僕達がまだホンモノを味わえるうちに。

 寿司は魚を食べているのではなく、醤油を食べているのだと誰かが言った。
 焼き肉は肉ではなくタレを食べているのだと言ったら暴論だろうか。暴論かもしれない。忘れてくれ。

 どうやら味覚というものは僕達が考えているよりもずっと曖昧で適当なものらしい。10000個あるという味蕾は甘味、辛味、塩味、苦味、うま味を感知する程度で、出汁の風味や肉の美味しさを味わっているのは、口内の触覚や口と繋がる嗅覚、視覚というものに依存している。僕達の脳は食事ひとつに複数の知覚を動員している。そういう意味では、僕達の食事は最初から合成食品なのだ。
 複数の知覚に支えられているということは、それだけ脳を騙しやすいということだ。合成調味料は言うに及ばず、僕達は偽物の香り、偽物の食感、偽物の映像に容易く騙される。メロンに醤油をかけて食べたらウニになる、というあれよりはもう少しソフトで、だけどどう考えても天然ではありえないような合成の数々が行われている。魂潜門を設けるまでもなく、僕達の食はとうの昔にハックされている。
 今、世界では伝染病が席巻している。人間だけでなく家畜達の間でも。豚コレラや新型鳥インフルエンザは今のところ人には伝染しないが、やがては人類から天然の肉を食べる文化を奪い去るかもしれない。あるいは人口増加に歯止めがかからず、あらゆる人間が合成食品しか食べられない日が来るかもしれない。そうなったとき、真っ白いキャンバスのような培養肉ではなく、ホンモノの肉を食べたいと願う日も来るだろう。
 そうした未来の断片が描かれたディストピア飯作品を、どうか一度味わってみてほしい。

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