ホンモノの味

犬井作

 

 マスクごしにも、ゴミ山のひどい臭いがしていた。

 目の前にあるジャンクの堆積物は、雲ひとつない青空にすこしでも近づこうと、銀、白、灰色のモザイクが背伸びしている。

 じっと目を凝らしていると、動く白い点が見えた。同業者たちだ。エクソアームの太い腕で、圧縮パックされたゴミの塊を持ったまま、頂上近くまでのぼって、適当な場所に置いていた。

 前世紀から積み上げられた不都合な邪魔もの。大雨のたびにゴミ山は崩れて掃除屋を殺す。けれど、都市に住む連中はこういう場所を必要としている。

 それを批判するつもりはない。けど、今日は無性に腹がたった。金がないせいだった。


 おれみたいな掃除屋はみんなゴミ山の麓に建てられたマンションに住んでいる。ブロックづくりの墓石みたいな見た目で、遠目にはゴミ山の一部に見える。政府が管理している施設だから、インフラがあり、家賃もかからない。それだけで田舎よりマシなんだが、田舎よりひどいのは、仕事をしないと追い出されるところだ。

 めあての擬味食ギミックを見つけるためにほうぼう尋ね回ったせいで、そろそろ大家に目をつけられるころだ。キャンバス肉はたっぷり用意しているし、入手した擬味食ギミックもエラーを吐くまで再利用できる。食事に困ることはない。


 が、飲水代をケチったせいで感染症で死にかけるのはごめんだった。そろそろ働かなくてはいけない。だが、まずはリンダをなんとかしなくちゃいけなかった。


 目的の階で廊下に入り、自室へもどると、リンダがソファでいびきをかいていた。

 商売から帰ってすぐ寝たらしく、ギラギラした色のワンピースのままだ。

 寝返りを打った拍子に、よく日焼けした脚がおれのほうを向く。


「リンダ」


 声をかけると、寝ぼけた声で返事をしながら、のっそりとリンダが身体を起こした。

 クラブ・ハイ・ライズでも一番の美女はすっぴんでもうつくしかった。おれはリンダにちかよって、手の甲にキスしようとした。だが、リンダはおれの頬を張った。


「ホンモノの味を持ってくるまでは触らせない。言ったでしょう」


 不機嫌そうなリンダに、おれはつとめて笑顔を見せた。


「持ってきたぞ、ホンモノを」


 おれはコートのふところに手を突っこんで、円筒状のメモリーを取りだした。リンダはまじまじとメモリーを見つめた。スケルトンで内部基盤が丸見えになったメモリーには、尖貨チェンフオと書かれていた。

 リンダは嬉しそうな声を上げて、ソファの上をジャンプした。歓声をあげて、おれにキスをした。おれはメモリーを一本渡し、もう一本を取りだして、自分のうなじにあてがった。蓋を開けてすぐ挿入する――カチリ、と音が鳴る。コンタクトスクリーンがログを表示する――「擬味食ギミックを検出しました:特上品」。


「ごちそうよ!」


 リンダはスキップしながら食卓へむかった。おれはコートを脱いで、ハンガーにかけた。ダイニングへ向かうころには、テーブルにはキャンバス肉が何皿も並んでいた。貯蓄を勝手に使われたことを、今日は怒らなかった。なにせこれから、ホンモノの味を食べることができるのだから。



 

 おそるおそる肉を口に運ぶと、視界がパチパチとスパークした。閃光がまたたいたとしか言いようがなかった。口の中から、身体のぜんぶに向けて、味が暴れまわった。

 肉が含むたっぷりの汁気が濃厚だった。噛むたびに花火みたいに弾けた。

 生まれてはじめてなのだから、ホンモノかニセモノか区別つくはずがない。食べる前はおれもそう思っていた。現実と等価だとしても、擬似体験だから、さして気持ちよくないだろうとも。

 だが、なにもかもが違った。いままで使っていた廉価版とは、まるで違った。香りも、なにもかも。寝破魔ねはんのような陶酔用プログラムよりもはるかに効いた。幸福だった。これはステーキじゃなかった。本能が、生まれて初めて食べる、ホンモノの肉で、料理だった。

 頭ではわかっていた。すべて正常に作動する擬味食ギミックがもたらした白昼夢だと。コンタクトスクリーンを外したり、プログラムを停止させたりするだけで、ステーキは無味乾燥なキャンバス肉に逆戻りする。

 だが知識は経験の前に屈服した。これは埋脳微片マイクロチップの作用だ。だが、美味かった。美味いなら、どうだってよかった。食べる手は止まらなかった。おれはあっというまに一皿目を食べ終えた。


「筆舌に尽くしがたいってのは、このことだな」


 リンダはしかし、まるでガムでも噛んでいるような、つまらない顔をしていた。

 二皿目に手を伸ばしながら、爪先でリンダのひざを軽くつつくと、いきなりすねを蹴られた。

 飛び上がった拍子にひざが机の裏にあたって、ガシャンと食器が音を立てた。


「つまらない味よ、こんなの」

「よく噛めばうまいさ」


 おれはなんども咀嚼してみせた。そうすると味はいっそう濃ゆくなるのだ。たっぷりのソースや、調味料、たぶんそういうものも効いてたけれど、なにより肉がうまかった。贅沢が脳にすばらしく滲みた。なのにリンダは、そんな俺を見て、あてつけみたいにフォークを噛んだ。


「それよりも、こっちのほうが、よほどマシよ」

「そんな言い方ないだろう」


 もとはと言えばリンダが言い出したことだった。一度でいいから、コロンボ住まいの上級市民の飯を食べたい、さもなければ出てってやる。そう言われたから、必死にあちこち走り回ったのだ。


「アイザック。あたし、ホンモノの味がほしいのよ」

「ホンモノじゃないか。廉価品の、コロッケとか安ステーキの味なんかじゃない」

「じゃあ、あんたはキスしてって言ったら、キスの擬味食ギミックをくれるってわけ」


 席を離れ、リンダはおれの皿を手で押しやると、目のまえに腰かけた。ふとももがおれの目のまえにあった。リンダはおれをじっと見下ろしていた。左手を乗せようとすると、はたき落とされた。


「ニセモノの味しかよこせないなら、触らせない。出ていってやる」

「本気なのか」

「あたしにそんなことをさせないで」


 リンダは悲しそうに鼻をすすった。

 慰めの言葉よりはやく、泣き言がはじまった。


「でもしょうがないじゃない。あたしどうしてもそうしたいのよ。そうじゃないと、ダメになるのよ。あんただって、わかるでしょ。どうしても、なにか止められないものがあって、それをなんとかして満たさないかぎり生きていけなくなる、そういうものがあるでしょう」

「ああ」


 うんざりしていたが、納得もしていた。それがおれにとってのリンダだった。そうでなかったら、とっくにおれが出ていっていただろう。だが、それはできなかった。焼けるような酒の味と、リンダの唇を知ってから、おれたちはいっしょに暮らしていて、おれはリンだから離れられないのだった。そういうものだと、おれが誰よりよく知っていた。


「アイザック、あたしあなたが好きよ。でもホンモノの味を出されたら、それにきっと夢中になるわ。あたし、わかってんのよ。我慢できたら、こんな生活、してないわ。だから……」


 おれはリンダの手を取って頬によせた。細長い指がおれの顎を撫でた。おれがうなずくと、リンダは満足げにうなずいた。




 プログラムを売ってくれたタナカは製造市ファクト・シティに住んでいた。スリーウィーラーを電話で呼び出して、一人回してもらった。四十年もののホンダ・四気筒エンジンに運んでもらえば、十分もしないうちに、大きくそびえる工場の前に立っていた。おれは敷地の中央にそびえる大きな煙突が、煤煙で空を汚すさまを見上げて、額の汗をぬぐった。今日は暑かった。

 守衛は前回と違って東アジア系の男だった。近づくと、つたないタミル語で男は言った。


島猿ランキー、出ていけ。来るところ違う」


 おれはシンハリだが、やつらには見分けがつかないのだ。一緒にされていらだったが、面倒はごめんだったので、賄賂のプリペイドカードを渡した。額面を見て男は鼻で笑った。


「タナカに会いに行く。通してくれ」


 英語で伝えると、男は手を振って、さっさと行けと示した。賄賂を引き出しにしまうとき、同じようなカードがぎっしり詰まっているのが見えた。意図して英語を使わないことがやつら流の侮蔑だった。


 生まれたときには、東アジアの連中がこの国に進出してきていた。ポルトガル、大英帝国、それからチャイナ。歴史の教科書は三国のマスターの名前を記していて、チャイナが今のマスターだと教育する。スレイヴに生まれたおれは、それを経験してすらいる。

 おれは三歳になっても里親がつかなかった孤児だった。だから五歳で、魂潜門コンセントをうなじに開けられて、学習用プログラムによる促成栽培を行われた。プログラムは経験を植えつける。教育というより洗脳に近い。おれは、階級を経験している。逆らう気なんて起きなかった。


 そういえば、まだ取り外していなかったな。思い出して、魂潜門からメモリーを取りだす。コートの内ポケットにしまうと、鋭敏になっていた味覚と嗅覚が鎮静して、マスクの中の息のにおいが埋没する。

 どうやら、プログラムの過剰作動のせいで、逆にそれ以外が鈍っていたらしい。おれは汗と喉の渇きをおぼえて、サングラスが落ちそうになっていて、鼻頭で止まっていることにも気づいた。目元が痛んだ。

 指で押して、位置を整える。感覚がなじむまで日陰で待ってから、おれはリンダのことと、ホンモノの味のことを考えた。


 さいわいにして、ガイノイド用に書かれた調理プログラムを、おれは実装していた。以前けんかをして留置場に放りこまれたとき、隣の部屋だったサイバー犯罪者に違法なコンバータを実装してもらったのだった。死刑になるくらいなら使ってやるということだったが、おかげさまで、素材さえ手に入れば再現は不可能ではなかった。

 素材さえ手に入れば。




 建物にはいってすぐ、目当ての柱に顔を寄せる。見取り図にないボイラー室の裏側がタナカの住まいだった。ひとけのない道を選んで歩くと、廊下の手すりから、同時進行するいくつかの生産ラインを見下ろせた。


 かつてあった町をすっかり置き換える形でこの工場は建設された。政府の説明はいまでも覚えている。当時の大統領は、生活権を守りつつより効率的に市民を食べさせるためには工業的に量産の効くもので供給を過剰にし、生活資源のすべてを無償提供する必要があると説いた。そしてメディアで御用学者とアナウンサーが国民にその必要を強調した。都市生活者は必要十分の賃金があるので、贅沢品として供給され続ける民間製品にアクセスできる。やつらの生活は変わらなかったが、おかげで俺はすべて官製品にたよることになった。


 タナカもそのあおりを受けた一人だった。タナカはかつて庶民向けの安価な服装チェーンを運営していた。国内シェアも相当高く、金持ちだった。だが一夜にして状況が変わり、やつはアンダーグラウンドの王様になった。そして石炭の燃焼するボイラー室の間近で、エネルギーを蓄えつづけていた。


 誰ともすれ違うことなくタナカのところへたどりついた。ボイラー室はこの工場のかなめとなる発電室でもある。天井を貫通する煙突を見上げながら、数百メートルもある片道を早足で横切って、作業員に見逃し用の賄賂を渡さないようにした。

 覗き窓のある扉を見つけてあるリズムでノックした。スリットを塞いでいたシャッターが横にずれて、目玉がそこから飛び出した。タナカは特技の一つとして、眼窩から数センチ目玉を出すことができた。はじめは驚いたが、もう見なれた。黙っていると、目玉は引っこんで、鍵が空いた。


「おまえに売るようなものはもうないぞ」


 入るなりタナカは言った。太りすぎてほとんど球体となった身体を、大きな電動車いすで動かして、壁のほうへと戻っているところだった。規則ただしく床に片面ガラス扉となったコンテナが積み上げられているところから、仕分けの最中なのだろうか。俺はとっさに目を走らせたが、ホンモノの肉は見当らなかった。


 タナカは手に入れていないかもしれない。ホンモノの肉は都市だけに流通しているものだという噂もあった。引き返そうかとも考えた。だが聞くだけきいてみることにした。するとタナカは目を丸くした。


「ホンモノ? このあいだ売ったじゃないか。おまえ、覚えてないのか。貯金を使い果たして、おまえはぼくからホンモノの味を買い取ったんだぞ。予備も売ってやったおかげで、ぼくは一生安泰だが、一生楽しみも奪われてしまった。あれは市場流通がない。もうぼくには手に入らない。あれ以上なにを望む?」

「肉があるはずだ。上級市民だけが食べている、あの擬味食ギミックのオリジナルに使われた肉だ。おれは料理をしなきゃいけないんだ」


 おれはまくしたてた。タナカは理解した様子ではなかった。「ホンモノの肉?」タナカはそう繰り返して、首をかしげた。怒鳴りそうになるのを、ぐっとがまんする。

 擬味食ギミックはもともと、存在していた料理の味をキャンバス素材に上塗りするために開発されたものだ。たとえばキャンバス麺を食べるときに、炒面ヌードルの擬味食を足してやることで、焼きそばの味を体験できる。だったらオリジナルの料理があるはずだった。


「あの料理に使われていた素材を売ってくれ、と言ってるんだ」

「そんなものでいいのか?」


 タナカは不可解な顔をしながら、車椅子を走らせて、棚の一角を占めていた青いコンテナを叩いた。それはキャンバス肉の、最上級グレードだった。

 おれはタナカにつかみかかった。


「おまえは東アジア人で、以前は工場のオーナーだったかもしれないが、いまはただの犯罪者だ。誰もおまえを守ってくれない。おれはおまえをショートさせることもできるんだ」


 取りだしたナイフをうなじに押し当てる。バッテリーがついているから、ボタン一つで、魂潜門をクラッシュさせられる。そしたら、こいつの場合、直す見込みはない。法律から逃れた自由とはそういう野蛮な秩序を意味する。それをしらないタナカではないはずだ。


「そうか、おまえは、知らなかったのか」


 タナカは怯えて歯をがちがちと鳴らしながら、しかしハッキリとそう言った。


「それとも、思いこんでいるだけかな。平等の観点から、上級市民からスレイヴまで、同じ肉を食べているんだよ。違うのは、味がついているかだけだ。この国で流通する肉はすべて、ここみたいな産業市で培養されたキャンバス肉なのさ」




 三つ並んだベルトコンベアを目で追いかける。白い肉の塊が、等しい速度で下流へと向かっている。やがて機械にラップ封入されるキャンバス肉は、生産ライン上流を見ると、天井からぶら下がるひょうたん型の容器に繋がっている。


「あの容器はこの地階の培養セクションと繋がっている。容器のなかはコンベア式の昇降機になっていて、上流から運ばれる培養肉を消毒・検査しているんだよ。エラーが出たらその肉は突き返される。そうして安全な完全素材のできあがりというわけさ」


 地階は地下階を四角く取り囲んでいるから、全方向から見ることができた。なんども確認したが、タナカの言うとおりだった。培養肉以外のものはここで作られていない。


「信じないぞ」


 一通りの説明を受けて、出てきた言葉がそれだった。タナカは培養セクションを背に、呆れた様子でおれを見上げている。


「おまえは裏社会の人間だ。あのチャイニーズなら本当のことを知っているはずだ」

「無駄な金を使うんじゃない、アイザック」


 タナカは説教をする年寄りの声を発した。


「合理的に考えてみろ。なぜ、みんなが魂潜門を設けていると思う? いまや、自然派は世界的に絶滅危惧種だ。人口爆発にもかかわらず、ハーバーボッシュ法のようなブレイクスルーを生み出せなかったとき、人類は負けを認めたんだ。おまえは孤児だったからはやかったかもしれないが、国によっては、生まれたときに機具を取りつけるんだぜ」

「嘘だ。コロンボの連中はホンモノの肉を食べてるはずだ。お前じゃわかりっこない。チャイニーズに聞いてやる。そしてコロンボにいけばすべてがわかる」


 ホンモノが存在しないと認めることはできなかった。ホンモノが存在しないなら、リンダをつなぎとめることができない。おれにはホンモノの肉が必要だった。

 タナカは鼻を鳴らすと、勝手にしろ、と言い捨てた。ボール状のハンドルを転がして車椅子を方向転換すると、もと来た道へ戻っていった。


 おれは工場を出て、守衛に向かった。さっきの東アジア人に、持ち合わせていた賄賂をすべて渡した。


「コロンボに行きたい」

「なにしにいく」

「ホンモノの肉を探す」


 男は怪訝な顔をした。だが、賄賂を受けとると、ポケットに突っこんで、ついてこい、と手招きした。

 工場の脇にある駐車場へ向かった。守衛の車の助手席に座ると、クッションがとてもやわらかく、家のベッドより快適だった。守衛は北京語でAIとやりとりをした。フロントガラスにAR表示されたマップが縮小して右下に動いた。コロンボの入口が輝点で示されていた。車は静かに動き始めた。


 うとうとしていたせいで、あらゆることが一瞬で過ぎ去ったように感じた。気がついたら、国道を車は走っていた。守衛を見ると、窓の向こう、右手の対向車線越しに砂浜が見えた。もうコロンボは間近だった。


「疲れていたんだな」


 守衛は洗練された英語クイーンズを発した。下品なタミル語と異なる印象に戸惑いながら、相槌をうつ。守衛はたばこを吸っていた。赤い、中華と書かれたパッケージが、二つの座席の間に設けられたサイドテーブルの上に乗っていた。守衛は煙を長く吐き出した。


「ホンモノの肉とはなんだ」

「キャンバス肉じゃない肉だ。おまえたちはそれを食べるんだろう」

「どういう意味だ。この俺が、偉大なるわが党の配給を信じないと言いたいのか?」


 とつぜん肩をつかまれた。すごい力で、親指が肉に食いこんだ。カンフーを学んでいるに違いない。おれは謝って、離すように頼んだ。守衛は離してくれなかった。


「俺は栄光ある党に遣わされてこの国に来たんだ。この小さな島国を近代化してやるためにな。工場長だから、お前のようなやつも面倒を見てやっているのだ。おまえたちは我が国の力で平和を手に入れ、そして繁栄をも手にしようとしているのだ。そのために極東の島国とも連携してやっているのに、おまえは感謝を知らないのか?」

「だけど、リンダはホンモノの味がほしいと言ったんだよ。擬味食じゃだめだと言うんだ。あんたを批判したわけじゃないんだ」

「党への批判を撤回しろ!」


 おれはこくこくとうなずいた。やっと守衛は離してくれた。正しくは、工場長と呼ぶべきだろうか。どっちだっていい。おれは、混乱しながら、ふたたび本当のところを尋ねようとした。だが男は、たばこを深く吸いこんで、北京語の罵り言葉を煙とともに吐き出していた。


 コロンボの入口には軍人が検問に立っていた。許可のない人間は、中に入ることすらできない。おれのようなスレイヴはこの国では存在しない人間だ。

 だから、この街の中には真実があるはずだった。

 おれをなんども足止めし、職務上の理由があっても追い返そうとした軍人が、守衛の男を見るなり敬礼した。おれはすんなりとコロンボへと、この国の首都へ足を踏み入れることができた。


 なにもないだだっ広い道が、あふれる広告の海に変わった。コンタクトスクリーンがオンラインに接続され、様々なAR広告を表示したのだ。

 青空を悠々とイルカが泳ぎ、広告をその腹に印字した龍が、その上空を横切った。きらびやかな服装の、実在しないであろう女性が、おれを見てウインクする……口紅をおれの方へ向けて、コンタクトスクリーンに書きこむ……Buy me soon!……文字が視界を覆う。一瞬だけの占領はまるでサブリミナルで、おれは酔いのせいで吐きそうになる。

 隣で男が煩わしそうに呻くと、おれの魂潜門コンセントになにかを挿入した。広告ブロッカーが設定され、違法な広告類が視界から消えた。


 おれは車道の左右を見回した。ビニル素材の透明なジャンパーを着た男女が、身体を惜しげもなく晒している。東アジア人に混じって、この国の男女もいた。彼らは田舎の年寄りみたいに、民族衣装を着て、金ぴかのピアスを鼻や耳に刺していなかった。まるで西洋人や東アジア人のように振る舞っていた。手にはアイスクリームを持ち、バッグは、おそらくブランドもので、リンダがたまに換金するように言ってくるメーカーが確認できた。


 学習した過去と変わらないのは、道端で物乞いをする傷痍軍人だけだ。まだコロンボの出入りが自由だったころは、内戦で傷ついた男たちやその家族が物乞いをした。だがその数も、もはや野犬の数より少ない。露店も少なかった。望み薄かと思ったその時、島人ランキーが営む揚げ物店を見つけた。


「あそこだ、あそこに行ってくれ」

「スクリーンを外せ。あれはキャンバス肉だ」

「嘘だ!」


 おれは扉をこじ開けた。車内でアラームが響いた。北京語の罵倒が背中に飛んだ。自動運転の管制システムがアラームを発し、車道に設置されていた5Gアンテナ付きのサイレンが鳴り響いた。みんながおれを見た。何名かは悲鳴をあげた。怒ったような声も聞こえた。だがおれは走った。顔をひきつらせる露店の男にしがみついて、頼んだ。


「ホンモノの肉を売ってくれ。おなじシンハリだろう」


 だが男は顔色を変えて言い捨てた。


「ゴミ山住まいと一緒にするな」


 男のキックが顎をとらえた。一瞬で意識を刈り取られ、……気がつけばおれは留置場にいた。よりによって独房に。




 警察が去ってからもう何時間が過ぎただろうか。パイプベッドの冷たさは前世紀的な刑の苦しみだったが、ひどく身にしみた。おれはテクノロジーの恩恵を受けていたことを実感した。

 窓を開けられていたから、夜の生ぬるい空気が、空調のない独房にわだかまっていた。マスクを取り上げられたせいで、呼吸もやっかいだった。ゴミ山育ちは悪性の粉塵で肺をやられる。他人事だと思っていたが、おれも当事者だった。


 これで二度目……三度入れられたら、おれはジャンク屋ですらなくなる。そのことが、おれをある種の熱狂から引きはがした。そして冷静に、事実を捉えるようにうながした。おれはひと晩かけて、ホンモノの肉がないことを納得させ、翌朝、警察に反省の念を見せられるように自己暗示した。


 翌朝、おれは解放された。違反点は記録されなかった。守衛の男が、おれの錯乱を証言してくれたのだろうか。おそらく、キャリアに汚点を残したくなかった、というのがほんとだろう。おれは心のなかで彼に礼をいい、コロンボの外で解放されるなり、重たい足を自宅へ向けて運んでいった。


 なんとか説得するしかない。リンダがいなければ、生きていけない。おれは歩きつづけた。

 擬味食ホンモノはある。なんとかなる。きっとだ。

 おれはそうおれに言い聞かせた。


 運良く、正午前に、ゴミ山の街へ戻ることができた。すかんぴんだからスリーウィーラーも呼べなかった。

 家にすぐ戻る気になれず、歓楽街へ向かうことにした。酒が飲みたかった。てきとうなパブを探していたとき、見覚えのあるギラギラしたワンピースがみえた。


「リンダ!」

「アイザックじゃない」


 リンダは手を振った。隣には大柄な男がいて、二人は腕を組んでいた。そしてもう一方の手に、串に通されたキャンバス肉を持っていた。


「あんた、失敗したんでしょ。タナカにきいたよ。だから、お別れよ。さよならよ」

「ちがう。ホンモノは、どこにもなかったんだ。あれが、ホンモノだったんだ」


 リンダは愉快そうに笑った。リンダの肩を抱く男が、負け犬め、と言った。


「ここにホンモノがあるじゃない。このひとはホンモノをくれるのよ」

「それはキャンバス肉だ」

「いいえ、からあげよ」


 リンダは言い張った。瞳の感じが以前と違った。男を見ると、おなじ違和感があった。違法なコンタクトスクリーンだった。


「リンダ、騙されるな。スクリーンを外せ」

「しつこいわ」

「おれを信じないのか。ニセモノなんだ」

「あたしがいま体験していることが真実よ」


 からあげ肉を頬張ると、リンダはおれに串を投げつけた。


 そこからどう帰ったかはわからない。気がつけばおれはベッドにもぐっていた。

 手には、あの日から開封されたまま放置されたキャンバス肉のブロックがあった。

 おれはコンタクトをはずし、メモリーを外した。スクリーンのわずかばかりの加工も消えた。キャンバス肉は灰白色の塊だった。まずそうだった。

 口の中に放りこむと、タイヤみたいにかたかった。なんどもなんども、おれは噛んだ。そして、食べた。涙や鼻水が口の中に垂れるのもかまわず、開けっぱなしだった肉を全部食べた。ホンモノの味は苦かった。

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ホンモノの味 犬井作 @TsukuruInui

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