イタズラ水妖 エンコ

 妖怪列車に帰るため、二人は松本川の橋のところまで戻ってきた。行きと同じように松本川の大きい橋を渡って東萩駅の方に向かっていた……そのとき!

「チクショーめ!!」

 突然、橋の下の方から男の人の大きな声が聞こえてきた。

「まったくよー!! こりゃあカッパの仕業だなぁ!?」

 橋の下を覗きこむと、そこにはひっくり返った船と川岸からそれを見るおじさんの姿。声の主はこのおじさんだったみたい。

(カッパの仕業……!)

 昨日までの翔太なら「そんなものいるもんか」と思って素通りしていたはず。でも妖怪列車で色んな妖怪を目にしちゃったし、おじさんの言葉にすごく興味が湧いた。

(本当にカッパならまだこの辺りにいるかも……!)

 そう思って川の周りをじっと見渡してみると……。

「カノン、あれ!」

 転覆した船からちょっと向こうの川岸に、人間にしては小さすぎる人影があった。遠すぎて細かい部分は良く見えないけど……。

 と次の瞬間、その人影は川の中に飛びこんだ! そしてスイスイとすごいスピードで泳ぎ回ってる! やっぱりあいつがカッパみたいだ!

「追いかけようよ!」

「えー? カッパなんて珍しくもないし別にいいわよ」

 カノンは面倒くさいとでも言うようにあくびをする。

「でも悪いことは悪いってちゃんと言わないと」

 翔太は一言でも注意しなきゃと思ってるみたい。妖怪相手に随分と強気だ。

「あのねぇ……。妖怪にもそれぞれ仕事があるの。人にイタズラをするとか、川を守るとか、ただ歩き続けるとか。それをどうのこうの言っても無駄よ」

「でも……」

 どうしても追いかけたがる翔太の眼前に、カノンはビシッと人差し指を突き出した。

「いい? 妖怪の中には人を襲うヤツもいるんだから。うかつに首突っ込んじゃダメ! 妖怪列車はあの中での暴力行為が禁止だから別なの」

 カノンは少しだけ強い口調で諭した。これには翔太も勢いを削がれてシュンとする。

 翔太は今日一日カノンと話して「妖怪も意外に人間と変わらないんだなあ」と思い始めたばかりだった。それなのに今度は危ないって言われちゃった。

(やっぱり妖怪は危ないものなのかな……)

「うん、わしもそう思う」

「ほら、こいつもこう言ってるでしょ……ってえ?」

 突然会話に入ってきた謎の声。誰のものかも分からない声に二人して振り返る。

 背後に立っていたのは翔太よりも背の低いけむくじゃらの人(?)。

「い、いつの間にそこにいたのよあんた!」

 それはさっきの小さい人影の主らしかった。全身に生えた茶色い毛といい指先のツメといい、どちらかというと妖怪というより何かの動物みたいだ。

「いつぅゆうと、今さっきじゃのぉ」

「じゃのぉ……じゃなくて!」

 彼は方言で喋るらしくて言葉の端々がなまっている。でも大体何を言っているかくらいは翔太にも理解できた。

「あなたはカッパなんですか?」

「カッパ? んー、そうと言やぁそうだし、違うと言やぁ違う。わしゃエンコじゃ。エンコの之太郎ゆうけぇ」

 そう言って彼……之太郎は胸を張ってにんまりと笑って言った。

「エンコ……?」

「この辺にいる川の妖怪の名前よ。カッパの仲間だけど毛むくじゃらだし頭のお皿はないし、ついでにきゅうりも食べない」

 そういえば……カッパっていうとみどり色で頭にお皿が乗っててきゅうりが好きなイメージがあるよね。……ってことはカッパの親戚ってところかな?

(カッパにも種類とかあるんだ!!)

 翔太はより一層興味が湧いていろいろ質問しようとしたのだけど……。その前に翔太と之太郎の間にカノンが分け入った。

「……あんた、急に話しかけてきて何の用よ」

 カノンは若干声を低くして之太郎を睨みつける。きっと悪い妖怪だったときのために翔太を守ってくれているんだね……!

「そりゃ姉ちゃん、こん子がわしのことを指でさしてきたけぇ。妖怪のことが見える人間なんて珍しかったけぇな」

 さっき翔太が指さしたのを見られていたらしい。確かに妖怪のことを指さす人間がいたらかなり珍しいだろうね。翔太自身も自分以外にそんな人がいたらびっくりする。

(あ、そうだ! さっきの船のこと注意しないと!)

 相手から近くに来てくれたものだから翔太は少しテンションが上がっちゃったみたい。さっきカノンに言われたことなんて頭からすっ飛んで、カノンの横から顔を覗かせて之太郎に話しかけた。

「ねえ、船をひっくり返しちゃダメだよ! おじさん困ってるよ!」

「あ、こらっ……」

 カノンにキッと睨みつけられて翔太は「あっ」と引っ込んだ。

「それにゃあぶちぶち深い理由があってな……話せば長ぅなるが……」

「長いならいいわ。私たち急いでるから」

 あくまでカノンは他の妖怪と話をしたくないみたいだ。翔太に「早く行きなさい」と目で訴えかけてくる。

「ま、待ってくれ!」

 二人が背を向けた瞬間、之太郎が急に大きな声を出した。さっきまでへらへらしていたからその変わりように翔太は思わず振りむく。

「ちょっと翔太……」

「ちぃとだけ、ちぃとだけでいいけ……わしん話聞きなさんせぇ……」

 之太郎はそう言ってけむくじゃらな頭を下げる。どうやらすごく困っていることがあるみたい。翔太はそれを見てすごくかわいそうに感じた。

「カノン、話を聞くだけ聞いてあげようよ。之太郎も悪い妖怪じゃないみたいだし」

 翔太が言うとカノンは腕を組んで「はあ」とため息をつく。

「本当に話を聞くだけよ。聞いたらすぐ行くからね」

「は……! ありがとうござんすぅ!」

 カノンは顔だけ明後日の方向を向いて不服そうだけど、翔太を無理やり連れて行くことはしなかった。カノンもカノンでちょっと気になっているのかも……?

「それで? どんな『深い理由』なの?」

「それがじゃのぉ、そもそもはちょいと人探しをしちょりまして……小五郎ゆう生意気な男なんじゃけどもね。あんたがたぁ、このへんで見かけんじゃったか?」

「それって人間?」

「当たり前よ。だから人間に聞いとるんじゃ」

 之太郎は翔太を指さしてそう言った。

「僕以外にも妖怪が見える人間がいるの?」

「そりゃあいるわよ。見えたところで何の得にもならないし、誰にも信じてもらえないからみんな黙ってるだけよ」

 言われてみればそうか。ほとんどの人が見えてないんだからその人たちに「妖怪が見えます」って言っても変な人って言われるだけだろうねぇ……。

「……そもそも私たち観光客だからこの辺りのことなんか知らないんだけど。人探しなら他あたってくれない?」

 カノンの言う通り、翔太たちは萩に今日きたばかりだしそこにいる人を知っているはずがない。それでも、之太郎はなお食い下がった。

「いやいや、あいつはもう萩にゃあおらんのじゃ。『日本を変える』やらなんとかゆうて江戸に出て行ったきりじゃ。剣技を得意にしちょったけぇ、どこかで有名な武士になっとるかもしれん。そげな男のことを聞いたこたぁないか」

 之太郎の言葉に翔太とカノンは思わず顔を見合わせた。

 江戸……武士……って、時代劇?

「……あんた、いったいいつの話をしているのよ」

「いつ? いつゆうても少しばかり前としかなぁ……」

 そう言って頭をかく之太郎にカノンはまた大きくため息をついた。

「あのねえ、江戸時代が終わってからもう150年近くたってるわよ。武士なんてとっくの昔にいないし、江戸も東京っていう別の名前に変わってるわ。仮にその人を探すにしても百年近く前に死んでるわよ」

「ひゃっ、150年!?」

 カノンの淡々とした言い方に、之太郎は腰を抜かしてしりもちをついた。どうやら之太郎は時代が移り変わったことに気付いてなかったらしい。

「そ、そねーなこたぁあるわけねぇ!!」

 之太郎は頭を横に振りながら一言だけ大きな声で叫んだ。……けど、翔太やカレンの格好やすぐ横を通過していく車を見て、すぐに肩を落としてしくしくと泣きはじめた。

「……うすうす感じてはいたんじゃ。川が一枚の大きな岩で覆われて、誰も袴をはかんようなって、何も喋らん大きな塊が道を行き交うようなった。そうか……もうそねぇに長い時間がたっちょったのか……」

 之太郎は涙と鼻水を垂らしながら、松本川の両脇の町をじーっと眺めた。もう江戸時代の頃から変わっていないのは、この松本川のみなもだけかもしれないね。

「……で、人を探しているのは分かったわよ。でもそれが船を沈めるのとなんの関係があるっていうの?」

 しんみりした空気も気にせずにカノンはズバッと聞いた。

 確かにもともとは船をひっくり返してた理由を聞いてたんだっけ。之太郎はそれに対して消えそうな声で、何かを思い出すように説明し始めた。

「……わしと小五郎は友達じゃった。あいつがガキの頃、色んなイタズラをして回った。人んちの夏みかんをかっぱらったり、ガキ大将の家に牛のうんこを投げたり。……そんときにああやって漁船をひっくりかやす遊びをしちょったんじゃ。怒られて殴られても凝りもせずにイタズラしてなぁ……あの頃は楽しかった。じゃけぇな、もしあいつがひょっこり帰ってきたときに船をひっくりかやしちょったらわしに気付いてくれるかなと……そう思うちょったんじゃ」

 イタズラな子供とイタズラな妖怪……迷惑な二人だけど仲良しだったんだね。之太郎は昔からの友達に会いたかっただけだったんだ。

「じゃあもう船をひっくり返す必要もないわね」

「そう冷てぇこと言ってくださんな。わしだって一丁前に悲しむけぇ……」

「そうだよ、少しは優しくしてあげようよ」

 翔太が之太郎の味方に回ると、カノンは急に不機嫌そうな顔になった。……けど、それ以上言いかえしてはこない。勝手にしろってことかな?

「……それにしても、『日本を変える』ってすごいよね。僕なんかそんなこと考えたこともないや」

「最初は冗談か何かじゃと思うちょったんだけどのぉ。あいつの目は本気じゃった。『日本はこのままじゃいけん、日本の未来は開けんのじゃ』との」

 之太郎はやっと泣きやみ、ぼーっと橋の下の松本川を覗き込みながら話を続ける。

「あいつが18だか19だかになった年、河川敷に呼び出されての……。『わしゃこれから江戸に行って日本を変えてくる。必ず戻ってくるけぇそれまでここで待っちょってくれ』と、そう言うたんじゃ。じゃからわしゃずーーーっとこの川で待っちょった。くる日もくる日もずっと。待てと言うから待っちょったのに……それを勝手に死にやがって……。小五郎のバカメ……!」

 言葉はちょっと強いけど、声はか細い。悲しみに負けないように虚勢を張っているのかな。

「結局日本を変えられたのかしらね。その小五郎って人は」

「さあな……何せわしゃ百年たったことにも気付かない世間知らずじゃけぇ、萩の外のこたぁ分からねぇな……」

「でもさ、ここって偉い人とかが生まれたところなんでしょ? もしかしたらその偉い人たちのうちの一人かもしれないよ」

 翔太はさっきカノンと城下町を観光したことを思い出しながら言った。すごく有名な人じゃなくても、その有名な人を手伝ったりしてるかもしれないもんね!

「その小五郎って人の名字はなんていうの?」

「名字……小五郎は何度も名前が変わってたから『紛らわしいから下の名前で呼んでくれ』って言われちょったなぁ。最初に会ったときの名前はたしか……桂だったか」

「桂さんね。桂……小五郎……あれ?」

「どうかしたの? カノン」

 之太郎が小五郎の名字を口にしてからカノンの様子がおかしい。なんだか「とんでもないことに気付いちゃった!」みたいな顔。

「ちょっと、それ本当に!? 本当に桂小五郎なわけ!?」

「え? あ、ああ、そうじゃったと思うけんども……」

「あんた……とんでもない人と友達だったのね!?」

 カノンはそう言って小さいカバンから慌ててガイドブックを取り出す。急にどうしちゃったんだろう?

「すごい人なの? その人」

「すごいも何も……翔太は一緒に見たでしょう!? 木戸孝允! 桂小五郎っていうのは木戸孝允の若い頃の名前よ! ほら!」

 そう言って木戸孝允の写真がのったページを之太郎に見せる。之太郎は食いいるようにその写真を見つめた。

「ああ……ああ……! 老けちゃいるがこりゃまさしく小五郎じゃ……! 本当に偉くなったのか?」

「ものすごく偉い人よ! 明治政府を支えた政治家なんだから! ……あー、あんたに分かりやすく言うなら日本の中心でをした人。彼らがいたから日本は近代化、つまり日本全体が新しくなったんだから。あの人たちがいなければきっと今みたいに車や列車は走ってないし、人間の暮らしはもっと貧しかったでしょうね」

(へー、木戸孝允ってそういう人だったんだ……)

 カノンの説明を聞きながら翔太はさっきのカノンの反応に納得した。彼がいなければ翔太の好きな電車もないんだから、感謝してもしきれないね!

「そうか……立派な人間になったのか、あいつは……そうか……」

 之太郎はさっき泣きやんだばかりなのにまたけむくじゃらの顔を涙で濡らした。今度は悲しいっていうよりは嬉し涙みたい。表情は何かつきものがとれたような、そんな感じだった。

 おいおいと声を上げて泣いた後、ごしごしと腕で涙を拭いて二人の方へ振り返った。

「もう小五郎に会えんのは寂しいけど、あいつのその後が知れて良かった。お二人さん、ありがとぅな」

「……で、あんたはこれからどうするの?」

「どねもこねも静かにここに住み続けるしかないじゃろ」

 もうイタズラもしねぇ……と之太郎。

 それに対してカノンの口から出たのは意外な言葉だった。

「そんなこともないわよ」

 翔太も之太郎もきょとんとする。

「そりゃぁ……どねぇなことで?」

「小五郎に会いたいんなら会いに行けばいいじゃないの」

「は……ははっ、冗談言うたらいけんよ。小五郎はもう死んじょるんじゃけぇ。そりゃお姉ちゃんも分かっちょるじゃろ」

 之太郎は自嘲気味に笑う。そう、桂小五郎は既に死んじゃっているんだから。会いたくても会えないはずだよね。

 だけどカノンは真面目な顔で話を続けた。

「会えるわよ。妖怪列車なら」

「妖怪……レッシャ?」

 之太郎は今一つぴんときていないようだ。そもそも列車とは何かを知らないのかもしれない。

 翔太は翔太で妖怪列車のことは当然知っているけど、カノンが何を言いたいのかは分からなかった。

「私たちは妖怪列車に乗ってこの萩にきたの。妖怪列車に乗れば行こうと思えばどこへでも行けるし、時間も超えることができる」

「時間を超える? そんなことできるの!?」

「あ、翔太はまだ知らなかったのね。じゃあついでに説明してあげるわ」

 そりゃあ誰からも何も聞かされていないんだから翔太が知るはずもない。今のところ知っているのは妖怪を日本全国に運ぶ列車だってことだけだ。

「妖怪列車は半分この世を走っているし、半分別の世界を走ってる。駅に着いた時にはいつも別の世界でしょ?」

 カノンの言う通り、妖怪列車は何も見えない「444番線」に停まる。さっきなんか階段を降りたらそのホームが消えちゃったし! あのホームが現実とは違う別の世界にあるってことは、小学生の翔太でもなんとなく分かる。

「別の世界を通ってるからこの世の時間の流れに縛られないで走ることもできるの。基本的には乗ってる妖怪の用事もあるし普通に現代を走るけど、首無し汽車の気まぐれで未来や過去に飛ぶこともあるわ」

「う、うん……?」

 過去とか未来とか、正直ピンと来ないよね。

「つまり簡単に言っちゃえばあの列車に乗るとたまーに昔とかに行くこともあるってことよ」

 カノンが説明を大雑把にしてくれて、なんとなくだけど分かったような気がする。

「するってぇーと……そのレシヤ? ってやつに乗りゃ生きてる小五郎に会えるんだな!?」

「妖怪列車ね。……もちろん『たまに』だから都合よく東京、江戸に着くときに過去に飛んだりはしないわ。過去に飛んだタイミングで日本のどこであろうと降りて、そっからは自力で江戸を目指すしかないわね。鹿児島とか北海道とかになったら大変よ」

「おうよ! そねなこと、小五郎に会えるかもしれんならなんぼでもやっちゃる!」

 之太郎はもう行く気まんまんで鼻息を荒くしている。

 ここまでやる気にさせておいて、カノンはなぜか手のひらを突き出して「待った」のポーズをとった。

「でももう一つ、とても大きい問題があって」

 カノンはガイドを見て少しだけ眉を真ん中に寄せた。翔太と之太郎もマネをしてガイドを覗き込む。

「桂小五郎、つまり木戸孝允って明治のはじめの方に死んでるのよね。でも鉄道が日本で普及し始めたのがその頃だから……。妖怪列車は線路の上しか走れない。だから『線路ができる前の時代』は走れないの」

「センロだのテツドーだのなんだか分からんのぅ……結局どねなことじゃ」

「つまり、仮に過去に飛べたとしてもすでに桂小五郎は死んでる可能性が高いってこと」

 さっきまで嬉しさのあまり踊り出しそうだった之太郎はその瞬間ぴたりと静止した。

「それじゃ意味ねぇじゃねぇか!」

「でも可能性はゼロじゃないわ」

 カノンの相変わらず淡々としたもの言いに之太郎は言葉をなくす。

 妖怪列車に乗らなければ絶対に小五郎に会えない。でも乗ったとしても会えない可能性の方が高い……。

 ほとんど無理だと分かっててやるか、いっそのこと諦めるか。之太郎にとってはとてもつらくて難しい選択かもしれないね……。

 之太郎はその場であぐらをかいてだんだん日も落ちてきた松本川をじーっと見つめて考えた。考えて考えて考えた。カノンもさすがにここで之太郎を急かすようなことは言わず、黙ってその様子を見守っていた。

 そしてついに之太郎がひざを打ち、ズバッと勢いよく立ち上がった!

「決めた!! わしゃ小五郎に会いに行く! 会えんかったらそん時はそん時じゃ」

 そう断言する之太郎の顔はさっきよりもりりしくなっている気がする。しっかり腹を決めたみたい。

「そんで、そのなんとかっていうのにのるにはどうするんじゃ?」

「まずはきっぷを受け取らないとね。手を握って前に出して、行きたい場所を念じて」

「手を前に……こ、こうか?」

 グーにした手を突き出してむんむんむーん! と之太郎がふんばる様子はちょっと滑稽で面白い。何秒もしないうちに之太郎が何かに気付いたように手を広げた。

「なんだか紙切れが入っちょるぞ!」

「それがきっぷね。なくさないで」

 翔太も覗き込むと、たしかに之太郎の手には昔使われていたみたいな厚く硬い紙のきっぷが収まっていた。きっぷには「萩→東京」と書いてある。

(妖怪列車のきっぷはこういう風に貰うんだ……)

 翔太は古そうなきっぷを見ながらそんなことを考えていた。鬼丸さんが「人間にはきっぷは買えない」って言ってたけど、確かに人間には無理そう。

「あとはこれを持ってホームに行くだけ。簡単でしょ」

「そうけぇ、これであいつのところまで行けるんじゃな……」

 まだ列車がどんなものかすら分かっていない之太郎。実際に乗ったらどれだけ驚くのか楽しみだね。

 きっぷも手に入ったことだし早く駅に向かおう! と歩き出したものの、ここにきて之太郎が急に浮かばない顔をした。

「あとはあれさえあれば完璧じゃったんに……」

「あれ?」

「夏みかんじゃ」

 之太郎は萩の城下町の方を向いてきょろきょろと目と首を動かす。もしかして夏みかんを探しているのかな?

「夏みかんのシーズンは終わってるわよ。なってるわけないじゃない」

「やっぱりそうじゃなぁ。夏みかんもあいつとの思い出じゃけぇ、土産にでもと思うたんじゃけど……まあ仕方ないじゃろ」

 之太郎はちょっと物足りなそうだけどそれが絶対になきゃいけないって感じでもなく、そのまま歩いていこうとする。それを呼び止めたのはカノンだった。

「まあ、あるにはあるわよ」

「えっ、本当け!?」

「今の時代、便利だからね」

 そう言ってカノンはスタスタと歩きだした。二人が黙ってついていくと、カレンはとある施設にそのまま入っていく。翔太はカレンが何をしようとしているかに気付いたから、之太郎と一緒に外で待っていることにした。

 カノンは五分も経たずにビニール袋を提げて帰ってきた。

「はい、これでいいんでしょ」

「おお~! これは紛れもなく夏みかんじゃ! これは一体どねなことしたんじゃ!?」

「どうもこうも、スーパーで買ってきただけよ」

 そう、カノンが早歩きでやってきたのはスーパー。当然スーパーなら一年中メジャーな果物が揃ってる。これでお土産もバッチリ!

「じゃあもう列車に戻るわよ」

「よし、出立じゃ!」

 之太郎は翔太たちと一緒に意気揚々と東萩駅へ向かうのだった。


※ ※ ※


「はぁ〜! でっかい箱じゃあ!」

「箱じゃなくて列車だよ」

 之太郎はホームに停まった妖怪列車を不思議そうに眺めて感嘆のため息をついた。

 今朝カノンが言ってた通り東萩駅に着いたらすでに妖怪列車ホームへの階段が姿を現していて、難なくホームへ上がることができた。相変わらず真っ暗な444番ホーム。

「さっさと乗って発車時間までくつろいでましょ」

 カノンがそう言って早々と乗り込むから、翔太と之太郎もそれに続く。

「中はりっぱな豪邸じゃあ……!」

 翔太から見ると車内はかなり古めかしい印象なんだけど、之太郎にとっては豪華に見えるらしい。蛍光灯とかをまじまじと見ては「おー」とか「あー」とか声を上げていた。

「鬼丸さんただいま!」

「おう、帰ったか」

 カノンはとっくに上段のベッドに上がっていたから、翔太は之太郎を自分の席のところに案内した。鬼丸さんは之太郎をちらっと見る。

「お、新しい客か」

「之太郎っちゅうもんじゃ。よろしゅうな」

「にぎやかになるのはいいこった。酒でもどうだ? 飲めるなら」

「あぁこりゃどうも。そんじゃお言葉に甘えて……」

 之太郎は鬼丸さんからおちょこを受けとり、お酌してもらったものをぐっと飲み干した。

「んで、あんたはどこへ行くんだって?」

「ちょいと人探しに江戸へ」

「江戸……江戸かぁ、そりゃあ遠いやな」

 東京ではなく江戸、というところに鬼丸さんも引っかかったみたいだけど、特に深掘りはしなかった。何かを察して気を遣ったのかもしれない。

「それじゃあこの萩の町ともお別れってわけだ」

「そう……なりまさぁね……」

 鬼丸さんの言葉に之太郎は寂しそうに何も見えない窓を見る。何百年間もずっとこの町にいたんだものね、離れるのが寂しくないわけがないよ。

「わしゃ萩に生まれて萩であいつに会って、萩であいつと別れた。こん萩でわしゃ生きてきたんじゃ……今までずっとなぁ」

 気付くと夏みかんの入った袋を持つ手が震えていた。みるみるうちに之太郎の目には涙が浮かんでくる。

「こん萩に、小五郎との思い出がよぅけあるけぇ……小五郎の足跡がこん、こん萩に……」

 そしてとうとう翔太の隣ですすり泣きはじめた。どうすればいいか分からなくておろおろする翔太。助けを求めるように鬼丸さんを見るけど、鬼丸さんは肩をすくめるだけ。

 とりあえず何か声を掛けなきゃ……と考えている最中に、之太郎は急にその場で立ち上がった。そして一目散にどこかへ向かって走り出した!

「ちょ……之太郎!?」

 翔太が慌ててそのあとを追いかけていく。之太郎はそのまま全速力で駅のホームに降り立って、くるりと妖怪列車の方を向きなおった。翔太もドアのところまで走っては来たものの、之太郎の顔を見て立ち止まった。

「お、お客さぁん!? もう出発しちゃいますよ!」

「わしゃ萩に残ることにしたけ。世話になったんにすまんな」

 之太郎の顔は穏やかだった。

「そ、そんなこと別にいいよ」

「わしゃ気付いたんじゃ。あいつは萩におるっちゅうことにな。こん萩がわしの居場所であって、小五郎の居場所なんじゃ」

 小五郎の居場所。之太郎のその言葉には強い熱がこもっているように感じた。

(之太郎は自分で決断したんだね……!)

 翔太は妖怪列車に乗り続けることを選んだ。之太郎は萩に残ることを選んだ。選ぶ道は人それぞれだ。

「まもなく発車しまぁす! お乗りおくれないように!!」

「そいじゃ、達者でな」

 ガラガラと音を立てて閉まるドアの向こうで之太郎は小さく手を振っていた。

 横に流れて小さくなっていく之太郎のことを、翔太はいつまでも見つめていた。

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