第19話 両親の葉桜
六月さんとともにすみかわ水族館に行ったGW中、特にイベントなどはなく、俺は進学校の生徒よろしく、毎日勉強漬け、読書漬けの生活を送っていた。
4月の最初の数日間が異常だっただけで、俺の日常は元よりこのような感じだった。
俺と同じ高校の生徒は、みな真面目だ。
だから、みんなこんな感じだと思う。
ふと庭先の木々を見てみる。
俺の家には二本の桜がある。
この二本の桜は、俺たちの両親がある出来事で死んでしまってから、俺と翠姉さん兄弟によって埋められ、そして十数年の時を経てもずっと俺たちを見守ってくれているものだ。
4月の始まりの頃は咲き乱れていた桜飛沫も、今は見る影もなく、その姿は緑色に変わってしまっている。
時間とは残酷なものだ。
俺たち人間には止めることができないが、間違いなく一番影響を与えているもの、それが時間。
俺たちは時間の中で生き、そして、時間の中で死んでいく。
どの時代の人類もそうやって繁栄、進化してきた。
昔、『時間のパラドクス』に関する本を読んだことがある。
ざっくり説明すると、この理論は、『物事は時間の上に存在している』という大前提によって成り立つ。
繰り返すが、物事は時間の上に立脚している。
なら……「時間」という物事の始まりを考えた時、一体何の上に存在していたのか、というものだ。
時間の始まりを考えた時に生まれるパラドクス……これは人類の繁栄にも成り立つのかもしれない。
人類がどのように生まれ……神話ではアダムとイブであるが、本当のところは、俺たち現代人には知るよしもない。
と言うか、この世界が本当に現実である保証もない。
別世界で夢を見ているだけ、もしくはもっと高次元の存在が俺たちを監視して実験していると考えることもできる。
これは、反証が不可能な時点で科学的とは言えない議論だが、同時に否定ができないことの裏返しとなる。
……なんてことを考えると、俺たち人類は、薄氷の上に存在している、突いたら崩れてしまうような脆い存在なのではないかと思ってしまうわけだ。
……。
話が大分脱線したが、昔から同じことを考えては、同じ結論に至っている。
そう。
考えても意味がないことは、考える価値がないのだ。
なにか証拠があるなら話は別だが、こんな答えのないことを考えても時間の無駄だとわかっている。
俺は思考を切り替え、目の前の『論理学』の教科書に目を移す。
すると。
「翔〜、ご飯ができたよ〜」
下の階から、翠姉さんの声が聞こえた。
時刻はすでに六時、あたりは暗くなりつつあった。
「わかった」
俺はそういい、椅子から立ち上がる。
そんなこんなで俺達の時間は過ぎ、いつの間にか6月となっていた。
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