47 火種

 カストピアに一部国境を接するセルレイベルタ地方は、オガールの中でも最もシルベスト教団の信者の多い地域の一つである。教団の中でも厳格な保守派であるプレボン派-即ち自民族至上主義のオガール人が作ったオジョレアやヤガダルクなどの都市も複数あり、主となる都市はビルドだ。


 歴代にわたって予言者プロフェリアの側仕えをしてきた名家や、王にプロフェリアの予言を伝える役目を担った三代前の預言者インタープレッターを輩出したリベラ伯爵家の本邸はビルドにある。ビルドには、数百年前に当時のプロフェリアが訪れたとされる文献も残されており、予言を象った鮮やかなフレスコ画が描かれた大聖堂もある。ジャイレンに負けず劣らず、国中の信者が巡礼する聖地だ。


 今となってはプロフェリアが教都フェルカムンドのフェングリス大聖堂から出ることも無くなったが、それでも民衆に姿を見せぬプロフェリアを最高指導者として、世界各地に信者を持つ巨大な世界宗教であることに変わりはない。


 六大国の王は信心深さの程度に差はあれど須く信者であるし、一年に一度、直接彼らにプロフェリアからの予言を授けるインタープレッターも大きな権威を持つ。彼らは一国につき一人の正に『選ばれし者』であるし、他でもないプロフェリア直々に選出されることも彼らの地位を保証する大きな理由だろう。


 そしてもう一つ。彼らが古代語を話せることも忘れてはなるまい。


 古代語は、初代プロフェリアが嘗てのはじまりの王たちに初めて予言を授けた時代に用いられていた言葉だ。今日世界中で日常的に話されている口語とは全く違い、現在は主に教団関係者の間での公用語としてしかその形を留めてはいない。


 常にプロフェリアが携え、これまでただの一度も公表されたことのないシルベスト教団の教典は古代語で書かれている。最もプロフェリアに近しい場所にいて、古代語を解すインタープレッターであれば、そのシルベスト教団の核に触れていても何の不思議もない。こんな憶測や想像がインタープレッターの名誉を保つ原動力になっているのだ。


         ***


「お初にお目にかかります。当主のグリース・リベラと申します。この度はジャイレンより遥々お越し頂き、ありがとうございます。」


 その人物は、客間に通された俺とハワードを前に、恭しく頭を下げたかと思うと握手を求めて俺に右手を差し出した。


オガール人特有の赤毛は綺麗に後頭部へと流され、手入れの行き届いた皺ひとつないフロックコートを身に纏った紳士。歳の程はアルゴと同じ頃だろうか。上品な口髭を蓄え、優しげに下げられた目尻からは顳顬にかけて皺が伸びていた。


 グリース・リベラ伯爵。彼の曽祖父こそ、オガールの三代前のインタープレッターであり、晩年ビルドの街整備に尽力した人物である。当時のプロフェリアにより選出され、長きに渡りオガール王の右腕として仕えたであろう人物の肖像画は壁一面を覆うほどに大きなもので、その顔立ちは俺の目の前に立つリベラ伯爵によく似ていた。


「お待たせして申し訳ない。どうぞおかけください。」


 彼が身につけているものは流行り物ではないが間違いなく質の良いものだし、天井の高い客間を彩る調度品は高価な一点ものばかりだ。インタープレッターを輩出した由緒正しいリベラ伯爵家として相応しい品位を今も保ち続けている。


「壮麗な屋敷だな。庭に咲く花々も実に見事だ。」


「それは、ありがとうございます。屋敷の庭師もきっと喜ぶことでしょう。実はゲーティアス殿がいらっしゃるということで、薔薇園に水仙も新しく植えたのですよ。」


 月並みな社交辞令を口にしながら、俺はベルベットのソファへと腰掛けようとしたが、伯爵の言葉で故郷のカストピアでの遠い記憶の中に置いてきた水仙の金の翼が頭をよぎった。


 換気の為にほんの少し開けられた窓からは薫風が吹き抜けてくる。僅かに意識を集中すれば、風の中には仄かに透明感のある爽やかな香りが含まれていることに気付いた。伯爵は、水仙がカストピアで最も親しまれている、国を象徴する花であることを知った上で植えているのだろうか。だとしたらプレボン派の多いこの街ではかなり風変わりな思考の持ち主である。俺たちが来ることを見越して一時的に植えているのだとしても、その行動は保守派の連中の神経を逆撫ですることにはならないだろうか。


「それは、お気遣い痛み入るな。」


そんな考えを巡らせている俺の後ろに控えていたハワードも伯爵の前へと進み出る。胸元に右手を、腰元に左手をそれぞれ添え、片足を一歩引いて頭を下げるその所作は実に慣れたものだ。


「ハワード・ルイージアと申します。この度はお招き頂き光栄です。」


 紳士然とした立ち振る舞いはリベラ伯爵に引けを取らない。一朝一夕で身についたものとは違う『育ちの良さ』がハワードの一挙手一投足から滲み出ていることを、伯爵も感じ取ったようだ。


「これはご丁寧に。聞けばルイージア殿はワヴィンテ出身とのこと。」


「えぇ、まぁ。」


「戦前、父に連れられて首都のダートメリアには赴いたことがありました。ルイージア家の名は予々かねがね聞き及んでおります。ハルヴァンティア剣術の師範家であり、古来より諸外国の脅威から国境を守護してきた名高い辺境伯爵家であったと。」


 ハルヴァンティア剣術。ワヴィンテのシルベスト教団所属の聖騎士団に古来から伝わる、ルイージア辺境伯家発の流派だ。ワヴィンテで寄宿学校に通える一定の家格の男児は皆習う一般的な流派と言っていい。外つ国でも剣術を嗜む者の大多数はハルヴァンティア剣術の使い手だ。カストピア人の俺も例外ではない。


 勿論ハワードもハルヴァンティア剣術を使う。それだけポピュラーな流派なので、その創始家且つ師範家のルイージア辺境伯家はその道の人間の中では知名度が高いのだろう。


「恐れ多い大層な名前が一人歩きしているだけで、ワヴィンテではルイージア姓は決して珍しいものではありません。仰るルイージア辺境伯家は、最後の当主が夫人とともにリスベニア軍の手に落ちてから断絶しておりますので。」


 ハワードは口元に微笑みを浮かべたまま、伯爵の話一つ一つに極自然に相槌を打つ。それは宛ら今日の天気や新聞の話題を出された時に反射的に出てくるものと同じだ。


 全く興味がない、あるいは関係がないにも関わらず相手の機嫌を損ねないようにしている。ただそれだけのようだった。しかし、そんなハワードの意図は伝わってはいないのか伯爵は構わず続ける。


「そういえば、跡取りがいないまま亡くなられ、ルイージア領邦はリスベニアに占領されたのでしたね。戦後返還されたとは言え、ヘレアン戦争中の貴国の混乱は想像を絶するものでしたでしょう。」


「伯爵は、永世中立国オガールの方であるにも関わらず、随分と他国の戦中の情勢に通じておいでのようだ。」


 それも御家柄故でしょうか、とハワードは表情を崩すことなく問い掛けた。貴族特有の雑談力のせいで終わる気配のない前置きの長さが、珍しくハワードの癇に障ったのだろう。しかしポーカーフェイスを崩さないハワードが含めたものに、リベラ伯爵は全く気づく様子はない。


「えぇ。教団に関わりのある家に生まれた以上は、他国の情勢を把握する必要はあります。私自身も国の難民政策に身を砕きながら住民と関わってきましたので。旅券を持たぬ彼らは、いつ故郷に帰れるやも分からぬ身。それ故に私達オガールの貴族に課せられた役目は重大であると考えております。」


「それについて、まず俺たちから尋ねたいことがあるがよろしいか。」


 自然な流れで本題に入れたのは幸いだった。ハワードもここで漸く出された珈琲に手を伸ばす。既に湯気は立ち消えていたそれを、彼はカップを大きく傾けて喉へと流し込んだ。喉仏が大きく上下したその瞬間に寄せられる眉根。顔を顰めた理由は珈琲の苦味だけではないはずだったが、俺は構わず伯爵へ問いかけた。


「セルレイベルタ地方は教団信者-ことプレボン派の住民が大多数を占めると聞く。しかしこの十年で難民の数は膨れ上がっていることだろう。そこで、特にビルドでの難民の受け入れ態勢と顕在化している問題について伺いたい。」


 そう、オガール人との軋轢はないか、異民族に対する負の感情は制御出来ているか。これについては一言にオガールと言っても対応の仕方にそれぞれの地域性が色濃く出る部分であろう。


 ジャイレンが中心となって広がるトールケイプ地方は、首都を擁していることもあって戦前から住む外つ国出身者が多い。文化の融合地点であり、多様性を受け入れて独自の文化を築いてきた歴史的背景がある為、教団穏健派であるモデラ派が多い。それ故に移民に限定すれば異民族であることが理由で衝突が起きることは稀だ。ペネトラール地区に住むオガール人と移民が、定められずとも住み分けが出来ているのは両者それぞれの領域侵犯を防ぐ為の不文律故であり、最も理想的な形と言えよう。


 故あって俺たちと共にジャイレンに来たカストピア人の難民、イレイズが住んでいたハルトに関して言えば、難民の数がここ数年で増えて多民族化していることは事実だが、それ以上に移民も増えている。あの規模の街で公営の孤児院が一つしかないことからもわかるように絶対数は決して多くはないのだ。しかも、難民にも比較的高い水準の教育の機会が設けられている。それにより読み書きや最低限の教養は身につくし、イレイズのように大学に進学する難民もいる程なのだから、恵まれた環境なのは間違いない。


 しかしながら各地で難民が引き起こす問題は山積している。貧困の末に武装した難民もいることを考えると解決は決して一筋縄ではいくまい。上流階級出身者などの裕福なノーブレスではない移民と難民を瞬時に判別することなど不可能に近いし、場合によっては側杖を食らった同民族の移民と難民が対立することもあるからだ。長年決して安くない税金を納め続け、オガール人と良好な関係を築いてきた移民が、オガール人との軋轢を恐れる余りに難民を排除しようと迫害するケースがそれに該当する。殆ど表沙汰にはなっていないが確かにある悲劇だ。


 セルレイベルタ地方はカストピアに国境を接する地理的事情も相まって、流入する難民の数はトールケイプ地方の比ではない。しかし、それに反して移民数は僅かで、街を歩く異民族の大多数は難民である。それはそれで移民と難民同士の問題は払拭されるものの、言い換えるとつまりこういうことである。


 他民族にとってはこれ以上なく住みにくい地域なのだ。それはそうだろう。


 排他的で閉塞的な、移民にとって息が詰まる街に定住する者など余程の好事家に違いない。しかし金銭的にも余裕のない難民は、命の危険から逃れられたことで足を止めてしまうことが多いことだろう。彼らにとっては住み易さ云々を希求することは単なる贅沢なのである。多少のことでは明日が確実に来る環境から退く選択肢など有り得ないのだ。


 プレボン派の人間達は、異民族が自らの領域に踏み入れることを善としない。しかし、同じ一つの大樹から分け与えられた苗木を始祖のプロフェリアによって等しく授けられた彼らに牙を向けることは即ち教団の神話を侮辱することに他ならない。しかし看過すれば鬱憤は溜まっていく。


さぁ彼らはどうするか。


簡単な話だ。結局は抵触しない範囲での陰湿な村八分や疎外に走るのだ。そうして諍いの種は四方八方に散らばっていく。リスベニア程では無いにせよ、プレボン派が多い地域で難民が増加することは、それだけリスクなのだ。


伯爵は、一息置いて口を開いた。


「仰る通り、この街の住人の大多数はシルベスト教団の保守層の人間たちです。保守派が多ければその分難民との衝突は起きやすい。私もその懸念は常に頭にあります。」


「当然だろうな。」


「ビルドは宗教施設に富んではいるものの、教団関係者以外の若者が働く場が足りているとは到底言えません。戦前は外つ国から訪れる巡礼者で栄えていたのですが、越境規制が敷かれている現在はそれも望めない。働き口が減る一方で難民が増えていくのですから、残念ながら大なり小なり火種は燻っている状態です。」


 やはりか、と俺は独り言つ。

 そうなって当然なのだ。難民の増加は治安の悪化に直結する。この類の問題は全土でいずれ掃いて捨てる規模まで拡大していくことだろう。それもそう遠くない未来に。


しかし、と伯爵は続ける。俺も手元のカップから伯爵へと視線を戻した。


「我々のような立場の人間にはそれを打開すべく努力する責任が御座います。あなた方がフィンドの脅威を排除するべく武器を取るように、私も自分の能う限りの力を持ってこの問題に取り組んでいるつもりです。決して間違えた方向に進まないように。」


「…。」


 領主が高貴な身分、財力、それに見合う権威を保持することは、ひいては街の治安維持に直結する。そしてその保持には決して軽くはない義務が生じるものだ。それを、リベラ伯爵はこちらから問わずとも弁えている印象を持った。


「なるほど。生まれながらにして人の上に立つものには責務があると。人の上に立つ者は、決して選択を間違えてはならないということでしょうか。」


 ハワードの問い掛けに、伯爵は左様と諾う。ご立派な心掛けだと社交辞令を返すばかりで、それ以上彼が何かを口にすることはなかったが、権力者に生じる責務という言葉に、ハワードが反応したことはすぐに分かった。


珍しいことだった。ハワードは心中を意味もなく口に出す事はしないし、詮索も嫌う。だから先ほどの伯爵の自身に対する身の上の探りを受け流したというのに。



お前は『いつの、どこの誰を思って、一体何を考えている』のか。


それをハワードに問うことは、俺には出来ようもなかった。ハワードにとって決して触れてはならない領域であろうと、直感的にそう思ったからだ。そしてそれに唯一触れられるはずの奴は、ここにはいない。


それは、これから俺たちを取り巻く『違和感』の兆しだったのだろうか。



この時の俺は何も知らなかった。

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