ……』

 最初は滝の水が落ちる音かな、と思っていたけど、どうやらそれは誰かの声らしかった。

『うおぉぉぉぉぉぉぉ……』

 その声はどんどん大きくなって、その声で地面がゴゴゴッと揺れた。声で地面が揺れる……?

「カノン、なにこれ!?」

「まずいわね……逃げるわよ」

 カノンは少し怖い顔をして逃げるように促す。でも翔太はこの声のことが気になって仕方がなかった。もう一度だけ……そう思って滝の方を見たとき、翔太は驚いて声を上げた。なんとあんなに大きな滝が忽然と姿を消してしまったのだ!! 一滴も残らず!!

「カノン! 滝がなくなった!!」

「分かってる。だからこそ早く逃げなきゃいけないの!」

『うおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ』

 響いてくる声は怒っているように聞こえる。……けど、なんだかそれだけじゃないような気もする……? 誰かを呼んでるような、待ってるような……そんなふうにも聞こえてくる。

(気になる……この声が何なのか……!)

「あっ、翔太!!」

 カノンには申しわけないけど、翔太はこうなると頑固! 柵を乗り越えて木をかき分け、声の聞こえる方……滝壺の方へと近づいていった。

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