48 大儀

「カップを失礼致します。」


 中身を半分ほど残して冷たく濁ったまま放置されていた珈琲カップが小さな音を立てて下げられた時、束の間と言えど上の空になっていたことを自覚し、その声の主へ視線を移す。


「新しいものをお淹れ致しますわ。」


 先程まで俺が使っていたのとは異なる新しいカップにコーヒーを注ぐメイド。何の気無しに彼女の顔に視線を移せば、バチリと視線が交差した。


「あんたは…。」


 髪色はありふれた茶髪だったが、その瞳は銀色。メイドは俺からの問い掛けを察したのだろう。スカートの裾を軽く持ち上げ、俺に一礼することで無言の肯定をしてみせた。

 最初に訪ねてきた俺たちを客間に通したフットマンは間違いなくオガール人だが、よく見ると庭師やメイドには浅黒い肌やハワードと同じモスグリーンの瞳を持つものがいる。


 そこでふと伯爵が自邸の庭に水仙を植えたことを語っていた意味に思い至った。すんなりとそんな行動が出来たのは、その為だったのか、と。


「リベラ伯爵。まさか貴殿の屋敷では、難民を使用人として雇用しているのか?」


「えぇ、仰る通り。これも難民問題解決のための一つの手段だと考えていますから。」


「…なんだと?」


 とてもプレボン派の街を治める主らしからぬ所業だ。いや、ここがジャイレンやハルトなら何の問題もないのだ。難民が使用人になるケースなどごまんとあるし、新聞で求人も出ているほどだ。しかし、セルレイベルタ地方ではそれはとんでもないことである。


 リベラ伯爵に対して大層失礼なのは承知の上だが、よくそこまで能天気な施策を取れるものだと寧ろ感心を禁じ得ない。


 そもそもの話として、シルベスト教団は唯一の経典がプロフェリアの手許に常に置かれているお陰で一般的な教義がなかなか浸透しにくい。それでも世界宗教でいられるのははじまりの神話や大樹を基盤としてひとえにプロフェリアが授ける予言の存在あってこそだ。


 だからこそ、様々な解釈が生まれ、教派が分岐し易い側面もある。はじまりの神話も口語で伝え聞くことが主なので、俺の知る至ってシンプルな神話すらも、国や地域の差によって微妙に内容が違うほどだ。俺が知っているのはあくまで一般的なものに過ぎない。


 神話では、白髪の少女-初代プロフェリア-が大樹に成った六輪の花をはじまりの六人の王たちへ授けたとある。その花は苗木となり、それぞれの国の首都に植えられて大樹の分樹となったわけだが、これに対してプレボン派が独自に主張していることがある。


初代プロフェリアが、『異なる根を張りし青葉は、その枝を取り合うこと叶わず。須く其の大樹を至上とすべし。』という予言を詠んだというのだ。


わかりやすく言えば、『元は同じ大樹の苗を戴いていても今は違う民族であり、徒《いたずら

》に他民族と睦むことは控えよ。』ということだ。現在のプレボン派の自民族至上主義の思想の礎であり、何なら現在の越境規制を強固なものにしている元凶と言っても良い。


 実際にプロフェリアの予言にこんなものがあったかは定かではないが、仮にあったとしてこんな寓意がふんだんに盛り込まれた一説など、様々な解釈が生じて然るべきである。穏健派のモデラ派はこの予言の存在そのものを否定しているし、根本的なことを言ってしまえばこれは予言でも何でもないのだから。


 しかし、これのせいでここビルドでも火種が燻っているわけだ。それにも関わらず領主自らが異民族の難民を自邸の使用人として招き入れていることは理解に苦しむ。


「随分と大胆な改革ですね。それによってご自分の立場が揺らぐ可能性も十分考えられるというのに、一体何故です?」


 ハワードが部屋から下がる先程のセレメンデ人のメイドの後ろ姿を一瞥して伯爵へと問う。


「伯爵もお分かりでしょう。難民によって悪化する治安、それに加えてフィンドの脅威に常に怯えなければならぬ日常でどれだけ民衆に負担が掛かっているか。それによって領民が蜂起することだってあり得るというのに。」


声色こそ穏やかだが、眉根は寄せられていた。伯爵もそれは予想通りだったのだろう。居住まいを正す。


「誤解しないで頂きたいのですが、リベラ家はインタープレッターを輩出した家とはいえ、私自身はプレボン派ではありません。それは、領民も承知のこと。領民の中にも、先祖代々そうであったが故に理由もなくプレボン派の立場を取り続けているだけの人間も一定数いるでしょう。しかし、あなた方もご存知の通りリスベニアやカストピアと違ってオガール全土でいえばモデラ派の方が圧倒的に多数派なのです。オガールは共存と文化の国。戦前は世界の文化の融合地点だったのですからそれは自然なことです。ですが、そうでなくなった今は国力の衰えを難民に責任転嫁している。国が動かないのであれば、我々のように力を持った人間が行動を起こすしかないのです。さもなくばこの国のこれからの発展はありえない。保守派の人間達も現実を見なければなりません。」


 そう。リスベニアから技術提供を受けてやっと実用化に至った鉄道。ワヴィンテから輸入された高価なオートモービル。カストピアの豊かな大地から産出されるエネルギー源など。他国に半世紀以上遅れている今のオガールは、これらを手放すわけにはいかないのだ。他国からの力を借りてやっと近代化が進んでいる現状では、決してオガール国内のプレボン派の思想は普遍的とは言えない。永世中立国であり、難民政策の見返りとして他国からの助力を得ている以上当然のことだ。


 しかし、ビルドを中心とするセルレイベルタ地方の人間は断固としてそれを認めないだろう。領主自らその体制に一石を投じようとすることは相当な大儀のはずだった。


「私は領主として、難民を積極的に受け入れることを宣言し、率先して難民を雇用します。勿論反発はありますし、領民との対話にも時間と労力を割かなくてなりません。しかし、情けないとは思いつつも並行してフィンドに対抗する程の余裕はないのです。」


 リベラ伯爵は私兵を持たないと聞く。職業軍人でもない彼は仮に民衆と対峙することになっても武力で民衆を押さえつけることは出来ないだろう。プレボン派の反感を買うことを知りながら難民融和策を推し進めようとする人柄を見るに、その考えは毛頭無いのだろうが。


難民政策への合意や協力など、一定の条件を満たした領民には免税、ヤガダルクやオジョレアでの仕事の斡旋を行っているという。しかし、カプセルの影響で対話など出来るはずもないフィンドには武力で対抗するしかない。ジャイレンに拠点を置く俺達ハウンズに話が来たのはこの為だったという訳だ。


「私の理想は教派に関係なく…いや、シルベスト教徒である以前に、中立国オガールの国民として今直面しているこの難民問題をセルレイベルタを挙げて解決に向かわせることです。本来ならば、異民族の受け入れをよしとしないプレボン派の街の領主である私が、オガール人ではないあなた方に依頼することは筋違いなのも十分承知しています。ですが、どうかお助け下さい。この街の為…いや、どうかオガールの為に。」


 リベラ伯爵は俺とハワードに深々と頭を下げた。何とも崇高な理念だ。これだけ聞けば、一領主にしておくには勿体無い程の高い理想を持った人物と言える。多少甘い考えが見え隠れしているとはいえ、政治家向きの気質の持ち主なのだろう。シャワーすら浴びないどこぞの新聞社の重役とは同年代だろうに、えらい違いだと息を吐く。


「わかった。対症療法にはなるだろうが、ビルド、ヤガダルク、オジョレアのフィンドは俺たちが責任を持って引き受けよう。報酬は軍警を経由して小切手で支払ってもらう。」



 リベラ伯爵が掲げる理想は望ましいものに違いはないのだろう。言うは易し、実現が途方も無いだけで。オガールの市民権を持つとはいえ、外見で明らかに異民族と分かってしまう俺たちハウンズからすると、トールケイプ地方を出るとまだまだ仕事はやりにくい。それが少しでも緩和される未来が来るのならそれに越したことはない。


 いや。


 その未来が来る前に、己の成すべきことが終わってしまっているかもしれない。その時俺はどこで何をしているのだろう。


 越境規制は撤廃されているのか?難民という言葉もなくなっているのだろうか。


 もしかしたら。


 この足で、リスベニアの地を踏んでいるのかもしれない。まだ見ぬ首都であり、シルベスト教団の教都であるフェルカムンド。そこから生まれたヘレアン戦争の元凶の緒をこの手に掴んでいるのかもしれない。


 それは、いつになるのだろう。そこまで辿り着くまでに、俺はどれだけ走り続けるのだろう。まだ、想像もつかない。


 目の前で伯爵が礼を述べながら手を差し出していることに、ハワードから肩が叩かれるまで俺は気付かなかった。




 



 


 

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猟犬たちの黙示録 谷崎カナタ @tanikana

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